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「家族ゲーム」「ブラックレイン」-多発性嚢胞腎

  • 2007.02.1

膀胱癌は比較的少ない癌で、10万人に8人くらいの頻度で発症する。若年性や転移性は珍しく、しばしば、症例報告になる。寒くなるとまだまだ若いと思っている私も、夜中に小便に立つようになる。布団を出るのは寒いので、もう少し我慢して寝ていようと思っていても、酒を飲んで寝た日は我慢できない。そうしたときの放尿は何にも変え難い快感である。これが膀胱や腎臓に癌でもできるとたまったものではないと思うことがある。そんな時、不幸にして41歳の若さで膀胱癌で逝った松田優作のことを思う。映画「ブラックレイン」でマイケル・ダグラスさえ食うような演技で日本のやくざ真髄を見事に演じ、アカデミー主演男優賞までノミネートされようかとした矢先に病に倒れ、鬼籍に入ってしまった。さぞ無念であったろう。

 

松田優作は戦後間もなく下関市に生まれた。恵まれない家庭環境の中、近所の映画館に行くことが楽しみだった。石原裕次郎など日活の花形スターに憧れながら、いつの日か、映画俳優になりたいと思うようになっていった。17歳のとき単身アメリカ留学、東京の私立大学を経て文学座に入った。しばらく泣かず飛ばずのときが続くが、「太陽にほえろ!」のジーパン刑事で一躍有名になる。その後紆余曲折はあったが、着実に映画、テレビの世界で実績を作り、スターダムをのし上がっていった。映画「処刑遊戯」、「蘇える金狼」などに出演、アクションスターとして強烈なイメージを作り上げていった。「自分は俳優であり、決してアクションスターではない」。常に葛藤を続けていた。こうして自らの俳優として進むべき道を模索した優作は、その後、心の機微を表現する繊細な演技で勝負しようと試みるようになる。

 

その代表作が映画『家族ゲーム』である。吉本という有名大学に通う大学生が東京の高層マンションに暮らす比較的裕福な家庭の、できの悪い次男の高校受験の家庭教師に雇われる。あっけらかんとした両親(伊丹十三、由紀さおり)と比較的優等生の高校生の兄、喜怒哀楽がはっきりしない問題の次男の4人家族は、いずれもつかみどころがない。吉本も、やる気があるのかないのかわからない家庭教師である。吉本はすさまじい音を立てて食事をしたかと思うと、小声でぼそぼそとしゃべり、笑わない。熱心に教えるわけではないが、決して不真面目というわけでもない。次男が言うことを聞かないと見るとあっさり殴って鼻血まで出させるが、決してしこりを残さない。吉本はシュールで冷たいかと思うと、暖かそうな一面も見せる。学校でいじめにあい、殴られて返ったと知ると喧嘩の仕方を教え、「これが男としての生き方だ」と教える。映画では、見ているものには何がよかったのかは結局良くわからないまま、次男の成績が上がっていって、高校受験に通るまでを描いている。現代の特に都会に住む日本人の家庭ではこの映画に出てくる高層マンションのそれぞれの部屋で、この映画に描かれているような常識と非常識の狭間で、ジュールな人間関係を親とも友人とも、また吉本のような突然の来訪者ともわけのわからない人間関係を構築しながら、希薄でも濃厚でもない人間関係を保っているのだろうと思わせる演出が実に見事で面白い。この映画は、日本の数々の映画賞を総なめにしたばかりでなく、ニューヨークやロスアンゼルスでも公開され絶賛された。松田優作がハリウッド進出を夢見た瞬間であったに違いない。

 

泌尿器系の遺伝性疾患で、膀胱癌のようにしばしば血尿を来たす遺伝性疾患に多発性嚢胞腎がある。多発性嚢胞腎は、両側の腎の皮質、髄質に多数の嚢胞が形成され、腎実質が萎縮していく疾患である。腎臓に嚢胞ができること自体には病的な意味はなく、他の疾患で剖検をしても、、30%前後の頻度で良く見かける現象である。尿細管の一部が膨らみ尿の成分に近い体液がたまってしまうが害を及ぼすさないことのほうが多い。しかし時として大きくると腹部を圧迫したり、血尿の原因になることがあるし、比較的稀だが腎腫瘍を伴うことがある。多発性嚢胞腎は、常染色体優性遺伝の形式をとるautosomal dominant polycystic kidney disease; ADPKDと、常染色体劣性遺伝形式をとる、autosomal recessive polycystic kidney disease; ARPKDに大別される。

 

ADPKDは、羅患率が約1,000~2000人に1人の頻度で発症し、遺伝性腎疾患の中で最も頻度が高い。腎嚢胞の多発と、腎実質の萎縮、繊維化により腎の機能するネフロン数が減少し、患者の半数は60歳代までに腎不全となり、透析を受けることも少なくない。病理像としては腎糸球体の硬化像、尿細管の萎縮、間質の繊維化を認め、また炎症細胞浸潤も認められる。「多発性」という病名のとおり、腎以外にも膿胞が多発する。肝嚢胞が60~70%の患者で認められ、腎機能が低下している患者に多い。膵臓、卵巣、甲状腺に嚢胞を認めることがある。20%の患者に頭蓋内動脈瘤を認める。脳動脈瘤破裂は、比較的若年者に多くみられるため、腎不全や、くも膜下出血、てんかんなどの家族歴のある患者ではスクリーニングが必要となる。腎不全の進行する前に、50-75%の患者が高血圧を呈するが、これはレニン-アンギオテンシン-アルドステロン系の活性化による腎血漿流量の低下と、腎血管抵抗が増大するためと考えられている。かなりの頻度で心臓弁膜の機能異常が発見されるため、心臓超音波検査も必要となる。心肥大、冠動脈疾患および、嚢胞感染による敗血症で命を落とすこともあるので、注意を要する。

 

患者の約8割は、第16染色体短腕上の遺伝子PKD1の異常が検出されるが、一部の患者では第4染色体長腕上の遺伝子PKD2の異常が原因となる。PKD2遺伝子異常家系は、PKD1遺伝子異常家系に比べ、腎不全の進行が遅い高齢発症で、比較的予後は良好である場合が多い。残念なことにこれらの遺伝子があるとほとんどのケースで必ず発症し、遺伝浸透率はほぼ100%と考えられている。他の疾患と同じように、家族に病歴のない散発例も少なからずある。この疾患も様々な研究が行われ対症療法はあるが、根治療法の道は未だに開かれていない難病の一つである。

 

松田優作は30歳をはるかに過ぎたころ、熊谷美由紀(?)と恋に落ち、妻も、溺愛していた長女も捨て彼女に走った。この頃から彼はアクションスターとしての道と決別し、夏目漱石の原作を映画化した「それから」などの文芸作品やテレビの向田邦子などの脚本で「日常の世界」を演じる役に多く出演するようになった。

 

「ブラック・レイン」のニヒルで非情な日本人やくざをすさまじいアクションと、執拗な闘争心ともに強烈な個性を感じさせながら演じきり、映画の中のやくざと同じように力尽き、膀胱がんに倒れた。この役はオーディションで選考されたが、200人の応募者の仲から選ばれた。しかしアメリカにわたった頃から微熱があり、体調が悪かった、というから、この頃から彼は癌を患っていたのであろう。病気をひた隠しにし、映画にのめりこんだ松田勇作に死の恐怖はなかったのか。「ブラックレイン」を観ていると、彼は死と引き換えにこの映画の成功と国際スタートしての名声を手にしたといっても過言でないように思えてくる。チャールズ・チャップリンは「人生はクローズアップで見れば悲劇、ロングショットで見れば喜劇」といった。晩年最高の伴侶を得たチャップリンのことを考えると納得のいく含蓄のある言葉だが、こうした観点で松田優作の半生を見ると、クローズアップで見ても、ロングショットで見ても悲劇であったのかもしれない。マイケル・ダグラスとの壮絶な格闘シーンも膀胱癌に苦しみながらの演技だったはずである。渡辺謙がハリウッドに登場する10年以上も前のことで、生きていれば三船敏郎を超える名声を博した国際スターになったことは間違いない。映画ファンとしては彼の死は残念でならない。

Copyright© Department of Neurology, Graduate School of Medical Sciences, Kumamoto University.