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「未来予想図」-胚細胞腫―吉田美和さんのこと

  • 2008.01.1

昨年の12月のはじめの金曜日の夜、NHKテレビで「プレミアム10」という番組があった。「プレミアムがつくくらいの番組ならみてみよう」とスイッチを入れると、画面にはDreams come true(通称ドリカム)の「ワンダーランド2007」というコンサート・ツアーの模様が映し出されていた。何でもこのグループは4年に一度大掛かりな全国ツアーを展開しているそうで、ボーカルの吉田美和はさぞコンサートで歌う嬉しさではじけているのであろうとみていたが、だいぶ様子が違っていた。吉田美和がコンサートの直前から泣いている。歌いながらも泣いている。

 

NHKのカメラは、何の説明も加えないまま、淡々とそのコンサートの模様を、そして吉田美和の表情を映し出していた。なぜ美和さんは泣いていたのだろう?ドリカムのコンサートをじかにみたことのなかった私にとってコンサート自体の模様はとても楽しかったが、何とはなしに吹っ切れない気持ちのまま、番組を見終えた。

 

「Dreams come true」―なんという夢にあふれたグループ名だろう。声に出して読むと彼らの音楽の様でもある。今からおよそ二昔も前の1989年、彼女はこのグループ名を引っさげて颯爽とJ・ポップの世界に登場した。普通の控えめな人間がこのようなモチーフで名前をつけるとすると、1つぐらい夢がかなえられないものかと、「A Dream Comes True」というグループ名を冠したかもしれない。しかし、吉田美和は「夢がいっぱいかなうの」といわんばかりにこのグループ名を引っさげ、ありふれた日常生活のなかから、夢を、愛を、恋を歌い続けた。

 

当時、日本はバブルがはじける直前で、フリーターは街にあふれようとしていたし、若者の間には将来に対する漠然とした不安が蔓延しはじめた時代であったが、抜群の音楽センスと歌唱力をもって、夢を歌っていったこのグループは次々に若者をとりこにしていった。バブルがはじけてもこのグループの人気は衰えなかった。

 

たくさんの曲が支持されているが、彼らの曲のなかでは初期に作られた「未来予想図」、そして数年後にその近未来を唄った「未来予想図II」がドリカムのとりわけテーマソングのようになっており、若者に広く支持されている。特に「未来予想図II」の夢と希望にあふれた歌詞は、大人にも支持され、卒業式の定番となっている。このモチーフは今年まったくヒットしなかったし、みる気もしなかったが、「未来予想図」(監督 蝶野 博)として映画も作られている。ドリカムの歌があれば十分で、わざわざ映画にする必要はなかった。

 

時々こころに描く未来予想図には/ あなたの手を握り締めている 私がいる(未来予想図)

 

この「カップル」は卒業後も交際を続け、さらに愛を深める。その模様を数年たってドリカムはまた新たな時間の推移を加え歌にした。

 

きっと何年たっても/ こうして変わらぬ気持ちで/過ごしてゆけるのね/ あなたとだから/ ずっと心に描く未来予想図は/ ほら思ったとおりにかなえられてく

 

私のような年齢になると、このような歌詞を読むと少し気恥ずかしい気持ちになるが、ドリカムが歌うとまったく違和感がなくなるのは、彼女のもつ歌唱力とさわやかさのなせる技であろうか。

 

その後、私が調べてみたところ、なんということであろうか、吉田美和の夫、末田健氏が、横浜アリーナでのコンサートの最終日、9月23日の3日後の26日、胚細胞腫で33歳の短い生涯を閉じたことを知った。NHKのテレビ番組では、そのことは一切語られていない。吉田美和と映像ディレクター末田健氏は、どうも久しい以前から俗にいう不倫の関係にあり、2003年3月末田健の離婚が成立、2004年5月入籍はしない「事実婚」の形で結婚を発表した。末田氏が一児を持つ既婚者であったため注目を集めていたらしいが、芸能情報に疎い私には知る良しもない。

 

別れて欲しい、という男、絶対別れない、という女、ただ自分だけのものになることを待つしかない女。きっと壮絶な愛憎劇のなかで、狂おしいような恋しい気持ち抑えながら生活していた吉田美和は、夫が腫瘍に倒れる直前まで、いくばくかの罪の意識を持ちながらも、きっと込み上げるような充実感と幸福感のなかにいたに違いない。不幸にもその愛を神から責められるような形でいとしい人を失ってしまった。喪失感から夫の死後3ヶ月も唄うことができなかった彼女は、12月の終わりの「ミュージックステーション」でふり絞るような声で、未来予想図IIIに当たる「ア・イ・シ・テ・ルのサイン ~わたしたちの未来予想図~」を歌い再生を果たした。 きっと彼女は、彼の死を乗り越えて、一段と上を行くスーパー・スターになっていくことであろう。

 

末田氏の命を奪った胚細胞腫は、小児外科では一番発生数の多い腫瘍である。良性、悪性などさまざまなタイプがあるが、この腫瘍は、胎児期に胚細胞(卵子・精子)のもとになった細胞が、それ以降も何らかの原因で身体に残り、末田氏のような場合、成人期以降のある時、何らかの機序でその細胞に遺伝子変異が加わり、腫瘍化したものである。全身に発生する可能性もあるが、好発場所は仙尾部、胸の奥(縦隔)、おなかの中(後腹膜)、男子の場合は精巣や睾丸、女子は卵巣なども好発部位の1つである。出生前診断により、出産以前に胚細胞腫瘍がみつかることもある。

 

成人期以降の発症の場合、腫瘍の発生する場所は多岐に渡るが、胸部外科や消化器科、泌尿器科、脳神経外科など、発症した場所によって診療科、治療法は異なる。一般に放射線治療が奏功する場合も少なくなく、早期診断ができれば、治癒する場合も少なくない。男児でよく見られる停留睾丸は、2-3歳までに鼠径部から睾丸の位置に収まることが多いが、成人期まで放置すると腫瘍化する頻度が高くなるのと似たメカニズムによる。

 

末田健氏は、浜崎あゆみや韓流スターの映像ディレクターを手がけ評価が高いが、その忙しい生活のなかで、ドリカムがコンサートツアーに入ろうとする8月のはじめにこの病気で突然のように倒れた。約1ヶ月の短すぎる闘病生活であった。このコンサートツアーの模様を末田氏の手で美しい映像でDVD化する予定であったというが、かなわぬ夢となった。

 

現在、昨年の年末にリリースされたドリカムの最新アルバム「and I love you」が売れ続けている。おそらくこのCDの企画の段階では、夫の死は予想だにしていなかったに違いないが、製作の最終段階に入り、その死が現実のものとなってきたようである。

 

このアルバム最後の13曲目には、吉田美和が決して人前では歌わないと心に決め、歌詞カードに歌詞も書かれていない「and I love you」というタイトルの歌が組み込まれている。彼女は、耐え難い喪失、そして抑えがたい喪失感のなかで、末田氏へのすべての思いを込めこの歌を歌った。

 

AND I LOVE YOU
「遅くなるよ」の電話はもう来ないけれど/ 長い旅にでも出たと思っています
何日も会えないことも多かったから/ わたしたちはきっとね、大丈夫だよね
これまではふたりで乗り越えたいろんなこと/ たとえばまさに「今」みたいなことを
これからはひとりで乗り越えていかなきゃ/ それがほんとはいちばん心細い
この歌を人前で歌うことはないだろうけど/ 私情をみんなに聞かせて申し訳ないけど
いつかあなたのところへわたしが行く時/ しわしわでもぜったいにすぐに見つけてよ
ありがとうって言えるまでどこかで見ててね
ありがとうって言ってるからどこかで見ててね

 

このアルバムの終わりには「このアルバムを、私が今までの人生の中であったすべての人の中で、最も愛しく愛しくてたまらない末田健氏に捧ぐ」と記されている。合掌。

Copyright© Department of Neurology, Graduate School of Medical Sciences, Kumamoto University.