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「悲しみが乾くまで」-麻薬中毒になる遺伝子

  • 2012.03.1

東北大震災が起こって以来、半年以上の月日が過ぎた。3月末石巻の避難所で診察した人々、数万人に登る東北地方の直接の被災者、わが身の危険を顧みず、今なお最前線の原発の処理で過酷な生活を強いられている人々のことを思うと胸が痛む。改めて、どうしてこんな悲惨な事態が起こってしまったのだろうか。肉親や同僚を突然失った人々は今なお眠れぬ夜を過ごしているのであろう。「かにかくに 渋民村は恋しかり ふるさとの山 ふるさとの川」(啄木)。家を失い、家族の大切な思い出の詰まったアルバムさえ津波で失い去った人々は、変わり果てた故郷の景色の中で、様々な喪失感と共に一体何を頼りに生活しているのであろうか。

 

私の好きな映画に「スーパーマンI」がある。悪の首領レックス・ルーサーの仕業でアメリカ大陸にミサイルが撃ち込まれ、アメリカ全土が焦土と化す。ミサイルの爆発で激しい地震が起こり、巨大ダムが決壊、洪水が起こりふもとの町は水没する。山も崩れ、巨大な落石が人を、車を飲み込む。そしてスーパーマンが大好きだった同僚の女性記者、ロイス・レイン(スパーマンは新聞記者、クラーク・ケントに身をやつしていた)も乗っていた車ごと瓦礫に押しつぶされ息絶える。時遅くレインのもとに駆け付けたスーパーマン。変わり果てた恋人の姿を目の当たりにしたスーパーマンは嘆き悲しみ、どうしたことか空に向かって全速力で飛び出し、地球の自転と逆方向に回りだすではないか。するとどうだろう。地球の自転がゆっくり逆に回りだし、時が後戻りし始めるではないか。決壊したはずのダムは元に戻り、圧死したレインも何事もなかったように元の生活に戻る。もちろんアメリカ大陸に突き刺さったはずのミサイルは、スーパーマンが阻止し、宇宙の遥かかなたに送り出す。そうだ、日本にもスーパーマンが現れ、地球の自転を逆に回し3.11以前の美しかった三陸の町に戻してほしいと願っているのはおそらく私だけではあるまい。

 

今なお仮設住宅で苦しんでいる沢山の方々が東北にいる一方で、それ以外の地域の人々は、時の流れと共に少なからず臨場感が薄れてしまっていることは否めない。特に私たちは九州に住んでこともあり、あまりに穏やかな秋の日差しの中で、そのことをすっかり忘れてしまう日もある。「いけない、いけない。われわれは東北のことを思い続けなければならない」と思い直し、この年末わが大学の検査部では、復興支援チャリティーを催すことにした。

 

オードリー(ハル・ベリー)は2人の子供、そして男気のある優しい夫ブライアンに囲まれ、幸せに生活していた。夫の仕事も順調で、経済的にも、精神的にも充実した日々が流れている。映画「悲しみが乾くまで(Things we lost in the fire)」(スザンネ・ビア監督)の話である。しかし、ある夕、ブライアンはちょっと買い物に出かけた折、激しい夫婦げんかを目のあたりにする。見過ごすことのできなかった彼は仲裁に入り、暴力を受けている妻を助けようとするが、逆上した男に銃で撃たれあえなく死亡する。葬儀の日、カメラが執拗にクローズアップするのはだらしない顔をしたジェリー(ベニチオ・デル・トロ)である。彼はブライアンの親友でそもそも弁護士であったが、どうもヘロインに溺れ、世人から敬遠される存在になっているようだ。オードリーはこの腑抜けのような友人にあまり良い感情を抱いてはいなかったが、ブライアンが生前変わらぬ優しさで接していたことはよく知っており、ジェリーとは合えば話をする関係である。

 

当然のことながらオードリーは夫の何の前触れもない突然の死が受容できない。葬儀が終わってしばらくたっても、日常生活が手に着かない。子供たちにはわけもなく八つ当たりを繰り返してしまうため、子供たちの心は彼女から離れていく。途方に暮れたオードリーは、夫のことを誰よりもよく知るジェリーのことを思い出し、麻薬中毒から未だに抜け切れないでいる彼に、「お願いだから私の家の離れに住んで、子供たちと一緒に生活してくれない?」と頼む。

 

ジェリーは何故ヘロイン中毒になったのかは映画では語られていないが、彼は友だちづきあいをしてくれたブライアントの友情のためにも何とか再生して、役に立ちたいと思い、この申し出を受け入れ、まじめな生活をするようになる。ジョギングも始め、オードリーの家から断薬会にも足しげく通い続ける。ジェリーは、麻薬中毒であることを除けば、いい男である。人懐っこい性格もあり、子供たちの心もつかみ、家族に溶け込んでいく。ブライアンの突然の死を受容できないのはオードリーだけではなかった。娘のハーパーもパパの不在に心が満たされない。授業を休んで生前パパと見ていた映画館の名画劇場に行き、行方不明として大騒ぎになるが、娘との日常をブライアンから聞いていたジェリーが無事に発見する。オードリーは、ジェリーと子供たちの親密さに嫉妬を覚え、この時ヒステリーをおこし、彼を家から追い出してしまう。

 

時が流れ、オードリーの家に、ジェリーの断薬会の仲間の一人であるケリーが、この頃ジェリーが断薬会に来ていないことを心配して相談に来る。自分の身勝手な態度に傷ついたジェリーが、またヘロインを始めたことを確信したオードリーは、スラム街から彼を探し出し、以前と同じ生活に引き戻す。ヘロインをやめようとして起こる禁断症状には激しいものがある。全身に走る激痛、皮膚の耐えられない違和感、体温の調節機能異常が起こり、極端に寒かったり暑かったりする症状が交互に起こる。これに筆舌に尽くしがたい不快感と倦怠感が加わる。この禁断症状に耐えきれず中毒患者はまた麻薬を始める。この繰り返しで患者はやがて廃人のようになっていく。

 

ある日オードリーはケリーに恩返しをする意味もあり、夕食に招くが、パーティーが終わった後、ほろ酔い加減でジェリーとしみじみと話し込む。その折、彼女は夫が生きていたころに起こった火事のこと、そして嘆き悲しんでいた自分に投げかけた夫の優しい言葉を思い出す。「火事で失われたものは単なる「もの」でしかない。僕と君がいる、家族がいるじゃないか」。この時初めて夫がもういないことを受容し、ジェリーの前で激しく泣き崩れる。その日を契機にしてオードリーは前向きに生きようとする。そしてジェリーは今度こそ堅気の人間になるためリハビリセンターに入所するため旅立っていく。

 

デューク大学の研究グループによる最近の研究から、塩分を要求する際に働く脳の遺伝子制御システムと、薬物依存症の際に働くシステムが同一のものであることが、マウスの脳を使った研究で明らかになってきた。言うまでもなく、海で始まった生命体が進化の過程で陸に上がった瞬間、塩分をより過剰に摂取しなければならなかったのは、生きるための必然であった。従って脳には絶えず塩分の摂取を促すシステムが作動するようプログラムされている。コカインはコカの葉から、ヘロインは芥子から抽出されたアヘンに由来するようにそもそも麻薬は天然に存在する植物由来であるため、これを代謝するシステムが肝臓にも備わっている。ヒトには、こうした麻薬を少量摂取しながら進化してきた歴史がある。だからこうした麻薬を調節するシステムが脳内に備わっていても不思議ではない。薬物依存症の人がかくも依存症を克服するのに苦労する理由が少しわかったような気がする。同じように麻薬を摂取していながら、依存症になりやすい人とそうでない人がいることが知られているが、依存症には、遺伝的要因も関与する。アルコール摂取や喫煙については、特定の遺伝子情報により依存化が制御されていると推測されている。

 

この映画ではハル・ベリーが突然事故で逝った夫を持つ妻を好演している。彼女の、暖かさを伴ったさびしげな表情はいくつかの映画で垣間見ることが出来るが、今回はその表情がひたひたと迫る喪失感を醸し出している。

Copyright© Department of Neurology, Graduate School of Medical Sciences, Kumamoto University.