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「博士と彼女のセオリー」-脊髄性筋委縮症

  • 2015.09.1

熊本大学大学院生命科学研究部、神経内科学分野 安東由喜雄

 

ALSは一般的には発症後3-4年で運動神経の前核細胞の変性と中枢の経路である脳の運動野から脊髄に至る錐体路の障害により、それらが支配する骨格筋が選択的に傷害される病気で、最期は主に感染症や呼吸筋障害により死亡する。現在もなお確立された治療法はなく、「ALSと診断するのは死を宣告することに等しい」とアメリカの神経学の教科書に書いているくらいの難病である。末期は前述のごとく呼吸筋を司る神経の障害が起こるため、苦痛を訴え続けて死亡する点がこの病気の病態を更に悲惨なものにしている。

 

昨今、世界規模でこの病気の研究費を募るため、氷水をかぶり寄付を呼びかけるキャンペーンがブームとなったが、それは「ALSの患者が味わっている辛さは氷水をかぶって寒さを実感するくらいのものではない」と呼びかけているのかもしれない。だが何事にも例外がある。脊髄の運動神経細胞に限局した傷害を起こす脊髄性筋委縮症は、中枢の神経細胞は正常のままで、末梢の運動神経だけが障害される。スティーヴン・ホーキング博士のALSはこの中でIV型と呼ばれるさらに特殊なタイプに分類される。このタイプには博士のように生命予後の長いケースも含まれている。実際、博士は、大学院生時代に発症しているが、呼吸筋を含む体のほとんどの筋肉は動かないにもかかわらず、72歳になった今でもなお生きている。映画「博士と彼女のセオリー」(ジェームズ・マーシュ監督)ではALS発症から結婚、そして離婚に至るまでの彼の生き様を遺憾なく映し出している。

 

言うまでもなくホーキング博士は有名な理論物理学者であり宇宙物理学者である。1963年にこれまでの定説を覆す新しい理論であるブラックホールの特異点定理を世に出し注目された。その難解な学説である「ホーキング理論」とは裏腹に、彼の発言は極めて論理的で具体性があり一般人にも十分理解でき、数々の面白いエピソードを残している。「時間」についてもユニークな発言をしている。「時を超えるタイムマシンは果たしてできるのか」、という問いに対して、不可能とする立場を取っているが、その説明として「我々の時代に未来からの観光客が押し寄せたことはないことからも裏付けられる」と答えている。彼は、時間や宇宙に関する考え方についても、素人にもわかりやすい言葉で語っており、一般向けに書かれた著書「ホーキング、宇宙を語る」は一大ベストセラーになり、これにより巨額の富を手に入れ生活が一転した。

 

博士は、ケンブリッジ大学に入学し、物理学を専攻する。1959年、17歳の時のことだ。やがて大学院生となり、理論物理学に興味を持ち研究を進める。彼の研究は荒削りではあったが、その独創性が評価され、教授たちから一目置かれる存在となる。この頃、彼の心は自信と希望に満ちていた。そんな彼がコンパでスペイン語学部で学位を取ろうとしていたジェーンと巡り会う。彼女は博士の知的で精悍なところに、博士は彼女の美しさ、清楚なところに心惹かれ合い、恋に落ちる。ジェーンは敬虔なクリスチャンであるが、ホーキング博士は無神論者である。キリスト教の「宇宙は神が造ったもの」では、科学が成立しない。はじめはどことなく相容れないところのある二人ではあったが、ある日、ダンスパーティーに出かける。遊園地で様々な会話を交わし、メリーゴーランドに乗り、寄り添うように花火を見ながら、二人は宗教を越えた愛に目覚める。しかし人生にはしばしば予期せぬ不幸が襲う。二人の親交は深まり、ホーキング博士は彼女を家に招き、いよいよ結婚と思われていた矢先に、思いもかけず博士は階段で転ぶようになり、手先の巧緻運動がままならなくなる。ALSの発症である。自暴自棄になる博士に対し、ジェーンの心は何処までも優しく愛は揺るがなかった。彼女は結婚に対して後ろ向きになる博士の気持ちや家族の心配を押し切る形で晴れて博士とゴールインすることになる。

 

博士は発病当初は何とか自分で歩き、食事や研究も独力でできていたが、次第にジェーンの手助けを必要とするようになっていく。そんな中、第一子が誕生する。博士の身の回りの世話から育児まで、何もかもが彼女にのしかかる日常生活の中で、彼女は次第に明るさを失い、身も心も疲弊していくようになる。博士は呼吸筋や嚥下筋の力もどんどん弱っていき、遂に1985年、嚥下性肺炎を契機に生死の間をさまようようになる。安楽死を選択肢の一つと提示する医師に対して、ジェーンはそれでも断固として人為的な死の選択を拒否する。博士は何とか肺炎を克服するが、誤嚥を防ぐため、気管切開が行われ、以後今日に至るまで博士は声を失った状態で生活している。博士は声による会話はできなくなったものの、コンピュータ技術の発達と共に、企業の協力を得て、瞬きや目の動きによってアルファベットを選び言葉に変換しそれを声にする機械が開発され、博士は現在もそうした機器を使いコミュニケーションをしている。

 

博士の身の回りの世話と育児に疲れ果てたジェーンは、心の救いを求めて教会のコーラス隊に加わり、心を癒そうとするが、そこで知り合った神父がホーキンス家のヘルパーも買って出るようになり、波紋が広がっていく。当然のように彼女の心がこの神父に動いていったのだ。二人の関係は公然の秘密となり、神父はホーキンス家から去っていく。そうしたことが博士の精神状態に影響を与えたのかもしれないが、新たに雇った女性のヘルパー、エレンに今度は博士が全幅の信頼を寄せるようになり、親密な関係になっていく。この頃、博士は目と口元以外ほとんど動かなくなっていたため、博士の身の回りの世話に専念できるヘルパーの存在は不可欠であったし、映画ではこれも運命と悟って家を出ていくジェーンの姿が描かれている。

 

この映画ではホーキング博士を演じたエディ・レッドメインの演技がひときわ素晴らしく、今年のアカデミー賞主演男優賞を始めてのエントリーで見事手に入れた。彼はきっとALSの患者やホーキング博士の様子をしっかり観察し、役作りに励んだに違いない。この映画はホーキング博士も監修しているが、映画の中のホーキング博士を見て、「これは僕そのものだ」と驚いたらしい。

 

長い人生の中で、男と女、夫と妻、父親と母親、子供と親、病気と家庭・・・・、それぞれの関係の中で、我々人間は法則のない難しいセオリー、方程式を解き続けながら蠢いている。これに不治の難病が絡むと更に難しい方程式を立てなければならなくなる。この映画では、彼らが歩んできた道は困難なことばかりで、神への挑戦のような宇宙物理学の理論を解き明かすために博士が立てた方程式と同じくらい困難なものであったことを垣間見せてくれている。この映画の脚本は、離婚した後、当事者のジェーンが二人の生活を振り返りながら本にしたものを元にしているため、二人の関係が必要以上に美化されている可能性がある。彼らの実生活はもっと現実的な、どろどろとしたいくつもの問題に直面し、右往左往していた可能性が高い。

 

博士とジェーン夫婦にとっての救いは、博士が出版した本のお蔭で富を得、豊かな経済力の中で闘病生活を送ることができたことであり、不幸なことは、そのためにヘルパーなどを入れる余裕ができ、離婚という新たな選択肢を抱え込んでしまったことかもしれない。

 

博士は筋肉がどんどん衰え、車椅子の生活となり、排摂も一人ではできない中で、二度の離婚を経験し、三人の子供を設けている。ALSは運動神経は麻痺するが、自律神経障害は決して起こらないため、勃起能は衰えず、精神活動もしばらくはほぼ保たれるため、性欲は正常である。ある時、記者の「毎日何を考えてるのか」という質問に対して、「女性だよ。彼女達ってとてもナゾに満ちてる存在なんだ」。これこそ難病に侵されながら、72歳に至るまで生きてきたバイタリティーの源なのかもしれない。

Copyright© Department of Neurology, Graduate School of Medical Sciences, Kumamoto University.