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「ボーイズ・ドント・クライ」-小頭症

  • 2011.04.1

ティラノサウルスは体重6トン、身長12mもあった中生代白亜紀後期最大の肉食恐竜である。今から一億年前ほどの地球ではこのティラノサウルスが獲物をほしいままにあさっていたと考えられている。名前は「暴走トカゲ」という意味をもつが、ステーキナイフ状の強靭な歯と2本の鋭い鉤爪を持ち、どんな動物も八つ裂きにできる力を持っていた。一方トリケラトプスも、同時期に生息した巨大な草食恐竜である。身長は、15mはあったと考えられている。いったいこの恐竜の両雄が戦ったとしたらどちらが勝ったのだろうか、という興味深いテーマを掲げ、現存する化石や骨を元に綿密に考察した番組が最近あったが、これがなかなか面白かった。動物の争いは、もろに体力勝負となる。身体は大きいが、ティラノサウルスより獰猛さや筋力で劣るトリケラトプスが餌食になったというのは想像に難くない。実際、トリケラトプスの首や胴体の骨には、ティラノサウルスが襲撃し、深く噛み付いた歯形が残っているが、面白いことに、傷を負った骨が再生しているものがかなり残っているようだ。トリケラトプスは、そのまま戦いに敗れ八つ裂きにされたのではなく、傷を負いながらも逃げることができ、九死に一生を得たことを物語っている。では何故トリケラトプスは命をつなぐことができたのだろうか。ティラノサウルスは、ダチョウの走るスピード(60 km/h)よりは若干遅いものの、足の筋力から推測すると、40km/hくらいでは走ることができたと推測されている。逃げようとするトリケラトプスを追撃するに十分なスピードである。しかし、にもかかわらず何故取り逃がしてしまったのか。それはティラノサウルスの大きな頭にあるという。大きな頭、重い角では直線距離はかなりのスピードで走ることができても、蛇行して逃げられた場合、身体がぶれてよろけ、取り逃がしてしまうというのだ。なるほどトラック競技のアスリートは美しい八頭身が多い。この身体のバランスこそが、トラックのカーブで重要なポイントとなる。

 

白亜紀からさかのぼることしばし、1000万年前ほどになり、やっと類人猿が登場する。その後猿人が登場し、やっと2足歩行をするわれわれの祖先が登場するのは、300万年ほど前のファール人を待たなければならない。ヒトは進化の過程で、直立歩行と大きな頭を手に入れた。これによって両手が使えるようになり、そのことが進化に大きく貢献したことは言うまでもないが、直立二足歩行の結果、肺などの重みに引っ張られ、気管支が下に下がり、それにより喉の構造が変化し、飲食物と呼吸による空気が同じところを通るようになってしまった。この進化は、嚥下筋が衰えた寝たきり患者の誤嚥性肺炎を起こし、死亡するといった事態を引き起こすことになる。この進化により必然的に舌やあご、喉頭、咽頭の各筋肉を高度に制御する必要が生じ、脳神経や筋肉が発達する。また脳が大きくなる過程で、顎が小さくなる必要もあり(かみ合わせによる大きなあごの振動を防ぐ必要がある)、必然的に今の人間の頭の骨格が出来上がった。こうした進化を経て、複雑多様な発声ができるような声帯を獲得し、その結果、ヒトは言葉を操ることができるようになる。言葉の発達はさらに高度な抽象的概念をはぐくむ「心」の進化を促し、それがさらに脳を発達させ、その脳がさらに高度な思考を生むという好循環を生み、ヒトの脳、思考は進化していったものと考えられる。

ヒトは進化の過程で頭は大きく顎は小さく、といった進化が営まれたわけだが、最近アメリカの研究チームにより、脳の大きさを調節する2つの遺伝子が発見され、サイエンスに発表された。MCPH1とASPMという遺伝子であるが、これに異常があると正常の脳神経細胞の増殖・分化に支障を来たし、小頭症になることが明らかにされた。この遺伝子は類人猿、原人、そしてヒトと進化する過程で獲得され、頭が大きくなっていく現象に関与した可能性が高いと考えられる。先天的な小頭症はこの2つの遺伝子に異常があると考えられている。
ヒトがヒトたる由縁は、直立2足歩行とともに、前述のように脳重量が増したことであるわけだが、今回の2つの遺伝子の発見は、進化の過程で、どのような遺伝情報を獲得し、それらが発現し、ヒトを作ったのかといった、進化の根源的な意味論につながる重要な研究である。

 

ヒトは進化の過程で、多少の不都合を承知で、脳の発達を優先させてきたかに見える。おそらく現代人の脳は、その重量だけではなく太古のヒトの脳の仕組みよりはるかに複雑な制御形態、機能が完成しつつあり、その複雑さは、多様化する現代の中で、われわれの気がつかないゆっくりとしたスピードで、進化・進行していっているのであろう。統合失調症、自閉症、アスペルガー症候群、性同一性障害など、心の病に分類される疾患、障害(?)に関しては、その遺伝子との関連性すら手がつけられていない。特に性同一性障害は最近特に注目されているがその病態(正確にはそうした障害に至るメカニズムということになるが)はまったく手がつけられていない。性には生物学的「性」を示すセックス、社会的「性」をいうジェンダー、そして「心の性」とも言えるアイデンティティーに分けることができる。ホモセクシュアル、あるいはレズといった世界は、社会の基盤がはっきりしてきた中世にはすでに存在したが、生き延びることが第一義で混沌状態にあった太古にはそうした概念、そうした思考を持つ一群の人々は存在しえたのであろうか。そうした思いを抱かせる映画に「ボーイズ・ドント・クライ」がある。

 

1990年代のアメリカ、ネブラスカ州リンカーンにブランドン・ティーナという性同一性障害をもつ女性が住んでいた。これは実話の映画化である。そうした障害から来る差別が彼女の気持ちをすさまさせたのか、彼女には、刑務所に入るようなちょっとした前科もあったが、彼女(「心の性」では彼)は小柄でひ弱そうではあるが美しい青年に見えた。21歳になった彼女は、男性名に変え、住みなれた町を出て、性器の形成手術も考えながら、男として生きて行こうとリンカーンを後にした。そして彼女は、ある町で目に留まった美しく、女性らしさを持つナラに自然に思いを寄せるようになり、その町で暮らすようになる。2人の「セックス」などを通して、ナラはブランドンの秘密に気づくようになるが、「彼」の優しさや美しさに魅せられてしまった気持ちはそう簡単には変わらない。しかしナラには前科のある何人かの男友達がいた。これが悲劇の始まりであるった。サンフランシスコのような都会には数パーセントゲイが住んでおり、ゲイの町まであり平然と暮らしているが、アメリカの保守的な田舎ではそうはいかない。グループのアイドルのような存在のナラに対する嫉妬心と「彼」の男としての立ち振る舞いに対する不自然さが気性の荒い男たちの反感を買った。ついに「彼」は男たちから裸にされ性器をさらされ、ついには強姦までされ、ついに銃殺されてしまう。キンバリー・ピアース監督は、実際にアメリカで起こったこの事件を、なぜこうならざるを得なかったかという過程を見るものに納得が行く描写を加えながらリアルに描いていく。ブラントンを演じたヒラリー・スワンクは、以前紹介した「ミリオンダラーベイビー」の女性ボクサーのときよりもずっと華奢な美しい、ひ弱そうな青年に見え、ブラントンの心の憂愁がうまく伝わってきて素晴らしい。

 

ボーボワールは「第二の性」の中で「人は女に生まれるのではない。女は作られるのだ」と言い,女性の本質のようにいわれている「女らしさ」が、男性中心の社会が長い歴史をかけて作り上げた人為的なものであり、その男性が作った社会で女は男よりも劣ったものとして扱われ,第二の性としてあつかわれているのだ、と説いた。そういう意味では、第二の性に甘んじなかったブラントンは、心のままに、より高い意識を持って生きていたといえるのかもしれないし、ブラントンのような心を持ちながら、仕方なく第二の性を演じている女性は、意外と多いのかもしれない。

Copyright© Department of Neurology, Graduate School of Medical Sciences, Kumamoto University.