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「セッションズ」-ポリオ

  • 2015.03.1

人間には三つの本能がある。色々な観点があるが、食欲、社会欲、そして性欲という言い方ができる。この中で食欲は生死を左右する本能であるため、これがなくなることは即死を意味する。一方で社会欲、性欲はなくても人生を全うできる。特に性欲は子孫を残すという命題に直接的にリンクしてはいるものの必然ではなく、多くの場合快楽にリンクした行為であるため、なくても十分生きていける。しかしこれがもっとも厄介で、特に思春期から中年期までの間は性欲が満たされないと心の安定が得られず、時として健康状態まで左右する。また性欲は老年期に起こる種々の中枢神経疾患の重要な症状として出現する。アルツハイマー病、レビー小体型認知症、パーキンソン病、進行性核上性麻痺、大脳基底核変性症などの中枢神経変性症では、しばしば異常性行動や性に関する幻覚が現れる。こうした現象は、脳機能が傷害される過程で、抑制系の回路が破綻することによって、潜在的な本能が全景に現われることを反映していると言ってもよいのかもしれない。

 

映画「セッションズ」(ベン・リューイン監督)は、小さい頃にポリオに罹患し、首から下の運動神経が完全に麻痺して手足が全く動かない実在の詩人でありジャーナリストのマーク・オブライエンの手記「On Seeing a Sex Surrogate」をもとに映画化した感動のドラマである。

 

マーク(ジョン・ホークス)はポリオの後遺症で四肢が動かず呼吸筋も障害されているため、家にいるときはドーム型をした鉄の人工呼吸器を付けて生活していた。まさに重症のポリオ後遺症だ。彼はすでに38歳になっていたが、書いた詩や手記が売れ、マスコミの仕事も舞い込むようになり、ヘルパーに身の回りの世話をしてもらいながら何とか日常生活を送っていた。彼は今のヘルパーが不満で仕方ない。遂にやる気のない性悪のおばさんヘルパーに業を煮やした彼は、彼女を解雇してしまう。

 

次に来たのはアマンダという若くて美しい女性だ。彼は四肢は全く動かないため、男性自身を触ることもできないし、背骨が曲がらないためそれを見ることも叶わないが、自律神経機能は正常であり性機能は万全のため、当然のことながら若い女性やセックスに対する興味は人一倍強い。彼はアマンダに介護してもらっているうちに恋におち、彼女との妄想の世界に突入するようになる。女性との付き合い方も知らない彼は、罪悪感から行きつけの教会の神父に相談する。「そうした感情を抱くのは普通のことだ。決して悪いことではないんだ」と優しいコメントをもらい安心する。親身になってマークの心の迷いや性的な葛藤に付き合ってくれるこの神父に、マークは心を開き人生や性のことで終生相談を持ち掛けるようになる。

 

そんなある日、雑誌社から身体障害者のセックスの問題についての手記の依頼が舞い込んでくる。彼はまず様々な障害を持つ人たちをインタビューすることから始めるが、自分以外の身障者のセックスの実体験を聴き興味津々、それまで遠い存在であったセックスが身近に感じられるようになっていく。やがて彼はセックス・セラピストの存在を知り、計6回のセラピーを受けることにする。「セッション」という言葉は、コンピュータを立ち上げた後、終了するまでの一連の動作などを指して用いるが、この映画の題である「セッションズ」は、セックス・セラピストと共に体験する、出会いから愛撫、そして最後の瞬間までの一連の行程を意味している。

 

緊張して初回に臨むマークの前に現れたのは、美人で包容力のある中年女性、シェリル(ヘレン・ハント)であった。彼女はポリオのために背骨が湾曲して仰向けに寝ることすらできないマークを真摯に受け止め、一回一回優しく丁寧にセックスのクライマックスまでリードしようと努力する。この映画で、ヘレン・ハントは惜しげもなく豊満なヌードを画面いっぱいに披露するが、映画自体からはエロティックな印象は受けず、女体というものに初めて触れるマークの心のゆらぎと感動が見ているものに爽やかに伝わってくる。何も知らなかった彼は、シェリルの優しいリードと心遣いに、少しずつ自信を持つようになり、回を追うごとに前に進んでいき、自然と彼女をパートナーとして受け入れることができるようになっていく。そして当然のことながら、彼は次第に彼女に女性を感じ恋心を抱いていくようになる。

 

彼女の方は、既婚者で子供と夫を持つ身である。クライエントであるマークのために誠実に職務を全うするために彼と正面から向き合っているが、セラピストの活動とプライベートな感情を完全に分けなければならない。

 

遂にマークの気持ちは歯止めが利かなくなる。ある日、マークは自分の思いを綴った詩をシェリルの家に送るが、それを見つけたシェリルの夫は激怒してゴミ捨て場に捨ててしまう。一方シェリルも少しずつマークの想いに心を動かされるようになっていく。5回目のセッションで二人はセックスのクライマックスを迎え、シェリルもその瞬間愛を感じる。それは体の関係だけではなく彼の純粋無垢な気持ちにほだされた部分もあるのかもしれない。これ以上彼の気持ちを受け止めるわけにはいかないと悟ったシェリルは、彼を説得するような形で、残す1回のセッションを実行することなく彼の元から去っていく。その後しばらくして彼は天国に旅経つことになる。

 

ポリオ感染症は激烈な感染症のイメージがあるが、ほとんどは不顕性感染で、発症することなく終わる。感染者の約0.1%が典型的な弛緩性麻痺を起こすいわゆるポリオ(急性灰白質炎)を引き起こす。この感染症は5歳以下の小児が発症することが多いことから、小児麻痺とも呼ばれる。ポリオウイルスは経口感染し、主に腸管で増殖する。1-2週間の潜伏期間を経て、発熱、頭痛、倦怠感、嘔吐、下痢など、感冒や急性胃腸炎に似た症状が1-4日続くが、一部の患者では熱が下がる頃に左右非対称性の弛緩性麻痺が主に下肢に生じる。ときとして上肢まで侵され、横隔膜神経や延髄の呼吸中枢が犯されると呼吸障害を来し死亡することがある。こうした麻痺はかなりの確率で後遺症として終生残存する。

 

日本では1960年代に大流行したことから、厚生労働省が中心になって早急にワクチン接種の普及活動を行い、その後日本では流行はなくなっている。世界では1980年代にWHOによって世界ポリオ根絶計画が提唱されて以降流行地は数か国しかなくなり、近い将来、この病気は根絶されるであろうと考えられている。

 

この病気で厄介なのは中年期以降に起こるポストポリオ症候群と呼ばれるポリオの後遺症を持った患者にさらに起こる病態である。それまで不全麻痺であった手足が老化に伴って完全麻痺になったり、障害部位にしびれが生じたりするといった現象が40-60%ほどのポリオ患者に起こる。今後もポリオの後遺症に悩む患者はどんどん高齢化していくため、この病態は問題となっている。

 

マークはシェリルと会えなくなった後、しばらくスーザンという女性と文通を続けながら永遠の旅にでる。彼が生前愛について綴った詩は、彼女によって葬儀に出席したアマンダやシェリル、牧師の前で読まれる。この詩はマークがおかれた状況の中で、それにもかかわらず現実を超越し、純粋に愛する人の肌のぬくもりを求める気持ちが伝わってくるとともに、五体満足な我々が失ってしまった純粋な愛の本質が見えてくる。マークという男は、最も純粋に女性に対する愛を見つめ、永遠の旅路についた稀有の男であったのかもしれない。

 

愛するひととつながりたい 誰にともなく捧げる愛の歌 僕の言葉で君に触れよう

 

力のないこの手の代わりに 僕の言葉で君の髪や背中を撫で おなかをくすぐろう

 

まるで煉瓦のように動かないこの手は 僕の願いを無視し

 

静かな欲望さえかなえてくれない 僕の言葉は君の心に滑り込み

 

明かりをつけることだろう 僕の言葉を受け入れてくれ

 

君の心を優しく愛撫するから

Copyright© Department of Neurology, Graduate School of Medical Sciences, Kumamoto University.