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「武士の一分」-ファーマコゲノミクス

  • 2006.12.1

赤貧洗うが如し、と言う言葉は、悲壮感が前面に出ていて息苦しくなる。今の北朝鮮の多くの人々の状況はこうした言葉で表現するべきなのかもしれない。一方、江戸時代の下級武士はすべて世襲で上下関係が固定されているため、出世欲も金欲もなくなってしまっていた。そうした状況では貧乏をも誇りにするようになる。閉ざされた世界の中に良くも悪しくも静寂と平穏があった。清貧とは、もしかするとそのような武士の環境の中で生まれた言葉なのかもしれない。米はもともと高温多湿の中で育つ。江戸時代は未だ稲の品種改良は十分ではなく、寒冷地での稲作は収率も悪く大変であったろう。江戸時代には特に記録的な天変地異による飢饉に何度も襲われたが、特に東北地方は悲惨で、藩政の中で、下級武士や百姓にしわ寄せが来た。東北山形の小藩、海坂藩(うなざかはん)もそうした藩のひとつであったに違いない。映画「武士の一分」(山田洋二監督)の話である。三村新之丞(木村拓哉)は近習組に勤める30石取りの下級武士である。秀才と言われ、道場での剣の腕前も評判になるほど高かったが、封建時代のヒエラルキーは下級武士にとってはたやすく超えることのできない高いハードルであった。今は藩主の食事の毒見役という出世とは程遠いお役目で、単調な毎日を強いられていた。しかし私生活は幸せであった。妻の加世は若くて美しく気立てがいい。身寄りのなかった加世は幼馴染で気心も知れている。先代から使えている中元の徳平は年はとっているものの、新之丞と加世の気持ちは何でもわかるあうんの呼吸の忠臣である。

 

その日も、いつものように退屈な毒見の儀式が始まったが、一口食事を口にした新之丞に激しい腹痛、吐き気、めまいが襲う。程なく発熱、意識障害に襲われ、昏睡状態となったまま自宅に担ぎ込まれてしまう。一時は藩主暗殺を狙った謀略かとお城中が騒然となるが、料理人が赤粒貝の扱いを誤っただけとわかってほっとしたのもつかの間、式番の樋口作之助(小林念侍)が、事の顛末の攻めを一身に負い腹を切る羽目になる。江戸時代のお城勤めは理不尽なことが多かった。君主が腹を切れ、と言えば「ありがたき幸せ」と言って腹を切らざるを得なかった。樋口も封建時代の理不尽さに埋もれ命を絶った。

 

新之丞は、数日高熱の中生死をさまよったが九死に一生を得、意識は回復したが、眼が見えなくなってしまっていることに愕然とする。赤粒貝の神経毒に視神経が侵されたのである。赤粒貝は北海道、東北地方の海に生息する貝の珍味である。貝の唾液腺にテトラミンという神経毒があり、ボツリヌストキシンやテトラドトキシンのように調理法を誤ると、視神経を含む神経障害が起こることがある。加世は新之丞に光が返ってくることを信じて必死で看病し、お百度を踏む。新之丞も藁をもつかむ思いで医者の指示通り薬を飲み努力をするが、ついに徒労であることを悟らなければならないときがやって来る。わずか30石取りの下級武士には蓄えというものがない。通常このようなケースでは、目が見えないとあれば、お城仕えも侭ならないため、30石はお召上げとなり、三度の食事分の米の支給のみの扱いとなってしまう。親戚縁者が集まり、「藩主を守るためにこうなったのだから何とか30石だけは恩赦してもらえないか」と話し合うが封建社会の中で妙案があろうはずはない。そんな中で一縷の望みを託して加世は藩きってのやり手と評判の番頭、島田藤弥(坂東三津五郎)に口ぞえを頼もうと会いに出かける。加世の美しさに前から引かれていた島田は、必ず何とかするが、その代わりにと加世の身体を求めてくる。「30石が温存されさえすれば夫の面目も保たれ、夫婦で力を合わせ、何とかやっていける、一度だけ自分が我慢すれば」、と加世は思ったに違いない。加世は遂に過ちを犯してしまう。

 

いくつかの毒物摂取が視力障害を起こ越すことはよく知られている。いくつかの薬草から抽出した麻酔薬で花岡清秋の妻は光を失ったが、実際は視力障害を起こす薬剤はあまり多くない。多くの薬では、目がかすんだり、まぶしく感じたりすることがあるが、一過性で、心配ないことが多い。これは網膜―血液関門があり、視神経に有毒な薬剤が容易に網膜にまで毒性を及ぼさないような仕組みになっているからである。しかしそんな中で抗結核薬は視力障害を起こす。エタンブトールは視神経自体を傷害するので、結核菌の動態のみに主眼を置いていると後戻りできない状況になる。現在は余り投与されなくなったが、投与中の患者は定期的に視力検査を受けるようにし、早期に視力障害を発見し、治療量を調節することが大切である。

 

近年、薬の副作用を最小限に抑えるため、ファーマコゲノミクスに関する研究が盛んである。各研究分野で、患者個人の持つ潜在的な副作用のリスクや薬効の差異に関する遺伝的な要因を理解する上で重要なものとして、この分野の研究は活発に行われるようになってきている。薬剤応答性の個体差には、体格、年齢、性別等に加え、遺伝的な要因が影響を及ぼす。特に、薬物代謝酵素、薬物トランスポーター、受容体などの遺伝子の多型が関与していることが知られている。薬物動態に影響を及ぼす遺伝子多型を調べることにより、母集団の中で副作用のリスクが高い集団や薬効が現れにくい集団を特定できる。エタンブトールと同様、抗結核薬のイソニアジドでは、NAT2遺伝子のT341C遺伝子を持つ患者では末梢神経障害・視神経炎を高率に起こすことがわかってきている。

 

弱い立場の人間が一度心を許すと島田のようなタイプの男は笠にかかってつけ込もうとする。加世に二度三度と密会を強要するようになっていった。ある日、遂にそのことが新之丞の知れるところになり、わずか30石を保守するために妻を寝取られた武士の「一分」を賭けた壮絶な戦いへと発展していく。この物語は一度離縁した加世がまた新之丞の懐に戻ったところで終わる。新之丞にとって加世は生きる糧で、もとより離縁したくはなかったが、一度は離縁を申し渡した。これも「武士の一分」を果たそうとする気持ちと、目が見えず、赤貧の中であえぐであろう生活を妻にさせたくなかった愛による。目が見えず圧倒的に不利な新之丞だったが、木枯らしの吹く川原で行なわれた島田との果し合いで、研ぎ澄まされた集中力と感覚で生を勝ち取ることができたのは、最愛の妻まで失った男の、保守すべきものが何もなくなった無我の境地と、最後まで武士の生き方を全うしようとして「一分」を果たそうとする必然であった。必死すなはち生くるなり。新之丞は貧しくはあったろうが、武士の魂を貫きながら、加世の顔のしわも、白髪も見ることなく幸せに明治を迎えたであろう。

 

妻が夫以外の男に辱めを受ける話は、芥川龍之介の「藪の中」をもとに物語にした黒澤明の「羅生門」が余りに有名である。「ヒッチハイク」は偶然乗せたヒッチハイクの男が凶悪犯で、夫の目の前で妻が凛辱されるなんともやりきれない話であった。「男はハンター」と渡辺淳一は言ったが、愛する女性は独占したいと思う一方で、美人を見るとつまみ食いをしたくなる、という相反した欲望は、洋の東西を問わず男という性を持つヒトが遺伝子に組み込まれた情報である。だからキリスト教でも、イスラム教でも性に関する規律は厳しく、それを守るのは「理性」という概念で片付けられている。

 

それにしてもいつから日本はこうなってしまったのか。司馬遼太郎は清廉潔白な明治の人間を、「国家の品格」の藤原正彦は武士道を貫く武士を良しとした。三村新之丞も立派に武士道を貫き、武士の一分を果たした。しかし今の日本人はいつの日か、日本人が何百年かかかって築き上げた武士道のよい点をすっかり忘れ、拝金主義に走りすべて金で解決がつくかのような社会が構築されようとしているかのように思えてならない。学歴すら金で買える。企業も病院も経営改善のため時間雇用者、有限雇用者、所謂フリーターが増え続けている。大学病院の医師も、助手と医員はほぼ同じ仕事をしているのに断然給料が違う。ボーナス、退職金、福利厚生などその累計の差は長いスパンで見ると計り知れない。社会の構造がこのままでいいはずはない。つい最近まで日本は世界に誇ることができる平等な社会と思っていたら、いつの間にか、日本は平均所得の二分の一以下の所得を得る人口の割合でアメリカについで世界第二位の国に落ちぶれてしまっている。「何たる失態か」と岩穴で惰眠をむさぼり大きくなった「山椒魚」(井伏鱒二)の言葉を思う出だしてしまう。

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