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世界アミロイド―シス学会in Uppsala―理事長選挙

  • 2016.08.1

私は大学でもう30年以上も遺伝性アミロイドーシスの一型である家族性アミロイドポリニューロパチー (Familial Amyloidotic Polyneuropathy) (FAP)という病気を研究している。アミロイドとは体の中にナイロンの様な不溶性のタンパク質が溜まる病気の総称で、アルツハイマー病では脳に老人斑と呼ばれるアミロイドの塊が沈着し認知症が起こるため、この病気もまたアミロイドーシスに分類される。現在までに33種類の異なる原因によるアミロイドーシスが発見されているが、FAPもこの疾患群に分類される。トランスサイレチンと呼ばれる血中を流れる127個のアミノ酸からなる蛋白質のたった一個のアミノ酸が遺伝的に変異した異型トランスサイレチンが、何らかの機転で不溶性のアミロイドとなり、末梢神経、自律神経、心、腎、消化管、眼などの臓器に沈着し、様々な機能障害を引き起こす。発症すると激しい下痢、手足のしびれ、立ち眩み、心・腎障害、勃起障害、尿失禁などを呈しやせ細り、やがて寝たきりとなる。この病気は、成人を過ぎ、就職、結婚、子供の誕生といった社会人として最も重要な30歳代前半に発症し、数年もすると社会生活を送るのが困難となるため、患者、家族に様々な社会的、経済的、精神的な悲劇を引き起こしてきた。一般に、発症から約十年の経過で死を迎える悲惨な病気であるが、更に不幸なことは、この病気は常染色体優性遺伝の形で遺伝するため、自分の遺伝子が子供に遺伝する可能性が50%あるということである。だから子供を持つ患者家族の心労は計り知れない。しかし近年の分子生物学的研究の進歩により、他のいくつかの遺伝性疾患と共に病気の進行を遅らせたり、命を保証する治療手段が現れてきている。

 

熊本大学を卒業し神経内科を目指した私は、当初、脳卒中やALS、多発性硬化症など患者数の多い疾患を研究したいと願っていたが、熊本県北部の、この病気の患者フォーカスがある地域の病院に赴任した私は、FAP患者との心の交流を経てこの病気の研究にどっぷりつかった。私は一貫してこの疾患を克服する道を切り開くため、必死で戦ったのである。

 

FAPは、わが国では熊本県、長野県に患者の大きな集積が見られるが、私がこの病気の診療研究を始めた当時は癌や糖尿病、リウマチといったcommon diseaseとは比較にならないほど患者数が少なく、あまり注目されていなかったため、研究者も少なかった。しかし、異型トランスサイレチンが主として肝臓で産生されることから、これを抑制する目的で肝移植が行われるようになった1990年代前半から俄然脚光を浴びるようになり、世界で多くの学者や臨床医がアミロイド形成機構や、病態解析、治療研究に参戦してきた。同時に日本各地にこの病気で苦しむ患者がいることが確認され、患者数も大きく増加した。世界的に見ても、以前は、日本、ポルトガル、スウェーデンに限局した疾患と考えられていたが、今では世界中どこに行ってもあるありふれた病気になろうとしている。隔世の感がある。治療に関してもかつて不治の病であったこの病気が、今では進行を遅らせる低分子化合物や根治療法として遺伝子治療、我々の抗体治療など様々な治療法が研究され、実用化されようとしている。

 

私は、1996年4月から1998年3月までこの病気を研究するためスウェーデン北部に位置するウメオに留学した。そこにはFAP患者200人ほどが住んでいて、夢中で診療・研究を行った。あれから20年の月日が流れた。

 

スウェーデンと言うと多くの人は冬の雪と氷、オーロラの世界を連想するかもしれないが、圧倒的に美しいのはむしろ夏だ。眩いばかりの空と湖の青、そして短い夏を精いっぱい享受しようと木々や草花が緑の葉や花々をつけ、そのコントラストは息をのむほど美しい。特に夏はビヨークと呼ばれる日本の白樺にあたる木の葉の緑が目に迫ってくる。そんな中でよく湖で泳いだものだ。

 

私は今年の7月1日から約一週間、世界アミロイド―シス学会に出席するためウメオから200 Kmほど南に位置する北欧最古の学園都市ウプサラに滞在した。私が初めてこの学会に参加したのは1987年の箱根の学会からである。あの時世界から集まった研究者は高々200-300人であったが、今はその2−3倍に膨らんでいる。分子生物学レベルのさまざまな研究が行われ、当時は想像もできなかったような治療研究が進み現実になろうとしている。留学後もスウェーデンには共同研究などで何度か訪れたが、最近はアメリカの出張が多く、気がついてみると10年ぶりの里帰りであった。

 

ウプサラに着いてみるとコートを羽織らなければならないほど寒い。まるで日本の10月末の気候だ。そういえば20年前、二夏、うんざりするような日本の猛暑を逃れこうした環境の中で診療・研究に没頭できたのだった。今回の学会出席の目的は、私がずっと研究してきた、FAPの抗体治療の成果を講演するとともに、私がノミネートされている、この学会の理事長選挙の結果を見届けることだ。対抗馬はアメリカ人だ。選挙は会員のインターネットによる投票と会場での直接投票の総計によって公平に行われるが、40%の会員がアメリカ人であることを考えると勝てるはずはない。そう高をくくっていた。だから選挙期間中も別段選挙運動もせずに過ごした。ただ心のどこかに「もしかしたら」という気持ちがあり、白夜ということも手伝って寝不足の日が続いた。

 

最終日の7日、総会が開かれ開票結果の発表が行われた。Yukio Ando is the president. 私にとってはまるで「Oscar goes to」とやるアカデミー賞の発表の様であった。50年のアミロイドーシス学会の歴史の中で初めてのアジア人の理事長である。また一段と忙しくなる、と思う反面、一度始めたことを一生懸命やり続け頂点に上り詰めた達成感もあった。

 

最終日、ストックホルムに立ち寄った。私がいた頃、スウェーデンの人口は800万人と言われていたが、その後移民を受け入れたこともあり、今は1000万人に迫ろうとしている。行きかう人々を見ていると明らかにスウェーデン人以外の人が増えている気がした。

 

この国の良さは外国人にやさしいところだ。昨年あたりから激増しているシリアなどの難民に対して北欧は寛大であったが、まずデンマークが音を上げ、難民を排斥するかの様な政策を展開し始めている。無理もない。宗教も文化も生活習慣も全く違う難民を受け入れるのは忍耐が必要だ。ではスウェーデンはどうなのか。学会中スウェーデン人の仲間に本音を聞いてみた。「確かにスウェーデンでも今最も大きな問題になっている。だってこの1年25万人も受け入れたんだから」。日本の人口比に直すと日本で300万人近い難民を受け入れたことになる。ところが「問題」の意味が少し違っていた。スウェーデン人の議論の中心は、難民を受け入れることによって生じるスウェーデン人の就職難や税金の無駄遣いではなかった。「難民にどうやってスウェーデン語を教え、仕事を覚えさせ、働かせるかが議論の中心だ」という。人間が集団で暮らすと必ず軋轢が起こる。スウェーデンも当然麻薬、暴力、誘拐、レイプなど多くの国でおこっている問題を抱えているが、他の国で嵐のように巻き起こっている難民に対する排斥、排他的行動は起こっていないという。

 

当然のことながら人は助け合わなければ生きていけない。きっと北ヨーロッパの中でもとりわけ寒さの厳しいスウェーデンでは、人々は極寒の中で助け合わなければ生きていけないことを学んだのであろう。私はこのような国に住み、国民番号をもらい、医療費はすべて只というような生活を送ったことを誇りに思っている。

 

かつてこの国は税金を下げるかどうかの国民投票が行われたが、多くの国民は福祉レベルを保つため、高い税金を払っても良いとする道を選んだ。一方日本ではまた消費税増税が見送られ、遂に国の借金は1000兆円を超える。借金のつけは必ずやってくる。その時我々はこの世にはいない可能性が高い。子供たちにあの世からどう言い訳をするのであろうか。

Copyright© Department of Neurology, Graduate School of Medical Sciences, Kumamoto University.