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「ダビンチコード」-家族性高脂血症

  • 2011.05.1

レオナルド・ダヴィンチの「モナ・リザ」は1500年前後に描かれたルネッサンス時代を代表する名画である。作品の知名度でいうとミラノにある「最後の晩餐」と並んでダビンチの作品の双璧をなす。この絵は別名「ジョコンド」とも呼ばれている。貴族フランチェスコ・デル・ジョコンド夫人を描いたことからそう呼ばれるのだが、彼はこの絵(彼女)を痛く愛し、旅に出かけるときも持ち歩いたと言われる。人物を大きく描き、遠近法を大胆に取り入れ、薄い絵の具を塗り重ねながら体や顔の滑らかさを出す手法はルネッサンス絵画の特徴とされている。ルーブル美術館にガラスのケース入りで飾られているが、あまりに有名なため、いつ訪れても人だかりができおり、ゆっくり眺めることができない。しかし遠くから垣間見ても「ジョコンド夫人の微笑み」は穏やかさと深い優しさとにあふれており、見る人に静かに奥ゆかしい言葉を語りかけてくれそうな気分になる。ところで、彼女の鼻側の左目の淵に小さな腫粒があることに気づいているひとはどれくらいいるであろうか。ダヴィンチはあえてこれを彼女の顔の中に描いた。なぜそれほど好きだったジョコンド婦人の顔の一部に美しさを損なうような腫粒を描かなければならなかったのだろうかと思わなくもないが、人体解剖の教科書までも手がけたダヴィンチの描写力は、おそらく彼女の顔にできていたこの「吹き出物」さえ無視することができなかったに違いない。この腫粒は医学的には明らかに高コレステロール血症に伴ってできる黄色腫である。ジョコンド夫人は、家族性遺伝性の高脂血症のため高コレステロール血症をきたしていたか、貴族社会の満ち足りた食生活の中で、高脂血症、高コレステロール血症をきたしていたと考えられる。そういえば手も大きめで、腫粒のようなものが見られ、ジョコンド婦人は私なら恋におちようもない大柄な太目のおばさんに見えなくもない。早くも中世の一部の上流社会の人々を生活習慣病が蝕んでいたことをうかがい知ることができる。

 

家族性高コレステロール血症は遺伝的に血中コレステロールが異常に高くなる疾患である。 言うまでもなくコレステロールはステロイド骨格を持つホルモンなどを合成するための必要不可欠な物質であることから、ヒトの味覚には進化の過程でコレステロールを豊富に含む霜降り肉をうまいと感じる遺伝子が組み込まれている。しかしコレステロールが持続的に高いと動脈硬化をひき起こし、やがて狭心症、心筋梗塞、脳硬塞などを引き起こす。コレステロールには動脈硬化を促進する悪玉コレステロールと呼ばれるLDLコレステロールとこれを抑制する善玉コレステロールと呼ばれるHDLコレステロールがあるが、家族性高コレステロール血症は、悪玉コレステロールであるLDLコレステロール値が高くなる。この病気では、一般に血中コレステロール値が子供の時から高く、正常の1.5-2倍のコレステロール値になり、男性では30歳頃から、女性でも閉経期を迎える50歳ぐらいから心筋梗塞を高率に発症するようになる。

 

家族性高コレステロール血症には、対立遺伝子の半分に遺伝子異常を持ち、若干血中コレステロール値が高いヘテロ接合体と、両親がヘテロ接合体であるケースで生まれ、血中コレステロール値が異常高値を示すホモ接合体である場合とがある。通常血中コレステロールレベルは220 mg/dl前後が正常上限だが、ホモ接合体では600 mg/dl以上まで上昇し、10代後半から20歳台で心筋梗塞などで突然死するケースもある。現在軽度の高コレステロール血症に対してはスタチン系の薬剤が有効だが、ホモ接合体に対してはほとんど効き目がない。
このような場合はLDLコレステロールだけを吸着するカラムを用い、LDLコレステロールだけを吸着除去するLDL-アフェレーシスと呼ばれる治療法がある。家族性高コレステロール血症はLDL-レセプターの遺伝子異常でおこる場合が多いが、現在いくつかの遺伝子異常が報告されており、肝臓にこのレセプターがあるため、肝移植や遺伝子治療も検討されている。しかし実際にヒトに応用されたケースもあるが、残念ながら今までのところ有効性は報告されていない。

 

「ダビンチコード」が、本ばかりでなく映画でもブームを呼んだ。映画は「ビューティフル・マインド」のロン・ハワード監督が、この原作のストーリーにほれ込んでメガホンを取った。講演のためパリを訪れていた宗教象徴学者、ハーバード大学のロバート・ラングドン教授(トム・ハンクス)は、自らの著書のサイン会で、その夜会う予定だったルーブル美術館の館長ソニエールが何者かに殺害されたことを知らされショックを受ける。ソニエールの死体は、ダ・ヴィンチの有名なウィトルウィウス的人体図を模した形で手足を広げており、さまざまな意味不明のメッセージとともに美術館のフロアに横たわっていた。フランス司法警察のファージュ警部は、最初からラングドン教授を殺害者と決め込み、象徴学者の立場から捜査協力を求めたいという口実で会いに来るが、同時に教授のもとにやってきたソニエールの孫娘で警察の暗号解読官でもあるソフィー(オドレイ・トトウ)は、自分の祖父が自分にしか分からない暗号を残していることに気づき事件に深くかかわらざるを得なくなる。ファージュ警部はラングドン教授を連行しようと考えるが、彼が犯人ではないと確信するソフィーの機転により難を免れ、二人の逃亡生活が始まることになる。逃亡生活の中で暗号の解明に取りかかった二人は、殺されたソニエールが「キリストの聖杯の秘密」を守る秘密結社シオン修道会の総長だったことを知る。ソニエールは、聖杯の秘密を、それを伝えるに相応しい者に継承するためにコード(暗号)を残したのだった。

 

一方でソニエールを殺害した「オプス・デイ」と言う組織はシラスという凶暴な男を送り込み、聖杯の秘密を追っていたが、それを知る鍵を握っているのがソフィーとラングドン教授と知ると、執拗に追跡し始める。ソフィーとラングドン教授は警察とシラスらの追っ手を逃れながら暗号解読をしなければならなくなり、彼らの逃亡シーンは、手に汗を握るはらはらどきどきの連続である。暗号解読につき進むふたりは、著名な宗教史学者で聖杯伝説研究の第一人者ティービングに出逢う。そして彼らがティービングとたどり着いたのは、ダ・ヴィンチが英知の限りを尽くしてメッセージを書き込んだ絵画「最後の晩餐」であった。「最後の晩餐」にはキリストとその弟子たちが描かれているが、キリストの向かって左隣に描かれている人物は、実は女性で(実際体も小さめで、髪もひときわ短く、胸も膨らんだように描かれている)、娼婦のマグダラのマリアで、キリストの妻であったというのだ。さらに驚くべき事実が明らかにされていく。マリアはキリストの子供を生み、現代社会にその子孫が生きているに違いないというのだ。ダヴィンチの絵には本当にそのような秘密があったのかと思うようなリアリティーのある話が畳み掛けられてくるくだりは、迫力があるし、ティービングとの話の中でキリスト生誕から現在のようにキリスト教が宗教として広く受け入れられるまでには紆余曲折があり、人々を弾圧した歴史もあることが語られ、興味をひくストーリー展開になっている。

 

ショーペン・ハウワーはかつて「音楽とは説明の要らない唯一の芸術だ」と言った。こういう観点から言うと、名画とは文字を含めたさまざまなメッセージを描き込み伝えることのできる芸術と言うことができる。「ダヴィンチコード」の「最後の晩餐」の絵の秘密を元に展開するサスペンスの構築は説得力があり見事と言うほかはない。いくつかの名画の中には、こうした宗教観さえ揺るがしかねないメッセージが隠されており、「ダヴィンチコード」の著者ダン・ブラウンのような想像力豊かな作家がまたいつか現れ、突然のように衝撃の仮設を小説にしてくれるかもしれない。

Copyright© Department of Neurology, Graduate School of Medical Sciences, Kumamoto University.