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「ファミリーツリー」-ALSと人工呼吸器

  • 2012.08.1

マット・キング(ジョージ・クルーニー)は、ハワイのオアフ島に住む50歳代の弁護士である。由緒あるカメハメハ大王の血筋を引く彼は、先祖代々受け継がれてきた広大な土地の相続権を持っている。だから別にあくせく働く必要はなかったが、根が真面目なのか、弁護士業が好きなのか、仕事に精をだし、いつしかあまり家庭を顧みなくなっていた。彼の妻エリザベスは美しい。夫婦の関係も良好で、長女との関係がしっくりこないことを除けば一家四人まあまあ幸せな家庭を営んでいると彼は信じて疑わなかった。ところがある日、エリザベスが水上ボートの運転中事故に遭い、頭を強打し意識不明の重体となる。10歳の次女スコッティはその事件から当然のように情緒不安定になり、学校や家庭で何かと問題を起こすようになる。マットにすれば最愛の妻の火急の時ぐらい娘には静かにしておいてほしいと思うが、そもそも自分が家庭を顧みなかったせいもあると自分を責める。

マットは政府の方針でカウアイ島の件の広大な土地を売却しなければならない問題を抱えていた。売却すれば一族に巨額の資金が入るが、きっとリゾート開発が進みハワイに育まれてきた広大な自然が失われるだろうと懸念していた。妻の病状は時間がたっても回復不能と悟ったマットは、全寮制の大学へ通う長女アレックス(シャイリーン・ウッドリー)を迎えに行くが、冷たい態度を取るアレックスから思いもかけないことを聞くことになる。実はエリザベスはマットが仕事で不在がちなことをいいことにして、ある男性と浮気をしていたというのである。最初は到底信じることができなかったマットであったが、娘は確かに浮気現場を見たというからただ事ではない。我を失ったマットは、思い余って近くに住む友人夫婦に事の真相を訪ねる。何とそれは公然の秘密で、エリザベスはスピアーという男性と結婚を望み、マットとは真剣に離婚を考えていたというではないか。いたたまれない気持ちのマットは、アレックスと共にスピアーの所在探しが始めるが、ひょんなことからその男は不動産業をしており、マットの土地の売却に関与する可能性が高いことを知る。しかし、時がたつにつれ、マットは冷静さを取り戻すようになっていく。そして浮気相手に妻が瀕死の状態であることを伝えようと思い立つ。それは、もしかしたらそれまで妻のことをあまり顧みなかったため、妻は寂しさから、やむに已まれず許されない情事をおこしたのかもしれないという、妻への「詫び状」の意味が込められていたのかもしれないし、何より、妻の浮気相手がどんな男なのかを突き止めたいという好奇心もあったに違いない。
調べた結果、スピアーが隣のカウアイ島でバカンスを楽しんでいると知る。マットは二人の娘とアレックスの男友達とともに、飛行機でカウアイ島へ向かう。忙しさにかまけてそれまで皆で旅をすることなどなかったこの家族は、こんなことをきっかけにいかばかりかの絆を自覚することになる。遂にカウアイ島でスピアーなる男を見つけ、マットは浮気の真相を問い詰めることになるが、このシーンが実にアメリカ的で面白い。突然のマットの来訪に我を失ってしまったスピアーに、マットは執拗に問いかける。「妻とはどういう関係だったのか、妻を愛していたのか」「いや、決して愛してなんかいなかった。体だけの関係だ」。これでは夢中になった妻のほうが救われまいに。妻が確かに寝取られたことを実感したマットは、「愛はなかった」という言葉に妙に納得したそぶりでその場を立ち去る。
カウアイ島までやってきた家族は、売却前にもう一度自分たちの土地をみに行くことにする。そこは、雄大な自然が広がる原野だった。「こんな豊かな自然をリゾート開発の餌食にしてはならない」。きっとマットはそう思ったに違いない。結局彼は土地の売却を断念することにする。 妻のもとに戻ったマットは、すでに脳死状態に陥ってしまった妻の延命は望まず、尊厳死を選ぶ。家族に看取られながら静かに昇天するエリザベス。マットは妻への感謝と愛の言葉を何度も妻の前で呟く。人はインテリジェンスを持って豊かに年を取ると許すことを学ぶのだ。
「延命を望まない」という考え方はアメリカ社会で徹底している。それは任意保険で支えられているアメリカの社会と決して無縁ではない。人工呼吸器をつけ、昇圧剤の投与、感染症の制御といった具合に今わの際に手厚い医療をするとそれだけで医療費は数百万円に上ることがある。国民の医療費が40兆円を超えようとしている今の日本で、家族の感情だけではそうした医療が完全には実践できない切実な状況がある。
筋萎縮性側索硬化症(ALS)は中年期以降運動神経が侵され、数年で呼吸筋麻痺を来たし、人工呼吸器をつけなければ死に至る神経疾患の中で難病中の難病である。最近は、SOD1やTDP43、FUS/TSPといった遺伝子の異常による発症年齢の早い遺伝性ALSも発見されている。この疾患は、私の教室である神経内科にも毎週のように患者が紹介され、診断がつきインフォームド・コンセントが行われている。「進行して呼吸筋麻痺が来たら、レスピレーターの装着を望みますか」という質問に患者家族の反応はまちまちである。その選択は患者家族の人生観、経済状況に加えて、主治医が生に対してどのような価値観を持ち、インフォームド・コンセントを行うかに左右されることは言うまでもない。
アメリカやイギリスでは、ALS患者の人工呼吸器の装着率が2-3%と極めて低いのは特筆される。神経内科の教科書には「ALSと診断されるのは、死を選択されるに等しい」という記載があるが、まさに英米ではそのような状況で、一旦人工呼吸器に繋がれても、エリザベスのようにほとんどのケースで最終的には尊厳死が選択される。ところが日本では、統計によってまちまちではあるが、およそ30%前後の患者が人工呼吸器を装着されており、世界一高い数字を示している。面白いことに県によっても偏りが激しく、50%以上の件もあれば、10%以下の県もある。この数字は、在宅訪問看護の整備状況や装着に積極的な医師がいるかどうかにも左右されるが、なべて日本人は死を受容できない国民なのであろう。最近、アメリカ人の友人の母親が、熊本に来た折、くも膜下出血で死亡し、近くの教会で葬儀が行われた。喪主は悲しみをこらえながら笑顔を作り、「母は天国に召されて幸せになる」という死の捉え方をしていた。式辞でCONGRATULATIONS!という言葉もあった。これは、肉親の死を受容し、乗り越えるための一つの方法論であろうが、ある程度死を肯定的にとらえる努力をしなければ医療費の問題から医療が立ち行かなくなる危険性もある。
それにしても妻に先立たれ残された夫は悲惨だ。私は妻の不在など想像することすらできない。お天気キャスターとして小粋な一言で一世を風靡した倉嶋厚さんは、妻を69歳で亡くしている。胆管細胞がんで入院し、一か月足らずで別れがやってきた。「夫婦のあり方には「足し算型」と「掛け算型」がある。互いの力が5づつだとすると、前者は10で後者は25。足し算型は片一方がいなくなっても5は残るが、掛け算型は5x0=0となってしまう。私の場合は掛け算型であったので、妻の死後、生きる気力も失い、季節が変わっても衣替えをする気にもならなかった」という。
ヒトは年を経るごとに赦しと受容を覚えなければならないが、診療で垣間見る高齢者の多くはクレーマーであり、妻の死も自分の死も共に受容できるほど出来上がってはいない。老いて増々物事や生に対する執着が強くなり、「ぎらぎらして」生きている。ほとんどの老人が100歳まで生きるつもりでやる気満々である。そういった気持ちを和らげるために神はアルツハイマー病に代表される認知症を用意したのかもしれない。一方でALSという疾患は、「悟りの境地」に達していない中年期、壮年期に発症するため、患者の心の葛藤は計り知れないと思われる。

Copyright© Department of Neurology, Graduate School of Medical Sciences, Kumamoto University.