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「バベル」-アンチトロンビンIII欠損症

  • 2007.11.1

ヒトの歴史は飢餓と怪我との戦いであったと言われる。スイスのアルプス山麓で見つかった通称「アイスマン」と呼ばれるミイラは今から1万年前のものと推定されるが、やせた身体に怪我や骨折のあとがいくつも見られる。近代社会が構築されるつい最近まで、ヒトは乏しい食糧の中で暮らし、狩りや部族間の抗争の中での怪我により、出血多量で命を落とすことも多かった(特にヨーロッパは気候上農耕に適さなかったので、狩猟生活が中心であった)。如何にいくつもある血糖上昇ホルモンを巧みに使い、血糖を有効に上げ、火急の状況で火事場のくそ力を出すか、如何に進化の過程で複雑に仕組まれた止血メカニズムを駆使し、出血時、一滴でも少ない出血量に抑えるかが生死を左右した。ラット、マウスを用いて実験してみて初めて気付いたことであるが、これらの動物はヒトと比べ物にならないくらい血が固まりやすい。これはげっ歯類の生活環境の過酷さを考えると納得がいく。彼らの尻尾が異常に長いのは汗腺のない彼らが体温を下げるためで、暑いときには、太くて長い尻尾の血管を広げて体温を逃がしているのだが、当然のことならながら格好の攻撃対象となり尻尾がちぎれることも少なくない。そんな時、止血機構がしっかりしていないと大変なことになる。

 

進化のさらに先に位置するヒトは、げっ歯類ほどではないが、止血機構がしっかりと備わっている。しかし、こうした進化は現代人にとって変化した生活環境の中にあって不都合なものとなりつつある。血糖を下げる必要がほとんどない状況で生きてきた我々の祖先には、血糖降下ホルモンがインスリンひとつしかなく、その結果現代社会では糖尿病700万人の患者を生んでいるし、複雑な止血カスケードの獲得は、高齢化し動脈硬化が進む現代人には、血栓、梗塞が著しく起こりやすい状況を生んでいる。身体の進化は急激な文明の進化にまったく追いついていない。

 

血栓、塞栓形成制御には、様々なカスケードがある。血球には血小板を、肝臓からは凝固因子を、そして血管内皮にも血栓形成を促進させる蛋白質が産生されている。具体的には活性化凝固因子に対する血漿阻害因子、血管内皮細胞において産出されるPGI2やトロンボモデュリン(TM)、外因系血液凝固阻害因子(TFPI)など多くの因子が止血機構に関与する。太古われわれの祖先は、このようなカスケードを身体の中に用意し怪我に対応してきた。一方、これらの因子には様々な遺伝子変異があることが明らかにされて来ている。大きく分けて、止血しにくくなる変異と、血栓形成促進的に働く変異とがある。この中で血栓形成性が高まる遺伝子変異は、それにより抗血栓性が低下し血栓塞栓症が発症する。代表的な遺伝子変異によって起こる血栓症に、血栓塞栓形成素因であるアンチトロンビン III 欠損症及びプロテインC欠損症がある。これらの疾患の一般人口における発症頻度はそれぞれ2000~5000人に一人、及び1500人に一人と比較的多い。これにプロテインS欠損症を加えると若年発症の血栓症の約15%を占める。こうした疾患が淘汰されずかなりの頻度で残ってきた背景には、人生高々20-30年であった太古、こうした異常遺伝子を持った人々のほうが失血しにくく、その結果生き残りやすかったからに違いない。

 

サンディエゴに住む若いアメリカ人夫婦のリチャード(ブラッド・ピット)とスーザン(ケイト・ブランシェット)は、二人の幼い子供を、以前からメキシコからの不法入国者であるベビーシッターのアメリアに預けてモロッコでバスツアーをしていた。この夫婦は、もう一人いた子供の死後なんとなくしっくり行かず、壊れかけている夫婦の絆を取り戻すために旅に出たようである。菊池凛子のアカデミー賞助演女優賞ノミネートでも話題を呼んだ映画「バベル」の話である。しかし旅の途中も、久しく会話がなかったのか、やはりしっくり行かず、お互いちょっとしたことでいら立ち、なかなか理解しあえない。夫婦は何故こんなところまでやってきたのだろうかと考えながら旅をしている。バスがモロッコの田舎の山道に差し掛かった頃、いきなりガラス窓越しに、銃弾がスーザンの左胸に命中したのである。そこには、羊の放牧などして暮らしている一家があり、兄弟がけんかをしながらも仲良く暮らしていた。ある日、父は羊をコヨーテから守るため、ライフル銃を買い、子供たちにも試射させていたが、弟が遊び心で放った銃弾が、こともあろうにスーザンに命中したのだった。バスの運転手やアメリカ人の乗客はテロが起こったと騒然とし、早く山間の村を離れようとするが、リチャードはバスの運転手を説得し、医者のいる村までバスを向かわせる。しかし、その村に医療設備はなく、応急処置がやっとという現実に愕然とする。スーザンは胸部からの出血が止まらず、意識も朦朧としてくる。彼は英語がなかなか通じない村の住人たち、対応が遅いアメリカ大使館に苛立ちを露わにするが、失禁までしてしまう状況の中で彼女はだんだん夫の言葉を受け入れることができるようになり、優しい気持ちになっていく。同じころ、東京に住む聴覚障害を持つ女子高生のチエコ(菊池凛子)は、満たされない日々にいら立ちを感じていた。父(役所公司)は裕福な会社役員であるが、最近妻を亡くしている。狩の趣味があり、モロッコまで狩猟ツアーに行ったことがあり、ガイドのシェルパに猟銃をプレゼントしたが、その猟銃がめぐりめぐって山間の村の遊牧民の手に渡り凶器になってしまったことが映画の進行とともに明らかになっていく。一方、スーザンとリチャードの、帰国の予定がたたなくなったため、ベビーシッターのアメリアは、メキシコに住む一人息子の結婚式に2人の幼い子供を連れて行かなけらばならない羽目になる。アメリカに20年以上住み着いているアメリアは国境を越えることに無頓着であったが、アメリカに再入国する段になり、同乗していた弟の飲酒運転をきっかけに不法入国がとがめられ大変な事件に発展していく。

 

この映画は、4つの全く異なる国地域の出来事が複雑に絡みあい、まるでミステリードラマを見ているように引き込まれていく。前号でも書いたように、今や世界は、ひとつの国地域だけの問題として完結せず、複雑な絆で結ばれていることを描いている。人は深い部分でわかり合おうとしなければ、言葉が同じでも理解し合えない。言葉がなければ一段とふれあう努力が必要であることを教えてくれる。

 

その昔、言葉は一つであった。いつの日か人々はおごり、神に近づこうと天まで届く塔を建てようとした。これに神は怒り、こう言われた。「我々は降って行って直ちに彼らの言葉を乱し、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてやろう」。昨今の地球温暖化による天変地異、とどまることを知らない宗教戦争、目を覆いたくなるようなテロや国際レベルでの凶悪犯罪、、。全く神がお怒りになっているとしか言いようがない状況が続いている。「美しい国日本」などと実体のない絵空事をいっている状況ではない。私自身も、医者として生活し、目の前の一人ひとりの命を救うことにこだわっている場合なのかと毎日のように思わずには居られない事象が起こり続けている。しかし非力な私は「人の幸福は隣人を大切にすることから始まる、大学をよくすることが社会をよくすることに繋がる」と言い聞かせながら医療をするしかない。

 

それにしても依然としてわずか数十キロ離れた隣県の方言の意味がわからなかったり、飛行機で1、2時間の距離に住む隣国の人々の考え方、文化が全く理解できないで、中傷しあう状況が続いているのは、バベルの塔で怒ってしまった神が今なおお怒りになっているとしか言いようがない。

Copyright© Department of Neurology, Graduate School of Medical Sciences, Kumamoto University.