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「私の中のあなた」-急性前骨髄性白血病

  • 2009.11.1

当然のことながら、親は自分の子供たちに優劣はつけられない。しかし何人かの子供のうちの一人が致死的な病に侵されいたとすれば、親はその子供を救おうと全力投球をしようとし、優先順位をつけざるを得なくなるものだ。親にはそうした場面に遭遇すると、病んだわが子に集中し、健常なほかの子供たちの存在が軽くなってしまう瞬間があるのかもしれない。映画「私の中のあなた」(My sister’s keeper)(ニック・カサヴェテス監督)ではそうした状況に遭遇した家族の問題を投げかけながら、白血病を患った長女ケイトを中心に、親子愛、夫婦愛、姉妹愛、そして何より家族の絆を描いている。

 

ケイトは2歳の時、急性前骨髄球性白血病を発症する。弁護士をしていた母のサラ(キャメロン・ディアズ)、消防士のブライアン(ジェイソン・パトリック)は、当然わが子を救おうと必死になる。特にサラはきっぱり仕事を辞め、ケイト中心の生活に切り替える。ケイトの長い闘病生活が始まる。彼女が髪のない自分の姿を見苦しいと自暴自棄になった時には、サラは自分も髪を剃ってスキンヘッドになり、一緒に外出して苦しみを共有しようと努力して見せたりする。白血病の治療は、化学療法を行うとき、新たな白血球の源となる骨髄細胞の移植が必要となるが、その折、HLAのタイプが一致するドナーが必要になる。しかし不幸なことに家族には候補者になれるものがいなかった。そこでこの夫婦は思い切った行動に出る。人工授精で、HLAの合致した娘、アナを生んだのである。生まれてきたアナは、出生時の臍帯血の提供に始まり、化学療法時の骨髄移植のドナーを強いられるなど、まるで姉の利ざーバーとして生きているような人生を歩むことになる。しかしこうした努力も限界を迎える。何とか発症後十二年生きてきたケイトは、ここまでアナのお蔭もあり、様々な治療で生き延びてきたが、髪が抜け、全身倦怠、発熱、出血を繰り返し、臓器障害も進行し、心も体も疲弊してきていた。そしてついに腎機能が悪化し、透析をするか、腎臓移植を受けるか取捨選択を迫られる状況がやってきた。母は迷わず、アナをドナーに腎臓移植を受けることを希望した。一方アナにはずっと葛藤があった。ケイトが病気でなかったら自分は生まれていたのだろうか。自分は何のために生きているのだろうか、、、。「今度だけは姉の道具になりたくない。」そんなアナは、州で評判の辣腕弁護士、アレグサンダーに、「母を訴えたい」と相談に訪れる。報酬はアナが貯めていた200ドル。片腎を供出したドナーは、平常の生活を送ることができるとは言うものの、日常生活も疲れやすくなり、さまざまな制約も生まれる。ある程度、ドナーに「危険」を強いる医療になる。この弁護士は、彼自身がずっと抱えていた病気の苦しみからか、彼女が置かれていた状況を理解し、共感と共に移植差し止めのため弁護を引き受けることになる。

 

裁判の公判中にもケイトの病状は進行し、もはや腎移植はとても受けられそうにない状態になっていることは、サラ以外の家族には理解できていたし、何よりそのことはケイト自身が一番よく分かっていた。この映画では、裁判が進行する中で、何故アナが裁判を起こしたかについて、その理由が語られていく。この訴訟は、実はケイトがアナに頼んで起こさせたものだったのだ。病気が小康状態だったときに出会った同じ病気のテイラーも死に、次第に悪くなっていく全身状態。そんな中で、「母の掌の中で生きてきた「母の中の私」も「母の中のアナ」も解き放たれるべきときが来たのではないか。自分は病気に負けもうじきいなくなるが、今の状態は家族も病気に振り回され、さまざまなきしみが生じ、結局、病気に負けているではないか。」それがアナの訴訟を借りて行ったケイトの自己主張であった。

 

急性前骨髄球性白血病は白血病自体が少ない病気だが、そのうちのさらに10%前後の頻度でおこる比較的稀な疾患である。このタイプの白血病では他の急性白血病に比べ出血を起こしやすく、それにより、重篤な病態を引き起こす。一時代前までは、白血病の中でも、特に重篤なタイプに位置づけられていた。皮膚に青いあざや点状出血が出来る、脳出血、歯肉出血、鼻血が出る、などであるが、それらが診断のきっかけになるとともに、病気の予後を左右する重篤な症状となる。また貧血のため動悸・息切れを感じ、疲れやすくなり、正常な白血球が減り感染症を起こしやすくなるなど、白血病一般で起こる共通の症状が患者を悩ませ続ける。このタイプの白血病は、全トランス型レチノイン酸が治療薬として登場して以来、以前より生命予後はかなり改善されており、完快例も少なくなってきたものの、寛解に至っても1回の治療で終了できる場合は少なく、多くの症例で再発する。また難治例も少なくないが、全トランス型レチノイン酸とは作用機序が異なる機序で白血病細胞を分化させる作用のある亜ヒ酸や、全トランス型レチノイン酸よりも高い分化誘導能をもつといわれているタミバロテンといった薬剤を使用し、寛解導入を試みる。こうした過程でケイトのように闘病の結果、あと一歩のところで命を落とす患者も後を絶たない。白血病の治療は依然として厳しいものがある。

 

この病気は血液中にしばしば白血病細胞が認められるが、骨髄穿刺が確定診断となることは言うまでもない。白血病細胞の染色体検査で15番と17番の染色体が交互に転座した異常、あるいは15番染色体上のPML遺伝子と17番染色体上のRARα遺伝子が融合した遺伝子がほとんどの患者で認められる。従ってこれらの染色体や遺伝子の異常は、診断や治療効果の判定に用いられる。

 

我が国においては、移植医療はなかなか社会に受け入れられない側面がある。日本人の場合、ほぼ単一民族に等しいこと、宗教などから演繹される死生感などからか、親友のために命を顧みず助けようとする気持ちは、他の民族よりもずっと強いのかもしれないが、目に見えない誰かのために奉仕することに慣れていない。キリスト教的博愛主義を小さい時から刷り込まれてきた欧米人とは考え方が異なる。だから脳死移植や骨髄移植はなかなか普及しない。一方、身内を助けるために行われ始めた部分生体肝移植は、健常人の肝臓の1/3を切り取る手術であり、肝臓は術後何カ月かしてもとの大きさに戻るとは言うものの、ドナーは何となく体の不調を訴える人も少なくない。骨髄移植のドナーが受ける侵襲はそれに比べると少ない、と考えられがちだが、決してそうではない。体の何か所かの骨に穴をあけ、骨髄を絞りとる作業は、ドナーに肉体的、精神的、時間的忍耐を強いる。それが生体腎移植や肺移植となると尚更である。腎臓や肺は言うまでもなく、肝臓のようには再生しないこともあり、臓器提供後の日々の生活に対する影響も大きくなる。

 

家族の中の誰かが重篤な病気になったとき、家族の一員は決して無関心、無関係ではいられない。特に母親は、一体感が強く「私の中のあなた」になってしまう。洋の東西を問わず、多くの家族はそれを抱え込み、苦しみ続ける。そのとき、それぞれはどう向き合うのか。状況が深刻であればあるほど、エゴも浮き彫りにされるし、軋轢も生じる。それぞれの気持ちを慮りながら、ベターな道を選んでいかなければ仕方ないというのは正論であるが、忙しさや、心と体の疲労などで我を失いがちになってしまう。巧く処理できなければ殺人事件にまで発展するケースも稀ではない。この映画は、そんなどうしようもなくなった折には、堂々と誰かの助けを求めることも一法であることも教えてくれる。

Copyright© Department of Neurology, Graduate School of Medical Sciences, Kumamoto University.