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「ディアドクター」ー胃がん 

  • 2009.12.1

高校生の頃、夏目漱石の「草枕」を読んだ。「知に働けば角が立つ、情に掉させば流される」という冒頭の文章に、未だ十数年しか生きていなかった私は、実感は持てなかったが、人生とはそんなものかと漠然と思いやったことを覚えている。あれから当時の年齢の三倍近く生きてしまった私は、そのことが身にしみる年齢になった。人生、人間はファジーなところばかりで、そのファジーさを厭い、明確にしようとすれば当然角が立つ。逆にそれを受け入れると物事が曖昧となり流される。そんなことを実感をもって語ることができるるようになったのは、人生の中でそれなりに修羅場を潜り抜けてきたからかもしれない。

 

ファジーという点でいうと、病気、医療の右に出るものはなく、日々の診療は、一たす一は二といった具合にクリアカットに処理できない。同じ病気でも患者ごとに、それぞれ顔が違うように症状は微妙に異なる。だから正確な病気の知識だけでは患者を満足させることができない。さらに患者は病気のせいでわがままになる。数多ある慢性疾患はすぐに病態が変化しないものも多いが、検査データの微細な変化を克明に説明すると患者はかえって不安になる場合もあり、こういう場合はアバウトさが必要になる。一方で検査データに異常は無いのに、めまい、吐き気、下痢、便秘、頭痛、耳鳴りといった不定愁訴に悩み続けて何十年も苦しみ続けている人も少なくない。そういう人に、「貴女は調べても何も異常がないので病気ではありません」と杓子定規に言うと更に不安になる患者も少なくない。「これほど自分を苦しめている症状が病気でないなんて」と思うからである。従って、医者は臨機応変に会話力と優しさをもってファジーに患者を包み込んでいかなければならない。

 

「うそも方便」、場合によっては本当のこと、本物よりもうそ、贋物のほうがその場によりそぐわしく、よりその場に溶け込んでしまう場合も少なくない。

 

どこの田舎かは語られていないが、その山あいの小さな村には1500人ほどの村人しか住んでいない。長らく無医村だったこの村に、3年ほど前、五十歳を過ぎた伊野修(笑福亭鶴瓶)という医師がやってきて診療所をはじめるようになり、それまで崩壊状態に近かった村の医療は何とか機能し始めた。村唯一の総合診療所には、年寄りの腰痛、ひざ痛から内科疾患全般、小児科の患で詰めかけていた。この診療所には、時に外科的治療の必要な患者までやってくる。映画「ディアドクター」(西川美和監督)の話である。伊野「医師」は、赴任して以来、場当たり的な処置をしても何とかぼろを出さずにやりくりし、場合によっては「名医」とあがめられたりもしていた。そんな診療所に、東京の医大を卒業した開業医を父に持つ研修医、相馬(英太)がやって来る。僻地医療を体験したいという。相馬はこの診療所が置かれた厳しい現実に戸惑いながらも、伊野「医師」の、実力はないが熱くならず患者に自然体で寄り添うように診療する姿に次第に共感を覚えるようになり、研修開けにはこの診療所で働きたいとまで思うようになっていく。きっとこの「医師」は心の優しい人なのであろう。そんな中、伊野は、一人暮らしの未亡人で、最近、胃の具合が悪く、体重が減ってきているかづ子(八千草薫)の病状が気になって仕方なくなっていく。素人目にも悪い病気のようだ。検査の結果は予想通り、胃がんであった。しかし彼女から、「先生、私はこのままで生活していたいし、東京で医師としてバリバリ診療している娘(井川遥)には心配や世話をかけたくない。だから病気のことは秘密にしておいて」と懇願される。夫を数年前に喪い、気持ちも弱っていたかづ子は、「娘に話せば東京で大がかりな検査が待っているに違いない。生きられるところまででいい」と思ったに違いない。伊野「医師」に「お願いだから娘の前で一緒に嘘をついてほしい」と懇願し、同意を得ることになった。

 

伊野には誰にも言えない秘密があった。実は贋医者だったのである。父は名門の医学部を出た名のある医師、一方の伊野は医者になれず、何とか大学を出て、医薬品を納める会社のMRを十年していた経験を持つ。日々の仕事の中で、自然と患者の姿を垣間見るようになり、一度くらい患者に感謝されてみたいと思うようになったのかもしれない。そんな中、偶然訪れた村で医者と間違われ、どさくさにまぎれて、一寸だけ医者をしてみようか、と思ったのであろう。それがいつの間にかずるずると3年も続いてしまった。そういう生活の中で、根は善良な伊野は次第に良心の呵責にさいなまれるようになっていく。あるとき相馬に「自分は贋医者なんや」と真剣に告白したりもするが、そんなことは夢にも思ってもいない相馬は相手にしない。ついに伊野の気持ちが切れるときがやってくる。かず子の娘にうその病状を説明しているうちに、自分のやってきた医療の限界と罪の深さに耐え切れなくなり、ついに伊野は失踪したのだ。

 

この映画は、「ゆれる」の西川美和監督が、過疎の進む小さな村で、住民から曲がりなりにも頼りにされていた一人の贋医師を巡って巻き起こる騒動を、今の日本の僻地医療の現状を巧く織り込みながら描いた異色のヒューマン・ストーリーである。この映画で出てくる伊野修は贋物であるが良い人である。いい加減であるがヒューマニティーを感じる人間である。贋医者の是非は云々するまでもないが、社会には、状況によっては、本物より偽物のほうがそぐわしい状況が確かにあることを思い知る映画でもある。

 

以前にも書いたように胃がんは、ヘリコバクター・ピロリ感染がリスクファクターにになることが明らかとなっている。オーストラリアのマーシャルが、1983年、コッホの三原則を実践し、ヘリコバクターが胃潰瘍の原因であることを証明したことに端を発する。マーシャルは、ヘリコバクターを胃液から分離し、それを培養することに成功したが、増殖させた菌を自分で飲んでみて、見事胃潰瘍を作ることに成功した。この功績により彼は、ノーベル生理学賞を受賞する。たった4年前のことだ。最近の研究から、ヘリコバクター感染が胃がんを引き起こす人とそうでない人がいることが分かってきたが、日本人とブラジルに住む日系人約 1500 人の遺伝子多型を解析した研究では、九割以上の日本人が、ピロリ菌の感染によって、胃がんの発症リスクが高まる遺伝子タイプをもっていることが判明した。

 

さらに最近の研究から、胃がん患者の約六割ががん細胞の増殖を抑えるブレーキ役の遺伝子RUNX3という遺伝子の活動が停止しており、これによりがん細胞が異常増殖するが、このプロセスにピロリ感染が影響を及ぼすことが分かってきている。五十歳以上の日本人の九割がこの菌に感染しているといわれているが、簡単に感染の有無は診断できるため、陽性の場合は、なるべく早く抗生剤とプロトンポンプインヒビターを組み合わせて除菌してしまったほうが、将来がんになる危険性が低くなることは言うまでもない。

 

高齢者の医療は、死につながる様々な疾患を早期に見つけて迅速に対応を図ることと、大きな変化がなく、寛快も望めないような慢性疾患とどのように付き合っていったらよいかに指針を与えることにあるような気がする。「不安」と顔に書いているような慢性疾患患者に定型的な医療は通用しない場合も多く、かえって根拠の乏しいファジーな診療が患者の心を癒す場合もある。日本の僻地医療は、医療政策の貧困さのせいもありかなり病んでいるが、大学で一線の医療を体得し、高邁な理想を掲げる医師より、「だめ医師」のほうが望ましい場合もある。伊野は、かづ子の娘が、一線の医師であったため、行き当たりばったりの説明をしている自分の姿に愛想がついたのであろうが、逆に私は医師の一人として、伊野の姿にいかばかりかの共感を覚える。

Copyright© Department of Neurology, Graduate School of Medical Sciences, Kumamoto University.