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「さざなみ」-一夫一婦制-

  • 2016.07.1

熟年離婚が後を絶たない。年を取り考えに幅がなくなる。人の話が聞けなくなる。自分のことしか考えられなくなる。特に新しいことのもの覚えが悪くなる・・・。そして何より、染みができ、髪が薄れ、「薄汚く」なる。時として砂時計のように短くなっていく自分自身の残りの時間に焦りを感じるようになる。そんな中で長年連れ添った伴侶が許せなくなる。若い頃は「愛」というブルドーザーの様な得体の知れない感情で、でこぼこ道も平坦にすることができていたが、若さを失い、美しさを失い活力を失うと、そうはいかなくなる。もっと年を取って「枯れた年齢」になると、あきらめの境地で人を許せるようになるのだろうが、初老という時期は、時として不安定な精神状態に苛まれることがあるのかも知れない。

 

ケイトとジェフは、45年連れ添った夫婦である。子供はいない。だからとりわけ寄り添うように生きてきたようだ。ジェフは会社を定年退職し、ケイトは大学の教授を退職し、今は一日中一緒にいるが、別にお互いを煙たがるようなことはない。映画「さざなみ」(アンドリュー・ヘイ監督)の話である。結婚40周年に友達を呼んで記念パーティーをするはずだったが、ちょうどその時期、ジェフは冠動脈狭窄症でバイパス手術を受けて実現しなかった。だからケイトは、その週末に行うことにした45周年パーティーを楽しみにしていた。「もう45年も経っただなんて」。その日もいつものように同じベッドで眠り、ケイトの入れたコーヒーを二人で飲みながら静かな朝を迎えていた。が、一通の手紙が来ていることに気づく。ジェフ宛てだ。何の気なしに読んでいたジェフは目が点になる。数十年も昔のケイトと結婚する前の話だ。ジェフはカチャという女性と愛し合っており、スイスアルプスに登山に出かけた。そこで予想もしない事故が起こる。彼女が誤ってクレバスに墜ち、万年雪の中に消えてしまったのだ。彼女の遺体が地球の温暖化のせいなのか、見つかったというのである。

 

捜索しても見つからないまま数十年の月日が経ち、ジェフの記憶のかなたにあった想い出だ。生々しさはないが、明らかに動揺するジェフ。すかさずケイトは尋ねる。「どんな人なの?」「前話したはずだ。カチャという女性だよ。何十年も前のことさ」「その人が生きていたら、結婚した?」「うん。たぶんそういうことになっていただろ」。その言葉にケイトの心は凍りつく。「もし彼女が生きていたら、私とジェフの結婚生活はなかったことになる。私たちの45年の夫婦の生活は必然ではなかったのか?今でも夫は彼女を愛しているのか」。

 

インテリジェンスの高い女性ほど、一度引っかかると深く考え、そのエアーポケットから抜け出せなくなる。次々に彼女の疑問、妄想が膨らむ。その夜からケイトは睡眠薬を飲まないと眠れなくなる。次の日の夜中、隣のジェフの部屋から大きな音がする。明らかにジェフが何かをしている。その次の日にジェフは町に出かけ、旅行会社に行き、スイス行きの航空便を調べたりする。彼の習癖を知り尽くしているケイトは、よせばいいのに旅行会社に行き、店員に「初老の男性がスイス行きの便を相談に来たでしょ」と確認し愕然とする。ジェフの留守を見計らって、彼の部屋を物色すると、彼のカチャへの思いを記した日記、手紙、更にカチャが映ったスライドが何十枚も出てくる。湖を背景に佇む写真の中のカチャは、恐らく二十代前半の最も美しい頃だろう。ケイトの嫉妬心に火がつき、ジェフへの45年間の信頼の歴史がもろくも崩れ去ろうとしていく。

 

一方で45周年パーティーの日は確実に迫ってくる。ジェフはそうしたことに無頓着なこともあり、式場のアレンジ、式次第、BGM、ダンスで使う音楽などはすべてケイトが決めてきた。しかし、件の手紙以来、カチャの幻影が亡霊のようにちらつき、追い込まれて行く。スクリーンで映し出されるカチャの姿は、美人で若々しい。一方、自分は肌の色つやも衰え、太刀打ちできない。カチャはジェフの心の中で永遠に若い頃の輝きを失わない。しかし、自分は若い頃の自分に戻って争うことすらできない。そんな思いに苛まれるようになる。それまでも多少不満はあったものの、伴侶と認めともに人生を歩いてきた。しかし・・・、横に座っている夫が無神経な老人に思えてくる。

 

遂に、どうしようもなくなった状態でパーティーの日を迎える。周りの盛り上がりをよそに冷めた感情は如何ともしがたく、雰囲気から孤立していくケイト。最後のジェフのスピーチは、最愛のケイトに向けられた感動的なものだったが、彼女の心にはまったく響かない。そしてダンスパーティーがはじまる。最初の曲は、ケイトが選んだ「煙が目に染みる」で、ジェフはケイトに顔を摺り寄せて踊り続けるが、遂に耐えられなくなったケイトは、曲の終了と共に彼の手を振り払ったところで、映画は終わる。

 

自分が薄汚い「じじい」になり伴侶が「ばばあ」になったときも夫婦には、本当に「愛」と呼べるようなものは存在するのだろうか。やはり年は取りたくないものだ。不老長寿の薬は永遠の人類の願望であるが、私の場合、長寿は希望しないが、不老の薬はあってほしい。

 

38億年のヒトの進化の歴史の中で、夫婦の形態はどのように進化(あるいは退化)してきたのであろうか。太古母系社会として進化してきたヒトの歴史の中で、一妻多夫制、多夫多妻制も一時期、一部の地域でなかったわけではない。しかし、体力的に能力の優る男は、社会的地位や経済的に優位に立つようになり、男が富を管理するようになる。このため、多くの資源をもった男性には複数の女性とその子供へ富と安全を提供できるようになり、一夫多妻制が営まれるようになってきた。このような傾向はサルにおいて顕著である。別府の高崎山に行くと、まるで戦国時代の殿様のように、ボスザルの周りに数頭のメス猿が侍っている光景がみられる。

 

そもそも男は妻とその子供を守る役割を担い、猛獣や他部族との戦闘に駆り出され、死亡するケースも少なくなかったと思われる。だから常に男は相対的に不足状態にあり、より効率的に子孫を残すためには一夫多妻制が合理的であった、とする見方もある。その頃の男には「代わりの女性」が幾人もいて、心に余裕をもって暮らしていたのかもしれない。昔のイスラム社会でも、戦闘状態が続いていたため、長らく一夫多妻制が取られていた。しかし、近代社会では社会の構造が整備され、富の配分もある程度なされるようになり、一夫一婦制度が定着しているかのように見える。特に年を取ると力関係が逆転し、しばしば女性優位になることもある。

 

鳥類、カエル、魚などの一夫一婦制を営む動物は、ヒトと同じように配偶関係にある雌に対して保護や食物の供給を行うものが多い。それを通じて投資を行い、雌の繁殖活動を助けることによって、自らの遺伝子を持つ子孫をより多く残す繁殖戦略をとるものと考えられている。より多くの雌と配偶関係を持つことによってより多くの子孫を残すのではなく、特定の雌に対して資源の投資を行うことで、雌との間に生まれた子孫を協力してより確実に成長するまで守ろうとする戦略である。

 

ケイトとジェフの関係はどうなっていったのかはこの映画では語られていない。それほど器用ではないジェフは、ケイトの心の変化には敏感ではなく、この二人の関係はさらに深刻化していった可能性もある。そもそもジェフが「カチャが生きていたらそのまま彼女と結婚した?」とケイトに聞かれたとき、彼女の心の動きを察知し、「いや、そんなことはない。君とは運命の赤い糸で結ばれているから」とでも言ってやりさえすれば、それで終わった話である。人生には三つの坂がある。登り坂、下り坂、まさかの坂。Y遺伝子にプログラムされた、たった80個ほどの遺伝子がそれを制御しているが、その中には「まさか」を察知する遺伝子は含まれていない。我々男は、男と女は全く違う生き物なのであることを知らなければならない。

Copyright© Department of Neurology, Graduate School of Medical Sciences, Kumamoto University.