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「アバター」-感染症と人類の進化

  • 2010.12.1

人類の歴史は、侵略と略奪の歴史と言っても過言ではない。最もよく知られ検証されている事例は、アメリカ人の西部開拓史である。ヨーロッパからの移民たちはアメリカ合衆国建国とともに、西へと開拓を進めるが、それと同期するかのように、インディアンへの侵略の歴史が始まる。当初、移民たちのアメリカ原野での開拓活動は、気候も風土のまったく異なる中で、ゼロから街を作っていくことから始めなければならなかった。インディアンの中には、移民に好意的に接し、開拓に手を貸したも少なくなかったし、彼らの知恵が移民の生き抜く力ともなっていった。しかし、どんな時代も、どんな地域でも、ひとつの土地に二つの異民族が仲良く暮すことはできなかったことを歴史が証明しているようにアメリカインディアンは武力によって不当に侵略され続けていった。これに拍車をかけたのが、ヨーロッパ人の持ち込んだ数々の感染症である。

 

丁度新型インフルエンザが、世界中の抗体を持たない10歳代の子供たちに瞬く間に浸透していったように、インディアンはヨーロッパ人が普通にかかる病気に対する免疫を全く持たなかったため、そうした感染症に倒れていったものも少なくなかった。インディアンの人口は武力と感染症によって激減し、最終的には推定1000万人いたうちの実に95%が死に絶えたと言われている。

 

こウした流れにダメを押したのが、ゴールドラッシュである。19世紀半ば、カリフォルニアに金鉱脈があることがわかると、これを目当てに山師や開拓者が殺到し、人口が急増し、西部の開拓が急進展することになるが、この期に乗じて、西部に残っていたインディアン部族がこうした白人たちによって根絶やしにされ、絶滅させられてしまった。

 

人類は性懲りもなく古代からこうした歴史を繰り返してきた。二十一世紀になってもこうした略奪と侵略は止まらない。「きっと宇宙までいっても、ヒトという生物はこうした営みを続けるのだろう」、そんな監督のつぶやきが伝わって来そうな映画が「アバター」(ジェームス・キャメロン監督)である。

 今から数十年たった未来。我々人類は、当然のように資源を宇宙に求めるようになっていた。衛星パンドラには、キロ20億円というレア・メタルが眠っている。 しかし、そこにはナビィ族という外見も生活習慣も、言葉も違う先住民が住んでいた。 メタルを掘り出すには先住民に他の土地に移住してもらうか、武力行使をして制圧してしまうかのどちらかの選択支しかない。 そのころ、人類は人造人間(アバター)を作る技術を持っていた。その技術を使うと、人が眠っている時だけアバターに頭脳を伝送し、そのアバターが寝ていると頭脳提供者は現実の世界に戻り、アバターとして得た情報を軍に伝えることができる。 すなわち、肉体が危険に晒されることなく、現地の情報をアバターの体験を通して収集できることになる。ジェイク・サリー(サム・ワシントン)は、海兵隊員で、戦闘で下半身不随になっているが、動かなくなった足を再生してもらう約束を軍に取り付け、アバターに頭脳を提供する役目を引き受け、惑星にやってきていた。

ジェイクの頭脳を持ったアバターが先住民の住む村に派遣される。そこで不意に猛獣に襲われ、九死に一生を得るが、心の優しいナビィ族の娘ネイティリー (ゾーイ・サルダナ)と出会う。当然の成り行きのように二人は心を許しあい、ジェイクの心をもったアバターはその村で暮らすようになる。 最初は、軍の手先として行動しようとするが、ナビィ族、そしてネイティリーと暮らしているうちに、彼女の優しさや、大木がうっそうと茂る大自然の中で、先祖、精霊と溶け合って生活するナビィ族の姿に心打たれ、次第に邪悪な心がなくなっていく。住民が、心だけでなく体に直接触れ合いながら絆を深めていく生き様は、現代人が忘れてしまっているスキンシップの重要さを思い知らされる。しばらく時が流れ、アバター作戦も上手くいかないと悟った軍は、ついに武力によるナビィ族撲滅作戦を開始し、両者で激しい戦闘が繰り広げられていく。最後は、軍の繰り出す数々の最新兵器、ロボットに、多くの犠牲者を出しながらもナビイ族は懸命に闘い勝利する。ジェイクは、ナビィ族に溶け込んだアバターの肉体に自分の頭脳を伝送し、その地で暮らす選択をする。

 

二十年前、アルプスの山麓で五千年前に生活していたと推定される青年の凍結遺体が発見された。この「アイスマン」氏は地球の温暖化がなければ、我々の目に触れることはなかったであろう。彼は痩せて、感染症を思わせる膿瘍や、矢じりのようなものが刺さった跡がいくつも見られた。ヒトは飢餓、けが、そして感染症との戦いの歴史と考えられるが、そのけがの多くは、部族間抗争によってもたらされたものであろう。特に飢餓の中で生き抜かなければならなかった古代人にとって、他部族の持ち物でも時と場合によっては生き抜くために略奪しなければならない必然があった筈である。そうしたヒトの営みとともに育まれてきた習性は、我々の心の遺伝子の中に刷り込まれて現代に至ると考えられる。

我々の祖先は脊椎動物に進化した時点で、血管を介して酸素や栄養を四肢末端にまで移送しなければならなかったが、その血管腔は、慈養の塊である以上、細菌、ウイルス、寄生虫などの標的とされてきた。これに対してヒトは免疫系を獲得し、外から侵入しようとする外敵に対する抗体を産生させながら対抗していたが、体験したことのない新興感染症には防御システムが未熟のままとなっている。14世紀、中央アジアとの交易が始まり輸入されるようになった毛皮に潜んでいた蚤に寄生していたペスト菌に、抗体を持たないヨーロッパ人はなすすべもなく感染し、当時のヨーロッパの人口の三分の一以上の命が失われている。十五世紀、インカ帝国で幸せに暮らしていた人々はスペイン人の武力侵攻だけでなく、彼らの持ち込んだ感染症で多くが命を落とした。近いところでは、インフルエンザの変異体にもたらされたスペイン風邪により、第一次世界大戦の死者八百万人をはるかに超える四千万人の世界の人々が命を落としたといわれる。AIDSのみならず、中国で動物に端を発し世界に広がろうとしたSIRDSは、ヒトからヒトへの新興感染症よりむしろ、人畜共通感染症の恐ろしさを痛感させた。

不思議なことは、インディアンを侵略したヨーロッパ人、インカ帝国を滅ぼしたスペイン人、アボリジニを迫害したイギリス人が逆に原住民が持つ独自の感染症で苦しんだ形跡がない点である。交通手段を持たないヒトの一日の行動半径は、高々20 kmと言われるが、こうした地域の原住民が、限られたヒト、動物とのみ接し、純粋培養のように生きてきたのに対し、より進んだ文明を持っていたヨーロッパ人は、他地域との交易を盛んに行い、数々の感染症を抱え込み、さまざまな抗体を備えていた可能性が高い。文化を高めるということは、感染症に対する耐性を抱え込みながら生きていくということと同義なのかもしれない。

この映画で出てきた、レア・メタルの争奪戦は、二十一世紀の人類にとって石油以上に大きな焦点になる可能性がある。今、一部の先進各国が躍起になってメタルの入手先を探しているが、日本はこの争奪戦に後れを取っていると報じられている。そうした背景を踏まえ、先進国は、さらに宇宙開発に鎬を削ろうとしている。火星に水が発見された今、いつか、惑星パンドラのような星に住むナビィ族のような宇宙人と接するようになるのかもしれない。しかしそれは、この映画で惑星の名前をパンドラと名付けたように、決して開けてはならない「パンドラの箱」であり、その箱に潜んでいた宇宙人がもつ正体不明の感染症によって地球人は滅亡する可能性もないわけではない。我々人類は、そうした事態までを想定して進化してはいない。

Copyright© Department of Neurology, Graduate School of Medical Sciences, Kumamoto University.