最新の投稿

「ストリングス」ー双生児

  • 2007.07.1

少子化は、日本社会の大きな問題であることはいうまでもないが、そもそも、子供を持つということが社会の中で不利になる構造がある以上、これを解決しなければ、子供を持ちたいという若い夫婦は増えるはずがない。一人なら何とかやっていけても、同時に二人も生まれてしまった共稼ぎの夫婦が抱えるであろう労苦は想像に難くない。双子の頻度はほぼ人種を問わず世界で200-300回のお産に一回の頻度で起こっている。いうまでも無く、双子は一卵性と二卵性があるが、一卵性双生児は1個の受精卵が何らかの要因で二分割され成長したもので、生まれてきた二つの命のもって生まれた遺伝子は同じであるが、二卵性双生児は排卵時に2つの卵が排卵され、それぞに違う精子が結合するため、遺伝子情報の違いは出生日の違う兄弟と同じ関係にあるが、二卵生双生児の兄弟はまったく同じ時期に同じねぐらで十月十日を過ごした期間に培われた「絆」があるのか、普通の兄弟よりもより似ているように見える(「同じ釜の飯」を食うと似てくるのかもしれない)。一卵性の場合、ほとんどが双生児であるが、カナダでは一卵性五つ子が確認されている。今日のように排卵誘発剤が無かった時代のわが国の統計(1968年時)では、双生児は156回に一回、三つ子は1万八千回に一回、四つ子は100万回に1回となっている。当然のことながら五つ子以上の統計はない。
これに対して二卵性双生児の頻度となると明らかな人種差があることが知られている。理由は正確には明らかにされていないが、日本人や中国人が約400回に1回の出産頻度であるのに対し、白人は150回に1回、黒人はさらに頻度が跳ね上がり25回に1回の頻度となる。この双生児率は妊娠年齢と相関があり30歳代後半が最高で、その後その頻度は低下する。さまざまな研究から、性腺刺激ホルモンのゴナドトロピンの血中レベルと明らかな相関があることがわかっている。また1年の中では4月に双生児が生まれる確率が一番高いという興味深いデータもある。こうした多胎の体質が遺伝するかを調べた興味深い研究があるが、多胎の母を持つ娘も明らかに多胎であるとする報告がある。実際、西ナイジェリアなどの特定の部族では二卵性双生児の頻度が著しく高い。これはこの地域では感染症などで乳児死亡率が高いため、多胎を種族繁栄や豊作の象徴として尊ぶ習慣があり、そうした血統の女性が重用され、自然淘汰されてきた歴史的背景があるのではないかと考えられる。

ヒトは見えない糸(ストリング)で繋がっている。地域と地域、国と国も見えないストリングスで繋がっている。中国で雨が降らないと日本海側の町では視界が不良になるくらい黄砂が舞う。中国で工業活動が盛んになると炭酸ガスが大気中に大量に排出され、その影響で酸性雨が降り、光化学スモッグが日本の都市で発生する。北朝鮮で核実験をすると日本の大気の放射能の活性が上昇する。環境汚染は一国エゴが隣国に深刻な事態を引き起こすことはいうまでもない。また社会の構築においても、アメリカ社会のようにWASP(White Anglo-Saxon Protestant)はしばらくは黒人層を低級労働者層として社会を構築してきたが、社会が益々多様化する中で、ヒスパニック系人種の増加もあり、様々な軋轢が生まれてきている。社会に様々なストリングスがからまり合い複雑になると、ひとつの地域、ひとつの国だけが豊かになる、という構図を描くことは今や不可能となっている。医療の世界も例外ではない。ひとつの地域のいくつかの病院のうち1つだけが繁栄する構図は、地域、自治体を駄目にしてしまう。

デンマーク映画、「ストリングス」はマリオネットたちが生きる世界の宿命を描いた異色の操り人形を用いた映画である。500万ユーロ(約6億円)の製作費を用いて4年の歳月を費やし、150人のスタッフを集め、23週間の撮影を敢行したというこの映画手法の斬新さ、その出来栄えの素晴らしさにはまったく驚かされる。映画の冒頭、あえて人形師たちが人形を操っている様子を映し出し、本来隠そうとする人形の糸をしっかりと意識させようとする演出は見事というほかはない。一体の人形に取り付けられた無数のストリングス、その糸を22名の人形師が操り、115体の人形に生命を吹き込んでいく。次の瞬間、その人形は呼吸を始め、操られていることが嘘のように“演技”を始める。単純な人形劇であることを忘れ、画面に吸い込まれていく。人形につながった糸を意識させられながら人形劇であることを忘れてしまう不思議な映画である。

その昔、へバロン王国では何百年にもわたり争いが続いていた。その世界では、全ての生き物の手足、頭からそれぞれ糸が繋がっており、はるか天上へと伸びていた。人々はストリングスで繋がっていることを実感しながら生きていたのである。人々はそれが切れた時、命は絶えることを知っていたし、愛を分かち合う運命の相手とは、身体から伸びた糸同士が天空で繋がっていると言われていた。ある嵐の夜、年老いた国王カーロは、これまでの暴政を悔い、息子のハルに新しい可能性を託すため自ら頭の糸を切って自害する。弟のニゾがカーロを精神的に追い込んだためであった。ニゾは巧妙に立ち回り、へバロン王国と敵対するゼリス一族の長、サーロらの仕業と見せかける。若き王子ハルは、突然の訃報に触れ、激しく憤り、父の仇を討つため城を後にする。だが、ハル王子のいなくなったお城はニゾの思う壺となり、ハルの妹ジーナ、エリトの妻アイケらはニゾにより幽閉されてしまう。ハルはサーロを探しさまよう中で、名君として尊敬して止まなかった父は、実は暴君で、多くの民衆は苦しみ、罪もない人々が死んでいったことを知り、激しく動揺する。そんな中、異民族の女性・ジータと出会い、深く情熱的な恋に落ちる。二人が語らうとき、カールの手が挙がるとジーナの手が下がることがわかる。愛し合う二人は愛という絆(ストリングス)で繋がれていることを確認しあう瞬間である。

建国して200年足らずの国と、今でも王様が住んでいる北欧(デンマークもスウェーデンも今でも王国である)とは国というものに対する思いも違うし、人とひとの絆に対する感覚も大きく異なる。アメリカがヨーロッパの国々と比べて明らかに経済活動を優先し、環境保護活動にいまだに積極的でないのは、子孫に少しでも住みよい環境を残したいとする絆意識が欠落しているからのように思えてならない。北欧に住んだ私にはそのことがひしひしと伝わってくる。ハリウッドは「ストリングス」のような映画は決して作ろうと思わないであろう。コンピュータ・グラフィックスを駆使し「ファインディング・ニモ」のような胸躍る躍動的な映画はアメリカの十八番で確かに面白いのだが、こうした深く深層心理に触れ、木のぬくもりを感じる映画はヨーロッパ、特に北欧のお家芸である。

ところで遺伝子も2本のストリングスが絡まりあってできている。ヒトの身体は60兆個の細胞からできているが、そのうち身体の成り立ちを規定するDNAは全部集めてもわずか3.18ngにしかならない。全人類のDNAを集めても高々2.0mgである。しかしこれを遺伝子の糸の長さで表現すると592億kmにも達する。地球から海王星への距離は1億kmに過ぎないのだからそれと比較すると莫大な距離になる。そのうちの1つの遺伝子、1塩基の変異は大海原の前に横たわる海岸のたった1つの砂粒の違いに過ぎないように思えるが、これをピアノの鍵盤に喩えると、一音の違いは時として全く違った音楽になってしまう。点変異によっておこる遺伝性疾患とはそう説明するとわかりやすい。

Copyright© Department of Neurology, Graduate School of Medical Sciences, Kumamoto University.