最新の投稿

「ブラックスワン」-自傷行為

  • 2011.07.1

ニナ(ナタリー・ポートマン)は、ニューヨークのバレエ団に所属して五年になる。ダンサーとしての技術は一流なのに、何かが足りない。未だに一度もプリマバレリーナ(主役)を務めるチャンスに恵まれずにいる。「何としても主役の座をゲットしたい」。それは彼女にとっても、小さい頃から一卵性双生児のように寄り添って生きてきた母にとっても悲願であった。ニナは恋もせずバレエ一色の生活を送ってきた。そんな時、思いもかけず彼女に千載一遇のチャンスが訪れる。長年バレエ団の顔としてプリマを務めてきたベスが引退するというのである。彼女はすでに盛りを過ぎており、演出家のトーマス(ヴァンサン・カッセル)は次回の興業に「白鳥の湖」を選び、新人を起用し、バレエ団の新たな顔を作り出したいと言い出したのであった。ナタリー・ポートマンがアカデミー主演女優賞を受賞した映画「ブラックスワン」(ダーレン・アロノフスキー監督)の話である。

 

「白鳥の湖」のプリマは純真無垢なホワイト・スワンと王子を誘惑する官能的かつ邪悪なブラック・スワンの二役を一人で踊ることになる。プリマには技術に加えてそれを演じぬくだけの成熟した感性が求められる。候補にはニナに加え、ブラック・スワンそのもののように自由奔放に生きているリリーが上がる。結局、トーマスは将来性も考えて、ニナを選択することになるが、彼女のような「規格品」がこの役を演じることは、自分自身の心の殻を破り、母に監視され、単調な生活を送る日常も変えなければならないことを意味していた。それに気づくことは彼女にとって、とても危険なことであるが彼女はそのことにまだ気付いていない。

 

公演に向けて厳しくて辛い練習が始まる。ニナは次第に精神的に疲れていき、幻覚や妄想といった精神病症状に悩まされるようになっていく。「代役として控えているリリーに、もしも主役を奪われたら」という強迫観念にも苦しむようになっていく。トーマスからは、ホワイト・スワンは完璧だが、ブラック・スワンはいくら踊ってもダメだしばかり。「ニナには王子を性的に魅了するような情感がない」、と叱責され続け、精神的にも肉体的にも追い詰められていく。きっとニナが闘ってきた葛藤は多くのプリマが一流になるために通ってきた道なのかもしれないが、彼女はそれを克服できずにいた。

 

ある夜、ニナのアパートに突然リリーが訪れる。飲みに行こうという。二人は母親の反対を押し切ってクラブで男たちと飲み、踊り、ついに麻薬にまで手を染めることになる。ニナは麻薬の効果で抑圧されていた感情が吹き出す。リリーをアパートに連れ帰った後、二人だけで部屋にこもり、激しいレスビアンにふけり、やがて寝込んでしまう。ニナの心が性の壁を越えて羽ばたいた瞬間である。しかしその後もニナは公演に向け、さらに追い込まれていき、ついに幻覚が見え始め、現実と夢の世界の区別がつかなくなっていく。

 

ついに公演の日を迎える。第一幕から早速トラブルが起き始める。踊っているうちにニナには幻覚が見え始め、照明にめまいを感じ、王子役のダンサーの手をすり抜け、彼女は無残にも床に落ちてしまったのだ。第二幕に向けてブラック・スワンに着かえるために楽屋に戻ると、ブラック・スワンの化粧をして、次幕は自分が踊るのだと言うリリーの幻覚が見える。それは実際は自分自身の分身の幻覚なのであるが、ニナは自分の心のうちの葛藤とリリーの幻覚の区別がつかなくなり、結局幻覚の中でもがき暴れ、控室の大きな鏡が割れ腹部に怪我を負うことになる。

 

そして公演のメイン部分であるブラック・スワンの踊りが始まる。官能的な踊りを披露するニナの身体からは、ブラック・スワンの羽が生えてきて、腕はリアルな鳥の翼、黒々とした鳥の翼となる。今やニナは以前のニナではなく、心身ともにブラック・スワンそのものと化していた。

 

フィナレーとなる。最後に絶望したホワイト・スワンが崖から跳び下りて自らの命を絶つ場面を演じると観客は総立ちとなり劇場全体に割れんばかりの拍手が響き渡った。舞台裏では跳び下りたニナがクッションの上に横たわっていたが、ニナの腹部は血だらけになっていた。それはニナが幻覚の中で自傷行為として自分をガラスの破片で刺したものであった。ステージ上の照明を見ながら、薄れていく意識の中でニナはつぶやく。「私、完璧だったわ」。

 

自傷行為とは自らの身体を意識、無意識に拘らず傷つけることを言う。虐待のトラウマや心理的虐待、摂食障害などの過程で生じる行為である。自閉症にもこの行為が起こることがあり、自分の手を噛む、壁や床に頭を打ち付ける、自分の顔を叩くなどの行動が見られることがある。リストカットも自傷行為の代表的な例である。五千人を超える高校生を対象にしたアンケートがあるが、それによると自傷行為の経験があるのは男子5.3%、女子10%だった。驚くべき数字である。今の高校生は受験や将来に対する不安を感じ、意識・無意識の中で追い詰められながら生きていると言っても過言ではないのかもしれない。

自傷行為が特徴的な遺伝性疾患にレッシュ・ナイハン症候群がある。これは、尿酸の代謝酵素に関わる遺伝子異常によって起こる常染色体劣性の疾患で、1964年にレッシュとナイハンによって発見された。ヒポキサンチンをイノシン酸、グアニンをグアニル酸に再利用する代謝酵素HGPRTが突然変異によって働かなくなると、ヒポキサンチンやグアニンが酸化されて代謝の最終産物である尿酸が体内で過剰に産生されることになる。この病気では、乳児期の早期から哺乳異常や発育の不良がみられ、1歳頃に不随意運動、1歳半~2歳頃にほとんど例外なく自傷行為が現れてくる。ストレスなどによってこの行為は悪化する。高尿酸血症をきたし、尿中の尿酸排泄量は通常の数百倍を示し、しばしば腎機能障害や尿路結石を引き起こす。痛風腎から腎不全に陥り幼少期に亡くなることもある。なぜ自傷行為(自咬症)が認められるようになるのか、そのメカニズムについては正確にはわかっていない。

 

バレエはトウシューズを履き、つま先で流れてくる曲に乗りながら物語を表現する、人間の体の生理を無視した最も非日常的な芸術であると言える。極端に体重を絞り込み、筋力を鍛錬しながら芸術性を追求しなければならない。技術力と表現力が完璧に両立しなければ見るものを感動させることが出来ない。

 

バレエのような芸術の世界のみならず、芸術性を含めて採点によって争われるスポーツ、例えばフィギュアスケートのような競技の場合も、完璧な技術の追求と表現力、芸術性が両刃の剣のように競技者ののど元に突きつけられる。そもそも何ミリかのスケート靴の刃の上で、回転しながらのジャンプ、エッジさばきをこなし、これに手の動き、表情などで流れてくる曲との調和、テーマの表現力が問われる。バレエとの共通点は大きい。

 

フィギュアスケートでは、こうしたことから大きく分けてテクニカル評価と芸術の評価点の合計点で競われる。長らくロシアの選手が上位を占めていたのは、ロシアのクラシックバレエをしっかり学んだ後、スケートに入るからだと言われている。ニナのように技術のみを追い求め、完璧を期すると表現力をケアする余裕がなくなるものなのかもしれない。最近スケーターの安藤美姫は、ロシアの某コーチとの色恋沙汰が取りざたされるようになったが、演技に色香が漂うようになり、表現力が大きく進歩したと言われる。器楽の演奏も、歌も人生の中で培われた経験や人柄がにじみ出るからこそ面白い。しかし、ともすると円熟度が頂点に達したとき、体力、気力は衰えていてそれを表現する技術が追い付かない、というジレンマが起こりうる。多くの名を成したエンターテナーは引き際がきれいだったことも忘れてはならない。

Copyright© Department of Neurology, Graduate School of Medical Sciences, Kumamoto University.