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「ブラインドネス」-角膜ヘルペス感染症

  • 2010.07.1

「目は口ほどにものをいう」、「目ぢから」、「眼力」、「目は心の窓」など、眼が言葉を持つことを物語る表現は枚挙にいとまがない。何十年か前に、心に残っている点眼薬のCMに、「あなたの瞳を見つめていたら、私が小さく浮かんでいたわ」というのがある。確か天地真理が歌っていた。このCMがはやったのは私が高校の頃であったが、私には1学年下に大好きな女学生がいた。思いがかなってはじめてのデートは小さな喫茶店であった。観光客は多かったが、垢抜けしない温泉町に住んでいた私は、コーヒーの種類もわからず、また何を注文していいのかもわからないまま、緊張の時が流れつづけた。視点が定まらない中でやっと垣間見た憧れの彼女の澄んだ瞳に感動しながら、少し間延びした自分の顔がくっきりと浮かんでいるのを見つけることができた。その日の感動を日記に記したことを昨日のことのように覚えている。

 

「目が見えなくなる」という現象は、それにより物理的な位置関係の見当がつかず、日常生活がマヒし、生活力を失うという切実な問題をはらんでいるが、突然何の前触れもなく訪れる盲目は、ヒトという動物が進化の過程で獲得したもっと根源的な機能を失うことを意味する。ヒトという動物種が地球上に誕生して数百万年の時が流れているが、その間の進化の過程で、ヒトは相手の動作だけでなく、目を含む顔の表情、微細な目の動きを察知し、相手の気持ちを推し量るシステムを手に入れている。目が見えないと、そうした能力を発揮できないので、相手の考えていることがわからない、恣意に満ちているのか、好意から言っているのかさえ判断がつかなくなる。そうした状況の中では、自分の姿も省みることができなくなり、羞恥心さえかなぐり捨てることも可能になる。見えない、そして人から見られない、ということは想像を絶する世界を誘導する。

 

「新型インフルエンザのパンデミック(感染爆発)は本当に起こるのか、が問題では無く、いつ起こるのかが問題であるといわれて久しい。映画「感染列島」は、まさにそれをシュミレーションし、その恐怖をまざまざと見せ付けたが、こうしたパンデミックを扱った映画として異色なのは、私の大好きな女優の一人、ジュリアンムーアが主演し話題となった映画「ブラインドネス」(フェルナンド・メイレレス監督)である。

 

アメリカのある都市で、ひとりの若い日本人青年が突然失明する。何の前触れも無く、車の運転中に突然目の前が真っ白になり、視力を完全に奪われたのだ。青年の婚約者、そしてそれを診察した眼科医、クリニックの従業員と次々に感染の輪は広がっていき、パンデミック(感染爆発)となっていき、あっという間に世界中に伝搬していく。何らかのウイルス感染が原因らしいが、何の情報もなく、それを証明する手立ても、阻止する方法も治療法もない。なすすべも無くパニック状態が続いていく。これ以上の混乱を恐れた政府は、失明患者の強制隔離を始める。P3の実験室に入室するような防護服に身を包んだ政府職員は、厄介者か犯罪者を扱うように、患者たちをかつて精神病院だったという収容所に軟禁することにする。やがてそうした職員も発症する運命にあるのだが。患者たちは、目が見えないことに加えて、将来に対する不安と恐怖、苛立ち、そして食料の醜い争奪戦が繰り広げられていく。人間の本性は悲しい。「人は悲しみが多いほど、人には優しくできるのだから、と「贈る言葉」には歌われたが、それはあくまで衣食足りた中でのことである。ヒトはモラルが通用しない世界に置かれると、限りなく落ちるところまで落ち、食欲、性欲、支配欲が顕となり、力の強いものは限りなく暴力的になるものである。

 

秩序の崩壊した、一部の暴徒と化した患者は、支給された食料を独占し、金品と引き換えに食料を渡そうとする。差し出す金目のものが尽きたとき、この恥知らずの男どもは、女を差し出せば食糧を渡すと言い始める。空腹も極限状態に達し、生きるために戦うことを決意した数十人の女性は、女の尊厳を捨てる道を選ぶ。目が見えていれば、果たしてここまで羞恥心と屈辱を捨てることができたものであろうか。

 

突然襲いかかる「失明」という恐怖……最近、この手のパニック系映画は新興感染症の台頭とともに、多くなった。そうした映画で描かれるもの、それは「カオス」の中にみる人間の醜さや恐ろしさであり、この「ブラインドネス」と同様である。しかしこの映画の新しさは、「見えない」ということの問題提起にある。夫、妻、恋人、子供……一緒に暮らしていて、傍にいて、ちゃんと「見えている」はずなのに実は心の奥までは見えていないのではないか。もっというとこれまで見るのが怖くて見ようとしなかったのではないか、ということまで問いかけようとするこの映画は、突然のブラインドネス引き起こすそうした心のありようを浮き彫りにしていて何んとも興味深い。

 

眼疾患を引き起こすウイルスにヒトヘルペスウイルスがあるが、これには2種類のウイルスがある。単純ヘルペス性角膜炎と眼部帯状ヘルペスである。前者はDNAウイルスである単純ヘルペスウイルスが引き起こす。80種類以上の遺伝子をもつ150 Kbpのゲノム全長からなるウイルスである。感染したヒトの細胞の細胞質を自身のエンベロープとして保有し、その内側にカプシドと呼ばれる袋があり、その中にウイルスDNAが詰め込まれている。成熟粒子は100〜150 nmと比較的大きなウイルスである。ヘルペスウイルス科に属するウイルスは一様に線状の2本鎖DNAをゲノムとして持つDNAウイルスで、その増殖は宿主細胞の核内で行われる。単純ヘルペスウイルスは、ひとたび感染すると、神経にそって上行し、脊髄神経節や三叉神経節に潜伏感染する。潜伏感染時にウイルスDNAやタンパク質は合成されないため、何の症状も起こさないが、宿主側の何らかの原因により突然のように増殖を始め、症状を引き起こす。このウイルスが脳・脊髄液の中で繁殖し猛威をふるうと脳炎を引き起こす。我が国では、衛生環境が改善され、日本脳炎はほとんど起こらなくなった中で、中枢神経症状の後遺症30-40%に昇るもっとも重篤な脳炎となっている。治療は、DNA合成阻害薬のアシクロビルが有効であるため、ウイルスの遺伝子診断などで早期診断が不可欠である。

 

角膜炎には点眼薬もあり、ヘルペス角膜炎には使用されるが、使い続けていると再発することが知られている。角膜の上皮に留まるケースでは、抗ウイルス剤が効けば治るが、角膜の実質に浸潤していくタイプでは再発を繰り返すことがしばしばありなかに遷延するとブラインドネスになる。ヘルペスウイルスというと、コイ(ニシキゴイ)の致死的病気の原因ウイルスの名前としても有名である。数年前、アメリカや日本で猛威をふるったが、その後沈静化して、話題にすら上らなくなった。

 

「ブラインドネス」では、ジュリア・ムーアが全く化粧っけなく、中年の眼科医の妻を体当たりで演じているところがいい。アングロサクソンは、化粧を落とすと顔だけでなく、手足、体幹部いっぱいにそばかすがある人も少なくないが、彼女はそうした肢体を惜しげなくさらけ出し、体当たりでこの役を演じた。暴徒化した男たちが女を求める中で、ジュリアンも志願者の一人となるが、彼女がその瞬間をどういう思いで演じたのか、そのコメントを読んでみたいと思っている。

Copyright© Department of Neurology, Graduate School of Medical Sciences, Kumamoto University.