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「鑑定人と顔のない依頼人」-強迫性障害

  • 2014.10.1

「ニューシネマパラダイス」を初めて観たときから私はジョゼッペ・トルナトーレ監督作品には大いに注目してきた。「鑑定人と顔のない依頼人」はこれまでの作品とは趣を異にして、シリアスなミステリー映画ではあるが、初老の絵画鑑定士の深層心理をうまく描きながら、最後のどんでん返しまで見事なストーリー仕立てとなっており、見る者の心を最後まで掴んで離さない映画となっている。

 

絵画鑑定士でありオークショニアのヴァージル・オールドマン(ジェフリー・ラッシュ)は、うだつの上がらない画家であったビリーと上手く組んで、オークションで掘り出し物の絵画、特に美女を描いた絵画を廉価で落札していた。ビリーはかつては画家であったが、ヴァージルから「君の絵には心と神秘がない」と言われ画家の道を閉じた。今は詐欺の片棒を担ぐ役目に身をやつしていた。

 

心の中にヴァージルに対して好ましくない感情を抱いていたのかもしれない。ヴァージルの秘密の部屋には、おびただしい美女を描いた名画が所狭しと飾られており、仕事を終えるとその部屋にこもり、「美女たち」と会話しながら至福の時間を送っていた。

 

ある時、資産家の両親が死んだあと残した絵画や家具を査定してほしいという依頼が舞い込む。興味津々、屋敷に調査にやってきたヴァージルは、依頼人のクレアは対人恐怖症に陥り、大きな屋敷内のどこかにある隠し部屋にこもったまま姿を現さないことに興味を抱く。「きっと依頼人は若い女性で、訳ありの過去を持ち、絵画の女性たちのように美人かもしれない」。鑑定に訪れるたびに、ヴァージルの興味は募る。

 

屋敷の中の骨董品も吟味しているうちに、高価な値打ちのありそうな18世紀の壊れた機械仕掛の人形がみつかる。ヴァージルは、そうした骨董品の修理工であるロバートに見積もりを依頼するが、プレイボーイらしい彼にクレアのことも相談するようになっていく。あまりヴァージルのことを知らないロバートが、積極的に介入し、バージルの背中を推すのはみているものに奇異に映る。ある時、ヴァージルはこの屋敷から帰ったふりをして、物陰に隠れてクレアが現れるのを待っていると、何と年の頃二十歳前後の美しい女性が現れるではないか。ヴァージルの、この女性に対する好奇心は益々募っていく。

 

彼はそもそも特殊な人間であった。思春期以降この方、女と交わったことがない。いつも小奇麗にしてはいるが、少し剥げており、とても若い女性の心を掴みそうな風貌はしていない。女性を受け付けない理由はわからないが、それは彼の異常なまでの不潔脅迫観念(いわゆる不潔恐怖症)が関係しているのかもしれない。彼には行きつけのレストランがあるが、いつも手袋をしてナイフ、ホークを持ち、「マイ食器」でなければ食事がとれないでいた。女性と性的関係を持つことにも不潔感を感じていたのかもしれない。対人恐怖症のクレアとは同じ心のルーツを感じ、どことなく親近感をもっていたヴァージルは更にのめり込むようにクレアに近づいていく。あるきっかけがあった後、ぎこちない、断片的な会話から始まり、次第に心を開いていくかにみえるクレア。いくつかの諍いの後、ロバートの指南やビリーのプッシュもあり、二人は遂に打ち解け、一夜を共にするところまでこぎつける。この年にして遂にヴァージルは童貞を失うことになる。心が舞い上がる哀れなヴァージル。

 

ミステリー小説や映画の世界では、男が謎めいた美女と恋に落ちることは決まって破滅の始まりを意味する。恋の歓びが高まれば高まるほど、その先に待つ破滅の落とし穴は深くなる。ヴァージルはすっかりクレアの虜となり、結婚することにする。「オークショニアなどといった姑息な仕事はやめにして老後はクレアと今までの蓄財をもとに、悠々と暮らしたい」。彼はきっとそう思ったに違いない。最後のオークションにストックホルムに出かけ、有終の美を飾る。満足のうちに仕事を終え、愛妻の待つ愛の巣へ帰る。ところが何ということであろうか、クレアがどこにもいないではないか。ビリーも、ロバートも一切連絡が取れない。そして何より、秘密の部屋に飾っていたおびただしい「美女」の数々がすべて持ち出され、一枚の絵も残っていないことに愕然とする。何が起こったのか理解できないでいたヴァージルは、一縷の望みをもって、クレアの屋敷が一望できるカフェに長く居座り、数字の記憶力抜群の女性にクレアのことを訪ねてみた。何たることか、クレアは対人恐怖症で外出できないというのは真っ赤な嘘で、何百回も外出する彼女の姿を見ているというではないか。ヴァージルはこの時初めて、ビリーもロバートもクレアもグルで、自分が巧妙に仕組まれた罠にはまり、全てを失ったことを思い知ったのであった。恐らくかつて自分の絵を貶めたヴァージルに対し積年の恨みが募っていたのだろう。首謀者は間違いなくビリーだ。

 

トルナトーレ監督の周到に練られたストーリーの構成、配役が素晴らしい。神秘性をあおるため、廃墟となった古びた屋敷を探し、そこに初老の無垢な男性がころりと参るような妙齢の女性をあてがう。しかもその女性には心の障害を背負わせ、接触の機会を与えず、好奇心と同情心を煽る。またロバートという、若い女性の心を知り尽くしていると思わせる存在を用意し、頭初躊躇するヴァージルの背中を押させる。ただ、中心となるクレアが、絶世の美人というほどではない「小娘」で、みているものに「こんな女性と恋に落ちるのか」と思わせる点もトルナトーレ監督が周到に用意したトリックと言えるのかもしれない。

 

前述のように主人公のヴァージルもクレアも共通点を持っている。それは強迫性障害である。尤もクレアのほうは詐病である。この病気は強迫観念と強迫行為の二つの要素からなる。前者は、本人の意思と無関係に頭に浮かぶ不快感や不安感を生じさせる観念を指す。多くの人が、外出の折、鍵を閉め忘れたのではないか、石油ストーブを消したかなど気になった経験をもつが、一般人が、「たまにそういった経験がある」といった程度のものであるのに対して、強迫性障害患者の場合は、こうした観念に常に苦しめ続けられる点が異なる。強迫行為のほうは、不快な存在である強迫観念を打ち消したり、振り払うための行為で、強迫観念同様に不合理なものだが、それをやめると不安や不快感が伴うためこうした行為は簡単にはやめることができない。その行動は患者や場合によって異なるが、いくつかに分類が可能で、周囲から見ていると全く理解不能な行動でも、患者自身には何らかの意味付けが生じている場合が多い。加害恐怖、被害恐怖、自殺恐怖、疾病恐怖、縁起恐怖、不完全恐怖、恐怖強迫などありとあらゆるものがある。

 

最近、こうした強迫性障害が脳のNMDA型グルタミン酸受容体を介した代謝経路と関連しているのではないかとする研究が確からしいものとして受け入れられつつある。この受容体はグルタミン酸受容体の一種で、中枢神経の過敏現象に関わっている。また記憶や学習、また脳虚血後の神経細胞死などに深く関っており、様々な病気の成因にこの受容体を介した経路が関与していることがわかってきた。最近の研究では、メマンチンや麻酔薬として広く使われるケタミンがNMDA受容体に拮抗作用をもつことから、筋萎縮性側索硬化症(ALS)やアルツハイマー型認知症の改善薬として使われつつあるが、これを強迫性障害の治療薬として投与する試みが始まっている。

 

ヴァージルは物言わぬ優れた美術品を観る目は卓越していたが、結局女を観る目がなかったことが災いしてすべてを失った。失意のあまり病院に入院するシーンでこの物語は終わる。

 

最近私の息子が親もとを離れて男子ばかりの進学高校に通うことになった。女をほどほどに知ることが心の成長につながるのだと思っていた私は、この選択にある程度抵抗したが、後の祭りである。ヴァージル二号にならないことを祈る。

Copyright© Department of Neurology, Graduate School of Medical Sciences, Kumamoto University.