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「フライト」「東ベルリンから来た女」-医師というもの

  • 2014.03.1

医者という職業は因果なものである。患者がどんな素性の人でも一応診なければならないことになっている。世の中にセクシャルハラスメントに代表される沢山のハラスメントがある中で、これまで患者が医者をいじめる、所謂ペイシャントハラスメントは、ドクターが患者をいじめるいわゆるドクターズハラスメントの陰に隠れて余り注目されて来なかった。しかし我々医者の立場からすると最近冨に強気な患者が増え、これが医者の大変なストレスとなっている。

ちょっと外来で待たせると怒鳴る、ちょっと採血に失敗するとすごむ患者が圧倒的に増えている。これは個人的には医療にも接遇ということが大きく取り上げられ、患者のことを「患者様」と言い出した十数年前から増えてきたと思っている。金田一京介は、「患者様」というのは、「日本語としておかしい」とはっきり書いていて胸がすく思いがするが、確かに氏がいうように、多くの患者はわざわざ「様」をつけられて有難がったりはしないであろう。
こともあろうに東北のある県で、患者である自分を診察室に呼び出すのに番号で呼んだといっては文句を言い、診察料の支払いで待たせたといっては文句を言い、挙句の果てにそれをブログで書いたところ、良識のある市民から一斉に非難を受けた。さらにそのバカな振る舞いがマスコミで取り上げられたので、そのブログは多くの国民の知れるところとなり、バッシングを受け、最後は自殺に追い込まれてしまった。自殺自体は痛ましいことであることは間違いないが、この議員の勘違いも甚だしい。我々医療人は個人情報保護など益々複雑化する医療現場の中で苦しみながら、少しでも患者にストレスを与えないようにするため、努めて名前を隠し番号化し医療をしていることをあまりに知らない一群の人々がいる。彼らは世の中の常識から取り残されていることを知らず、お山の大将として生きているのであろう。
当然のことながら患者はインテリジェンスの高いものから低いもの、品の良いものから態度の悪いもの、千差万別である。当然のことながら風俗産業のお姉さんもいれば、ヤクザもいる。統合失調症などの精神を蝕んだ患者もいる。それを迅速に感知し、それ相応の対応を考えなければ大やけどをすることになるが、忙しい外来ではこれがなかなか難しい。私自身大やけどは負っていないが、苦労したケースはある。
ある神経難病の患者であるが、国が認定する難病特定疾患の手続きをしたが、それがきっかけで彼氏と別れる羽目になったという。慰謝料を払えと凄んできた。家に火をつけるだの、訴えるだの執拗に脅迫まがいの手紙が大学に不定期に来るようになり、我が家にも来るようになったところで、家族が迷惑を蒙っては大変と考え、警察に通報した。経験を積んだ今だったら、もっと早くに統合失調症であることを察知し、警察に通報するまでに対策を講じることができたような気もするが、こういう事例は、神経内科の教授になって全体を統括する立場にいると結構あることがわかる。結局、自分ひとりで処理しようとして、抱え込んで、金などで解決しようとモラルを失ってしまうと、袋小路に入り込んでしまうケースが少なくない。
私は毎年必ず医学部の学生講義で、パイロットと医者の違いについて話すことにしている。どちらも人の命を預かる職業だが、大きな違いがある。ミスをしても医者は死なないが、パイロットはミスイコール自分の命を失う事態に直面してしまう。車の運転はわき見運転をしてガードレールに当たっても、(そのことは大変なことだが)命を失わないことの方が多いが、飛行機の操縦ミスはパイロット自身と即乗務員も含む全員の死を意味する。従って航行中は百パーセントの安全を提供しないといけないし、乗客は漠然と墜落の恐怖感があるため多少の揺れが避けられない飛行にあっては、ストレスを少しでも和らげるため、音楽やビデオ上映している。
だからパイロットは事故につながりうる体調不良がある場合、操縦桿を握ってはならないし、事故につながりうるアルコールの摂取などは、搭乗12時間前から厳禁となる。また風邪薬であっても、パイロットには乗務前、乗務中の服用は認められていない。航空会社の健康管理室より乗務前に影響を与えるおそれのある薬品リストが発行されていて、搭乗前に少し身体の具合が悪いからといって、軽々しく市販の薬を服用するわけにはいかないシステムになっている。さながらドーピング検査に引っかからないように自己管理しているオリンピック選手のような生活を強いられている。
一方医者は次の日手術であっても飲酒厳禁などといったルールはどこにもなく、自己判断にゆだねられる。ではそれでいいのかというと多くの人はノーを突きつけるであろう。医者こそ、自分の命とは無関係の患者に対し、共感と厳しいモラルをもたないといけない最たる職業であろう。
「フライト」(ロバート・ゼメギス監督)という映画は、乱気流の中飛行機が故障し、ウィトカー機長(デンゼル・ワシントン)のとっさの機転で、背面飛行で急場をしのぎ、最後は胴体着陸を敢行し、全員死ぬべき運命にあった百数名の乗客の命を数名の犠牲に抑えた勇敢かつ辣腕パイロットの話である。彼は事故後、多くのベテランパイロットでも、こうした操縦はできであろうと称賛され、マスコミの注目を浴びるが、実は彼はアルコール漬け、麻薬漬けのパイロットであったことが判明して最後は刑務所に入り、更生の道を探るとことで映画は終わる。実際の航空会社の管理体制ではまずありえない話である。それだけパイロットは航空学校に入った時から厳しい自己管理を求められているし、それを励行しているからである。医者の不養生という言葉があるように、返す返す、医者は甘い。
映画「東ベルリンから来た女」クスティアン・ペッツォルト監督)は、医者という職業を選んだものに課せられた職業意識を考えるのに格好の物語である。ベルリンの壁が崩壊する前の1980年代の東ドイツの話である。西ドイツへの移住申請を却下され左遷された小児科医のバルバラ(ニーナ・ホス)は東ベルリンの大病院からバルト海沿岸にある小さな町の病院に左遷される。きっと圧政下では西ドイツに住みたいなどと考えること自体、不遜なことであったのであろう。当然彼女は東ドイツ当局のブラックリストに登録されており、特別警察の監視下にあった。いきさつははっきり語られていないが、どうも西ドイツに愛する人がいるらしい。厳しい監視の目をかいくぐって彼はバルバラに会いに彼女の住む町に来たりしていた。彼女の表情は硬く、上司のアンドレ(ロナルト・ツェアフェルト)にも笑顔ひとつ見せず同僚とも打ち解けようとはしなかった。アンドレは彼女の魅力に次第にひきつけられていくが、バルバラの方も、医師として誠実に生きるアンドレに尊敬のまなざしを向けるようになっていく。しかし西ドイツに住む彼に対する思いは絶ちがたく、漁師を買収してバルト海沿いに脱出しデンマークに渡ろうと計画していた。買収のためにはひとかどのお金もいるが、バルバラはせっせとその費用をためていた。
そんなある日、強制収容所から逃げようとするが病気になってしまったステラが彼女の病院に運び込まれてくる。ステラを手厚く介護するバルバラであったが、ステラは再び収容所に収監される。いよいよ脱出決行の夜、再び収容所を逃げ出し、瀕死の重傷を負ったステラがバルバラのアパートの前で倒れているのを発見する。このまま放置して逃げれば必ず死んでしまうと察したバルバラは、自分が乗るべき一人乗りのボートに自分の代わりにステラを乗せ、送り出す。一生懸命ためたお金を漁師に渡して。
病人を目の前にした医師は自分の私生活をたとえ犠牲にしても、患者を救わなければならない、というのは決してこの映画のメインテーマではないが、医師の一人として身につまされるラストのシーンであった。

Copyright© Department of Neurology, Graduate School of Medical Sciences, Kumamoto University.