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「舞子はレディー」-イップス、ジストニア

  • 2014.12.1

「舞子はレディー」は周防正行監督が久々に放つファンタジーミュージカル映画である。どこかで聞いた題だと思っていたら、オードリー・ヘップバーンの「マイフェア・レディー」をもじったものらしい。最近の周防作品は「それでも僕はやっていない」や「終の信託」に見られるように、いわば現代社会に潜む問題を、綿密な取材の元に拾い上げた社会派ドラマが続いたが、この映画は祇園の花街に興味を持っていた監督が、花街や舞妓について徹底的に調べ上げ、遊び心をもって日本映画としては珍しい「マイフェア・レディー」のようなミュージカル作品に仕上げたところが斬新である。

 

京都の下八軒という花街には万寿楽という老舗の舞妓の御茶屋(置屋)があった。ある日のことまだ十歳代であろうか春子という、どう見てもコギャルの様な出で立ちをした女の子(上白石萌音)が「舞妓さんになりたい」といってやってくる。物語の始まりである。女将の千春(富司純子)の元には、芸子の豆春(渡辺えり)と里春(草刈民代)がいたが、舞妓は実の娘の百春(田畑智子)一人だけである。下八軒界隈を見渡してもほかに舞妓はおらず、顧客をもてなすためには百春は当分の間孤軍奮闘せざるを得ず、いつまでたっても芸子に昇格できないでいた。そこにやってきたのが春子というわけだが、スーツケース一つ抱えて、素性もわからずやってきた彼女は、余りに頼りなく舞妓の厳しい修行に耐えられるわけがないと思われた。おまけに鹿児島弁と津軽弁が入り混じったようなひどい訛言葉を話し、万寿楽の面々は最初は田舎に帰るように説得し続けた。しかし、彼女の意志は固かった。この御茶屋に出入りしていた「センセ」と呼ばれている言語学者の京野(長谷川博己)が彼女に興味を抱き、常連客の呉服屋社長の北野に、訛を取り去り京言葉に替え、立派な舞妓にしたら、舞妓遊びのフルコースを体験させてもらう約束を取り付ける。

 

晴れて住み込みの舞妓見習いとなった春子だが、言うまでもなく舞妓の修業はそんなに簡単なものではない。舞妓の基本となる小唄、舞踊は一流の師匠の元で過酷な修行を受けなければならない。更に生まれたときから染み込んだ方言を独特のおっとりした雅な京ことばに替えるばかりでなく、舞妓の可愛いしぐさも覚えなければならない。春子にとってこの修業は死難の業のように思えた。

 

最初は何を稽古してもダメ出しの連続。春子は懸命に努力を続けるものの言葉も、小唄も踊りも進歩の跡が見えない。日に日に自信が無くなり、努力が空回りし続ける中で、春子はある時突然声が出なくなってしまう。しゃべろうとすると声が出ない。いわゆるイップスの様な状態である。そんな中で、京野や女将、万寿楽の人々の温かいサポートもあり、春子は何とか稽古だけは続けることができた。

 

そして話はクライマックスに近づく。実は春子の母はかつて万寿楽に在籍した舞妓であったが、ある時突然姿を消し、その後春子を生むが彼女がまだ幼い頃に死んでしまったことが明らかになっていく。春子にとって舞妓になることは、幼い頃に喪った母への憧れであり悲願のようなものであった。だから彼女はイップスに見舞われてもくじけることなく最後まで頑張ることができた。ゴールに近づくにつれ声も戻り、踊りも訛も及第点を得て、遂に舞妓としてデビューする日を迎える。見違えるような美しい舞妓姿の春子は、いつしか身も心も正真正銘の花街の舞妓になっていた。

 

花街は独特の京文化が根付いている界隈である。周防正行監督はその雰囲気を出すため、祇園、花街を徹底して調べた上、祇園育ちの田畑智子を舞妓に抜擢したり、御茶屋遊びの経験豊富な高嶋政宏を脇役に配したりして、花街のムードを盛り上げている。主演の上白石萌音の素人っぽい初々しい演技も花を添えていて、舞妓や花街を楽しむことができるドラマ仕立てになっている。

 

ところでこの映画では、春子がストレスのあまり声が出なくなった現象をイップスだと映説明している。厳密にはこの現象はその定義からすると少し違うが、舞妓の稽古が余りに過酷なため、その中で受けた心的ストレスをきっかけに起こった声帯の筋肉の過緊張と受け止めると、まさにイップスに等しい。

 

イップスという概念は、1930年代に活躍したプロゴルファーだったトミー・アーマーが、ある時、普段なら失敗するはずのない近距離のパットを失敗し、勝てたはずのゲームを落としてしまったエピソードに由来する。彼は以後それがトラウマとなってトーナメントの同じような場面でパットを外すようになり、ついには引退を余儀なくされてしまう。イップスという言葉は、英語の「ウープス」などと同じ言葉の響きだが、日本語に置き換えると、「なんとまー」とか「ああー」とかいう感嘆の言葉に置き換えることができる。「なんとまー信じられないことが起こった」という気持ちがプレッシャーとなり負の連鎖が続く。それがイップスだ。ゴルファーの間ではイップスを「ショートパット恐怖症」という言葉で表現することがあるらしい。最近イップスという言葉は汎用されるようになり、精神的な原因などによりスポーツの動作に支障をきたし、自分の思い通りのプレーができなくなる運動障害のことを言うようになってきた。

 

この言葉はプロ野球でも時々聞かれるようになってきた。ピッチャーが肝心の場面でホームランを打たれる。捕手がここぞという場面で二塁に暴投する。内野手がゲームセットという場面でトンネルをするなど、それが原因で試合に負けた場合など強いトラウマとなって記憶に残り、同じような局面で同じ失敗を繰り返す場合もイップスと呼ぶ。プロ野球の世界では、イップスが克服できず遂にほかのポジションにコンバートされた選手も実際にいる。特にプロスポーツは莫大なファンの監視下に試合が行われるため、こうした現象が起こりやすいのかもしれない。テニスやサッカー、アーチェリーや弓道などのデリケートな精神状態を反映するスポーツ選手にイップスを来す場合が多いが、こうした例は他のスポーツでも枚挙に暇がない。

 

この病気が起こる心と体のメカニズムに関してはなかなか科学的に説明し難い。心の変化のメカニズムとしては、加齢に伴う脳の生化学的変化の結果、一定の情動回路が回り続けるとする説明もあるが、体の仕組みから説明するのには、局所性ジストニアという病態が引き合いに出される。ジストニアは遺伝性疾患に付随して起こることもあるが、イップスに関連したジストニアとは、職業で特定の筋肉を使い過ぎたり、協調や精神集中を迫られることで、屈筋と伸筋の協調がうまくいかず、特定の筋肉が持続的に収縮し続ける病態をいう。バイオリニスト、ピアニスト、チェリストなどの音楽家、漫画家などの芸術家、変わったところではいつも饅頭をこねているお菓子屋の職人など、いつも使っている手があるとき突然に動かなる状態に悩まされている人は意外に多い。

 

この病気の克服は簡単ではない。精神科では、精神療法を繰り返すことから始めることが多いが、うまく治療できない場合も少なくない。薬剤で治療する方法もあり、マイナートランキライザーや眠剤による処方で軽減することができる場合もあるが、これらの治療ではやはり根治まで導くことができないケースも少なくない。

 

最近、この病態を脳外科的に治そうとする試みが注目されている。ジストニアでは、視床、視床下核などの脳の深部にある基底核と呼ばれる部分が興奮してジストニアがおこるため、この部分を定位脳固定手術法で破壊するか、同じ部位に電極を留置して低周波の電流を流し、刺激し続ける脳深部刺激(Deep brain stimulation:DBS)という方法で治療する。一部の有名な漫画家や音楽家が、ブログでこうした治療によって症状が改善し、仕事ができるようになったことをカミングアウトしている。医学は心の問題を少しずつ科学し、少しずつ治療を生み続けている。

Copyright© Department of Neurology, Graduate School of Medical Sciences, Kumamoto University.