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「ギルバート・グレイプ」-肥満遺伝子 

  • 2007.10.1

今年82歳になる父が大動脈弁狭窄症兼閉鎖不全症のため、私の病院の心臓外科で大動脈弁置換手術を受けた。ずっと郷里別府の病院の循環器科にかかっており、主治医とは連絡をとっていたので、徐々に進行しているのは知っていた。今年に入り息苦しさが更に増し、心カテ検査が行われたが、その結果、主治医から決定的な宣告を受けた。「先生、手術を受けなければ2年も持ちませんよ」。私は大いに慌てた。まず本人に正直に話すところからはじめたが、「今更手術なんて受けない。このまま死なせてくれ」。私はこの言葉に激しく動揺し、悩んだ。今日、80歳代の老人がどんどん手術を受け、社会復帰を果たしているが、父の身体は手術に本当に耐えられるのだろうかと思うと決断力が鈍った。循環器科と心臓外科の教授に恐る恐る相談してみた。「先生、十分手術できますよ。動脈弁は入れ替えてやると、まるでうそのように楽になります」。私はこの言葉に勇気付けられ、本人をひたすら説得し続けた。一ヶ月の後、遂に本人から、「手術をするのなら、お前の病院で受けたい」という言葉を取り付けることに成功した。「やった」と思うのも束の間、もうひとつ大きな困難が私の前に立ちはだかった。81歳になる母である。手術の必要性を何度説明しても彼女には理解できない。要約すると「結婚して五十数年、結構病気もしたが、手術も受けず乗り切ってこられた。このままでも当分同じお天等さんを拝めるはだ」というようなことを言いたいらしい。「お父さん、胸が苦しいといっても何ともないように見える日もあるよ。私はね、多分苦しいのは気のせいに違いないと思う。あの年で手術したら、半身不随になるに決まっている。私はお父さんがそんなことになったら、生きてなんかいかないんだから。手術を勧める医者なんか信用しないよ。老人のことがよくわかっていないだから。医者を変えるべきだ。あんたとも親子の縁を切る」ありったけの言葉を使って抵抗し、私を「藪医者」と罵倒し続けた。しかし、私は説得し続けた。秋とはとても呼べない残暑が続く8月の終わり、父は情けないような顔をして熊本大学病院にやってきた。「来る途中、何度も列車を飛び降りたかった」という言葉に彼の思いが集約されている。新学期が始まった大学は、猫の手も借りたいほど忙しい。この時期に小さな学会の主催時期も重なった上、秘書が突然アクシデントで2週間休養、診療も教育も研究も、病院運営も八方ふさがりの状態となった。こんな中でもなお母は手術の直前まで「お父さんを返して下さい。お父さんがいなくなったら、私は生きていかない」と私を脅迫し続けた。「13.2%の死亡率です」。術前の主治医の説明でこう言われた父は呆然とした。「俺も手術台で死ぬかもしれない」と命の喪失感が現実のものとなった瞬間であったろう。頼りの兄は6年前に事故で死んでもういない。唯一頼りにしたいと思っていた弟は、主治医の説明を伝えたところ、「兄ちゃん、何とか親父を生きさせてくれ」と泣き出す始末。これじゃあどうしようもないと笑いたくなるような絶望感が押し寄せたが、くたくたになりながら家に帰ると、そこには変わらぬ妻の笑顔があった。妻は、主婦として嫁として医者として、私たち家族を支え続けた。術後も紆余曲折、いくつかの困難はあったが、熊本にもやっと秋風の吹き始めた10月のはじめ、秋晴れとはとても言えない天気ではあったが、父は退院し、よたよたとした足取りで母に支えられるようにしながら帰っていった。

 

私はラッセ・ハルストレム監督の「ギルバート・グレイプ」(1993年アメリカ)という映画を思いだす。ギルバート・グレイプ(ジョニー・デップ)は不幸である。いまだ20代の若者でありながら、もう何年も事実上一家の長として家族を支えてきた。アメリカの田舎町に住むギルバート青年は、左前となった食料品店で店員をしながら、姉と妹とともに、目を離すとすぐ高いところに上ろうとしてトラブルを起こす知恵遅れの弟アーニー(レオナルド・ディカプリオが初々しい)と、父親の自殺の後、そのショックでテレビの前で終日何かを食べるだけの存在になり、いつの間にか体重は250kgを超えてしまい(本当の超肥満のお母さんが出てくる)、意のままには動けなくなっている母を支えている。一家の収入源は彼の手にかかっている。母親をはじめ一家の食料代を稼がなければならない。風呂も入れない弟の世話をしなければ何が起こるかわからない。息抜を抜けるのは、食料品を配達する先の有閑マダムと時々楽しむことのできるセックスくらいである。医療保険には当然のように入るお金がない。父が残した家は、大きいだけで補修をしなければ壊れそうなあばら家である。

 

そんな中、ある日、叔母とふたりでトレーラーハウス住まいをしながらアメリカ中を転々としている若い女性ベッキー(ジュリエット・ルイス)が町にやってくる。家族に縛られ小さな田舎町から出られないギルバートとは逆に、ベッキーは自由の象徴である。ギルバートの心に、それまで当然のこととして抑えこんでいた気持ちが頭をもたげ、彼女と恋に落ちる。明日は町を出ていくという彼女を前にしても、彼は家族を棄てられない。「僕は町を出られない」とギルバートはベッキーに宣言し、また何事もなかったようにいつもの生活に戻ろうとするギルバートであった。

 

小中学生の頃、肥満と呼ぶことのできる同級生はクラスに一人いるかいないかであった。オリンピックで肥満のソ連(当時)の重量挙げ選手、ジャボチンスキーがユーモラスな体型をして世界一の怪力を披露したことから、肥満の同級生に親しみをこめてその名を冠し、揶揄した思い出がある。肥満はお笑いタレントにもいるが、ユーモラスな雰囲気をかもし出す。「丸」というのは四角よりヒトの心を和ませるのであろうか。しかし、肥満をそうした視線で眺めてはいられない状況が到来した。現在アメリカでは、3人に1人が肥満に悩み、その対策ために年間30兆円以上が費やされているという。われわれ日本人にも同様の状況が多少遅れてではあるが、より急速なスピードで到来しつつあるからである。

 

肥満は遺伝的背景が大きく影を落とす。両親が肥満の場合は約70%が、片親の場合でも40~50%の子供が肥満になる。一卵双生児と二卵双生児による肥満に関する研究では、肥満の一致率は一卵性のほうが2倍も高い。肥満は間違いなく「遺伝病」である。

 

そもそもヒトの身体は放っておけば太るように出来ている。つい最近まで飢餓に直面し続けたヒトの歴史の中で、進化の過程で少しでも多くの脂肪を蓄える仕組みを遺伝子の中に構築しなければ生きていけなかった切実な背景がある。ヒトはずっと食べるものが少ないから太れなかっただけのことである。

 

ところで最近の研究から、肥満を防ぐ遺伝子がいくつか見つかってきている。代表的な遺伝子はレプチン遺伝子である。動物の体の中に必要以上の脂肪が貯まると、脂肪細胞はレプチンを盛んに合成する。レプチンは血液中を流れて脳に働き、食餌の摂取量を減らしたり、エネルギーを使ったりするよう指令を出す仕組みを作動させる。遺伝的異常で、レプチンがうまく分泌されない、機能しないなどの状況下では肥満が促進する。このほか神経伝達物質のひとつであるセロトニンの受容体やアドレナリンのβ受容体伝子も肥満に大きく関与していることが知られている。特に、アドレナリンのβ受容体伝子は、かなりの人がこの遺伝子に変異を持っていることがわかってきた。たとえば、この受容体蛋白質の64番目のトリプトファンがアルギニンに変わっている人の方が成人してから肥満になる確率が高いことわかっている。こうした遺伝子多型(SNPs)検査は今後急速に普及し、メタボリックシンドロームの予防に大きく貢献することは間違いない。

 

父は激しい手術の侵襲でかなり体重を落として退院していった。彼の後姿を見ていると、レプチンをブロックする物質でも注射してやりたい心境に襲われた。

Copyright© Department of Neurology, Graduate School of Medical Sciences, Kumamoto University.