最新の投稿

「ヒポクラテスたち」ー当世医学生気質ー

  • 2018.04.17

「君たちは人間の病気で、名前が付いているものがいくつあるか知っているかい? 約25,000あるんだ。そのなかで治療法が分かっているものは約5,000しかないんだ」。映画「ヒポクラテスたち」(大森一樹監督、1980年)の中でポリクリ(臨床実習)の学生たちを前に、担当教官がマイケル・クライトンの小説「緊急の場合は」に書かれている文章を紹介する場面だ。あれから40年近く経つが、発掘される新しい疾患、新しい治療法は増える一方だ。

この映画は大森監督が在籍した京都府立医大や東邦大学病院で撮影されているが、ところ変われど当時の医学生がやっていたこと、受けていた教育システム、そして抱える悩みはどこも同じで、当時熊本大学の医学部生だった私は見ていて大いに共感を覚えた。終生臨床を基盤にして研究をしたいと漠然と思ってはいたものの、どこの診療科も何らかの魅力があり、どこに進むかは決めきれずにいた。手塚治虫が小児科医として登場したり、「普通の女の子になりたい」と宣言して引退したばかりのキャンディーズの伊藤蘭が女子医学生として登場したり、医師である大森一樹が監督をしたりとこの映画は何かと話題も多く、その年のキネマ旬報3位にランクされている。その映画を36年ぶりに再び観た。

荻野愛作(古尾谷雅人)は洛北医科大学の6年生である。4年生までの座学を終え、5年生から6年生にかけて数名ずつに分かれて臨床の教室を回るポリクリが行われている。当時の患者のプライバシーはいわば野ざらし状態で、医学部生が、あまり制約なく問診や診察を見様見真似で行う「おおらかな」時代であった。当時「プラカン」と呼ばれた臨床講義では、大きな講義室に患者を引っ張り出し、学生の目の前で患者の胸や患部を晒しながら診察が行われ、教授がその所見のコメントをする、といった今では考えられないような授業もあった。産婦人科や泌尿器科のポリクリでは、どうしても性的な問題が絡み、医学生にとっては目にするもの一つ一つが興味津々で、全くお恥ずかしい話だが、そうした科で垣間見た患者の話を、男子学生同士で時として面白おかしく話したりした。「そういう時代」だった。

愛作のポリクリグループには、親が産婦人科医でなんとなく医大に進学した河本一郎(光田昌弘)、地域医療への情熱に燃える大島修(狩場勉)、すでに三十歳を過ぎ妻子がありアルバイトをしながら大学に通っている加藤健二(柄本明)、野球少年がそのまま医学生になったような王龍明(西塚肇)に加え、いつまでたっても医学部になじめない、優等生の木村みどり(伊藤蘭)がいた。映画では、それぞれの学生が将来への不安や私生活の問題を抱えながらも、臨床実習を通して次第に医者として成長していく姿が描かれている。にせ医者が引き起こす医療問題や、一県一校の新設医大に加えて、防衛医大や自治医大、産業医大、といったそれまでとは異質の医大が登場してきて、その存在をめぐり議論が巻き起こっていた時代である。まだ救急医療が整備されておらず、患者が病院をたらい回しにされた後死亡する事件が次々に社会問題となっていた時代でもある。これに対して立ち上がった徳田虎雄が徳洲会病院を全国に作りはじめ、医師会と対立していた。徳洲会の職員が熊本にも来て講演会をしたことを今でも鮮明に覚えている。そうした時代背景をうまく折込んでストーリーを展開させた監督の映画作りは特筆される。

愛作には付き合っている彼女がいる。図書館の司書である。その彼女が妊娠する。二人は中絶の道を選ぶが、彼女の術後の経過が良くない。ある夜、あまりの腹痛のため、河本に頼んで父親に応急処置をしてもらうが、結局軽快せず、京都の田舎に入院したまま帰っていく。彼女自身も、父親も兄も特に愛作を攻めようとはしない。それは愛作の人間性のなせる技かもしれないが、医学を極める者に対する当時の日本人のリスペクトと寛容さのまだ残っていた時代だったのかもしれない。後にマスコミによって明らかにされるが、彼女が手術を受けた産婦人科の執刀医はにせ医者だったことが判明する。愛作はこの事件を機に心の平穏を失う。

そもそもみどりは高校時代成績がよかったので、親に勧められて医学部を受験し、現役で合格し、入学後もまじめに勉強し、成績は上位だった。しかしポリクリで常に死と隣り合わせの臨床現場での体験、患者との触れ合いや救急医療を体験する中で、自分は医者に向いていないのではないか、という思いに苛まれて行く。結局彼女は卒業直前のある日、自らの命を絶つ道を選択する。

あの頃学生だった我々の世代は2年間の医学部進学過程(教養教育)を経て3年生から専門課程が始まり、やっと医学部生になった実感がわいた。入学して2年間は英語・数学、第二外国語、社会学などの授業を受けたが、勉強とは名ばかりで、全く馬鹿になるくらい遊んだ。映画好きの私は2年間でポルノ映画を含む300本近い映画を観たし、本もよく読んだ。母に2万円もらい夏目漱石全集を買いむさぼり読んだ。ずいぶん飲みにも出かけ、やんちゃなこともし、恋もした。ラグビー部に入ってタックルで左耳の鼓膜を破った私は、あっさりやめ、ひょんなことから地元のラジオ局に出入りするようになり、足かけ5年間自分の番組をもっていた。あの頃の自分を振り返ると赤面するような思い出も多いが、そんな中でいかばかりかの人間形成もできたような気がする。

今の医学生はあの頃と比べて圧倒的に余裕がない。人生のことを深く考えたり、愛とか恋とかで悩んだり、部活に没頭していたりすると留年する可能性まであると考えている節がある。大学によってその割合は異なるが、入学時の仲間のうち、約3割が途中で留年を経験し卒業を迎える時代になった。今は4年から5年に上がる段階で基礎、臨床の知識を広くコンピューターを使って問うcomputer based test (CBT)と臨床診断実技試験が義務づけられ、国家試験と合わせ2回のチェックポイントを経て医師になるシステムが導入されている。勉強ばかりで、「こんなはずではなかった」と心がおかしくなる学生が後を絶たないので、どこの大学でも精神科が中心となって学生のメンタルケアをするシステムが作られている。

更に医学生を苦しめるのはアメリカで医師をするための国家試験であるEducational Commission for Foreign Medical Graduates (ECFMG)の受験資格が、2023年から国際認証を受けた大学医学部の学生にしか認められないようになったことだ。日本の医学教育はグローバル化が著しく遅れて、明治以来、まるで携帯電話のようにガラパゴス化しており、今のままではとても国際基準を満たさない。これまでの教育は座学が中心で、実習型の教育は6年間で40週ほどしかなかったが、アメリカでは久しい以前から70週以上の実習教育を行っており、これを日本の教育にも求めてきている。だから抜本的なカリキュラムの改定が必要になる。アメリカ型の教育システムは、教養や基礎医学を含む幅広い医学知識を習得することを目的とせず、専門医を育てることを目的にしているかに見える。Early clinical exposureと呼ばれる早期臨床体験実習が1年生から入ってきて、基礎医学や教養教育にどっぷりつかる余裕など今の学生にはもはやなくなってしまっている。医学部の医学専門学校化が進む危険性がある。

熊本大学では最近ドラスティックなカリキュラムの改定を行ったところ2年生など夏休みが3週間ほどしか取れなくなってしまった。こんなことでは豊かな人間性をもった知力、体力、気力、心が充実した学生を養うことはとてもできないように思える。患者の話を聞く、患者の心に寄り添うように診療する、メディカルスタッフと良好なコミュニケーションをとりながら診療する、などといった人間力を、一体どこで養っていくのか。診療スキルだけは以前の医学生よりも秀でているものの「患者の心」に寄り添えない医師が増えているような気がしてならない。未来の医師は一体どうなっていくのか。AIが医療にどう関わっていくのかも大きな問題である。大変な時代がやってくる予感がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Copyright© Department of Neurology, Graduate School of Medical Sciences, Kumamoto University.