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「どですかでん」-ノロウイルス感染症、牛白血球粘着不全症

  • 2007.01.1

昨年末からノロウイルスによる急性胃腸炎が流行している。国立感染症研究所の調べによると、2006年は感染者数が1000万人を超えると予想されているというから、実に10人に一人の日本人が病状の軽重を問わずこのウイルスに侵された勘定になる。このウイルスは、米国オハイオ州ノーウォークの小学校で集団発生した胃腸炎の患者から分離されたため、その地名を取って名付けられた(ノーウォークウイルス)。何故それが日本でノロウイルスと呼ばれるようになったのかはわからない。症状の始まりは突発的に起こることが多く、夜眠っていると突然腹の底からこみ上げてくるような不快感とともに吐き気を催し、嘔吐を繰り返す。「これはただ事ではない」という気持ちになる。吐き気が治まった後は、激しい悪寒が続き、発熱を伴うこともある。インフルエンザとの違いは、これらの症状は通常、1、2日で治癒し、後遺症が残ることがない点で、最初の症状の割にはあっさりした感染症である。しかし、決して多くはないが免疫力の低下した老人では、死亡することもあるので「いずれ治るはずだ」と高をくくってはいけない。他のウイルス性疾患と同じく、不顕性感染や、消化器症状がなく軽い感冒用症状のみで終わる場合もある。

 

エンテロウイルス系の感染ではこのような症状を呈するが、ノロウイルスがマスコミで報道されるのは、その感染力の強さのためである。カキや二枚貝による食中毒の原因になるほか、感染したヒトの糞便や吐物を介して経口感染するため、しばしば集団発生する。吐物の処理が不十分だと空中にウイルスが浮遊することもあるため経気道感染もある。ノロウイルスに有効な抗ウイルス薬は存在しないため、対症療法になる。下痢がひどい場合には輸液などを十分に行い、下痢をしていても脱水にならないようにすることが先決となる。下痢止めの使用には、ウイルスを体内にとどめることになるので慎重になるべきである。

 

数年前、和歌山で起こったカレー毒物事件のとき、多くの祭り参加者が夏祭りに出されたカレーにもられた砒素による急性中毒症状を来たし近くの救急病院に運び込まれたが、一部の病院では、細菌性の食中毒と判断して、制吐剤、下痢止め、抗生物質などを投与した。当時発行された文藝春秋には「カレー事件の真犯人は他にいた」と題して、即胃洗浄などをして毒物を少しでも体外に出そうとしなかった医療機関の対応の甘さを非難した。言うまでもなく吐く、下痢をする、熱が出る、痛みが走る、などの現象は、生体防御反応であるとともに重要な警告症状であり、むやみにここれを止めると、病態がマスクされるばかりでなく、毒物による中毒性疾患の場合は、いつまでも毒物が体内に残存し、症状は悪化するばかりである。ウイルスや細菌感染の場合は、これに増殖、というファクターが加わるので安易な対症療法はさらに重篤化を招く。むやみな下痢止めの使用はおなかを37度の天然のインキュベータと化してしまう恐れがあることは言うまでもない。インドなど飲料水の衛生状態が比較的悪い国を旅行していて下痢をした場合、何度もトイレに駆け込むのはいやだと思い安易に下痢止めでしのごうとして、結局重篤化した例は枚挙に暇がない。病気の治療は、終わりよければすべてよし、「とりあえず病状をしのごう」と対症療法に走るとと患者は死んでしまう。病初期の合理的な対応が基本であることは言うまでもない。

 

そういえば黒澤明の「どですかでん」に登場する乞食の父子も、のんべー横丁で分けてもらった腐った魚を加熱せず食べたことから子供は激しい消化器症状に見舞われ、動けなくなり衰弱して死んでいった。どうもノロウイルスの感染症に似ている。妄想の世界で生きる(それは厳しい現実からの逃避なのかもしれない)乞食の父子は壊れたぼろ車を根城に物乞いをしながら暮らしていたが、その父にひたすら寄り添い、けなげに支える7、8歳ほどの息子は、飲食店から出る残飯をひたすら集めて食をつないでいた。激しい腹痛の中でも父親を助けようとする息子の自然な感情の表現は見るものの心に染み入る。子供はなすすべもなく死んでしまうが、野原に土を掘り埋葬しようとする現場でも父親はひたすら妄想の中に逃げ込み、現実から逃避しようする。「ぼうや、あそこに大きなプールを作ろうね」息子が永る穴の前で父は悲しみをかき消すようにこう叫んだ。人間とはひとつの世界に逃げ込んでしまうとそこから脱出することができない悲しい生き物である。井伏鱒二の「山椒魚」の主人公のように岩穴で大きくなりすぎ外に出ることができなくなったとき「何たる失態か」とあわてることができる人間はまだ救い様があるのかもしれない。

 

「どですかでん」は黒澤がモノクロ映画のこだわりを捨て初めて撮ったカラー作品である。ストーリーの面白さに加えてこの映画の色彩には度肝を抜かれる。六ちゃんの家のまど全面に張られている電車の絵の色彩、彼らが住んでるおんぼろの家と周りの風景とのコントラスト、登場する肉体労働者ですら着ている服と鉢巻の彩など、すべてが鮮やかにコーオーディネートされていて、映画の本質は映像美であり、その映像美は、自然の力を借りなくとも人の心や状況を見事に表現できることを黒澤は「どですかでん」を通して物語っている。まるでピカソかダリの絵画を見ているような絵画タッチの映像は、人間模様の複雑さ、話の重さをさらりと見せる役割を果たしているが、電車バカ六ちゃんを先頭に、登場人物が日頃、皆が抱えている悩みや、人間の業のいやらしさ、愚かさをそれぞれが表現していて、色彩美との対比が見事である。この映画は黒澤映画としては余り評価は高くはないが、黒沢が映画芸術を楽しみながら、映画の新しい可能性をさらに追求し、新境地を切り開こうとして取り組んだ面白い作品である。

 

全身性の遺伝性疾患の場合、下痢を来たす疾患は決して少なくないが、動物では牛白血球粘着不全症という比較的聞きなれない疾患が注目されている。この病気はCD18の遺伝的変異によって発生する常染色体劣性の遺伝性疾患である。白血球の粘着蛋白質の一種であるCD13/CD18インテグリンのうちCD18遺伝子の欠損により、白血球が疾患部位に付着できなくなり、病原体を有効に処理できなくなる病態が起こる。このため、常在する病原菌に対しても抵抗性を欠き、発熱や下痢を繰り返し、傷の治癒不全、口腔などの粘膜潰瘍、歯肉炎、などを起こし、生後数ヶ月で死亡することが多い。当然のことながらヘテロの異常遺伝子を持つ牛よりホモの遺伝子を持つ牛のほうが重篤な症状を示す。

 

下痢をおこすとヒトは本当に情けない気持ちで生活しなければならない。突然下痢を催したとき、トイレが近くに見当たらないときの絶望感はたまらない。どうしてこうも自分はこうも運が悪いのかと、あたかも世の中で一番不幸な人間に思えてくる。福岡県の田川地方に面白い民話がある。「昔二人の神様が米一俵かついで歩くのと、糞を我慢して歩くのとどちらが辛いかということについて論争した。ではお互い辛くないと思う方を選んで歩いてみようということになった。結局糞を我慢して歩いた神様の方が1里ほど歩いたところで脂汗をいっぱいかいて遂に倒れてしまった」。この話はたとえ神様といえども生理現象には太刀打ちできないということを訴えたかったに違いない。尾篭な話ではあるが、私の好きな話のひとつである。

Copyright© Department of Neurology, Graduate School of Medical Sciences, Kumamoto University.