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「ありがとう、トニ・エルドマン」ー 父娘関係
- 2017.10.19
私には現在中学三年生の娘がいるが、何故か息子とは違った独特の想いがある。息子は今や大学生になり東京に住んでおり、盆暮れくらいにしか帰ってこない。工学系に進んだ息子は、きっと社会のためになる仕事をして、いい女を見つけ結婚して、自分の信じた人生をひたすら走っていくだろう。そんな突き放した気持ちがあるが、娘はそうはいかない。知性美を感じる女性に育ってほしい。自分のような(?)いい男と巡り合って幸せに暮らしてほしい。子供を産んで母として充実した人生を送ってほしい。できれば仕事をもって社会にも貢献してほしい。事故や性犯罪の餌食にならないでほしい・・・などなど。いけない、いけないと思いつつも、ついああだこうだとこちらが勝手に思い描いた人生を押し付けてしまうような発想に陥るのはなぜであろうか。
これまで見たこともないような展開の映画に巡り会った。ドイツ映画、「ありがとう、トニ・エルドマン」(マーレン・アデ監督)の話だ。ドイツの田舎町で暮らすヴィンフリート(ペーター・ジモニシェック)には、ルーマニアの首都ブカレストに住んでおり、ドイツのコンサルタント会社の支社で働く一人娘、イネス(ザンドラ・ヒュラー)がいた。年のころは多分30歳代の中頃であろうか。とにかく冗談が好きなヴィンフリートは宅急便の配達人が小荷物を運んで来ても声色を変え、弟に成りすまして受け取ったりする。妻とは離婚したらしく、一人で生活している彼は、きっと寂しくて、そうでもしないと自分が保てない側面があるのかもしれない。そんな彼に更に追い打ちをかけるような出来事が起こる。愛犬が死んだのだ。いよいよ身内は娘だけだ。しかしイネスは、たまに会っても仕事の電話ばかりしていて、ろくに話すことすらできない。もちろん娘を深く愛している彼は何とか関係を修復したいと願っていたし、何より娘のことが心配でならない。
ヨーロッパは国が違っても飛行機で1時間足らずで行ける都市ばかりだ。彼は、身軽になったこともあり、ブカレストに娘に会いに行くことにする。突然の来訪に驚くイネスだったが、やっぱり父のことは大切だ。一生懸命時間を見つけて相手をしようとする。しかし何より仕事人間になっている彼女には時間がなく余裕がない。仕事に妨げられ会える時間は限られているし、そもそも性格が正反対な二人は、いつものように話がかみ合わず打ち解けることができない。何となく居心地が悪いヴィンフリートは、何日か一緒に過ごした後、ドイツに帰って行く。仕事はうまくいっているとは言い難く、キャリア・ウーマンとは言うものの、日々の生活に閉塞感もあり、やっと父が帰りほっとするイネスだったが、やはり父は父。いかばかりかの寂寥感を覚えるのだった。
ところがどっこい、ホッとしたのも束の間、何日かのインターバルの後、彼女のもとにトニ・エルドマンと名乗り、出っ歯の入れ歯をし、長髪のかつらをつけて変装した父が突然職場に現れるではないか。そればかりではなく、レストランやパーティーの会場などなど、至る所に出没する「トニ・エルドマン氏」にイネスのフラストレーションは頂点に達する。ついに観念したイネスは父をトニ・エルドマンとして商談の場に一緒に連れていくことにする。そこでも二人は衝突するが、そこは親子である。父親の言動のなかに、「開き直ること」の重要さを学んでいくイネスは一皮むけ、ふたりの隔たりは次第に埋まっていくのだった。
映画の中では開き直ったイネスが、会社の彼女のグループで結束を高めるために開いたパーティーで率先してヌードになったりするようになる場面が描かれるが、要するにフラストレーションが溜まっているのだ。今のEUは、経済も人もボーダレスとなり混とんとしており、イギリスが脱退を決めたように閉塞感がある。そんな中で中東からの移民を最も受け入れているドイツは更に閉塞感があるのかもしれない。この映画はそんな状況を描いている。
映画はおばあちゃんの葬式に戻ったイネスが父親の小道具である入れ歯を入れておどけて見せる場面で終わる。彼女は会社を辞め、新たに中国で働くという。日本人がワーカホリックであるというのは有名な話だが、今のEUも競争社会の中でホワイトカラーもブルーカラーも生き抜くために、せこせこした生活を送っていることを窺い知ることができる。
この映画はこれだけのことを描くのに2時間40分も要し、少し退屈に感じる部分もあるとする評価もあるが、娘と父親の関係をこうしたタッチでコミカルに描こうとした映画は他になく、不思議な感じのする映画である。ジャック・ニコルソンはこの物語にほれ込みハリウッドでリメイクするために版権を買ったというが、場所を今のアメリカに移してこうしたモチーフが魅力的に描かれるかどうかは疑問ではある。
先にも書いたように、父と娘の関係はなかなか複雑で母と息子との関係以上に性の問題が絡んでくる。それはそもそも、太古、男が食料を求めて漁に出て獲物をもって帰らなければならい「ハンター」であったことと無縁ではないのかもしれない。不幸なことに、「命の電話」という公的な電話相談窓口では、近親相姦を相談する電話は数%にも上り、その大多数は父親と娘の性交渉であるという。子供がそうした「秘め事」を抱え込んで、思い悩んで電話相談する姿を想像すると胸がつぶれる思いがするが、どんな理由があるにせよ、そうしたことに加担する大人は鬼畜というほかはないし、健全な家庭ではそうしたあさましい出来事は起こるはずはない。家庭に明らかに問題がある。人は生まれてくる環境も、父親も母親も選ぶことができない。一重に親の責任である。
ヒトにはそもそも、そうしたことが起こらないようにする防止装置が遺伝子の間隙に埋め込まれている。思春期になると多くの娘が父親の言動や匂いを嫌うようになるのは近親相姦を避けるための防御反応の一環であるといわれている(同じように思春期の男子も母親の干渉をうざいなどと感じるようになるのも同じ原理なのかもしれない)。
面白い研究がある。ウェイン州立大学の研究チームが、思春期の子供に家族とあかの他人にそれぞれ3日間 Tシャツを着続けてもらい、その匂いをかぎわけ、家族のものと他人のものとを識別させる実験を行った。結果は、父母は自分の子供のシャツを匂いだけでほぼ識別でき、子供も自分の両親のシャツを言い当てた。面白いことに、匂いの好みに関しては、子供も親も、他人のシャツの匂いのほうがいい匂いだとする回答が圧倒的に多かったという。特に母親は息子の匂いを、娘は父親の匂いを嫌うケースが多かったという。また、異性のきょうだい間でも同じような現象が認められたというから興味深い。
スイスで行われた研究はさらに科学的な考察がなされており興味深い。男子学生に2日間、同じTシャツを着続けてもらい、そのシャツの匂いを女子学生に嗅いでもらい、「大好き」から「大嫌い」までを10段階で評価させた。女子学生は、免疫をつかさどる遺伝子型の一つであるMHCが自分と合わない男子の匂いを「好き」と判断し、MHCが近いものの匂いを「嫌い」と判断したという。信じられないような結果だが、このことは本能的に遺伝子の似通った男子より異なる男子を好む傾向にあることを物語っている面白い研究である。
生物は繁殖するために知恵の限りを尽くし、合目的的に進化してきた。ヒトはヘテロなものをより好むように遺伝子にプログラムされている。ヒトの2万以上ある遺伝子には最低10か所以上エラーがあり、近親婚で子供ができると、親と子の遺伝子は50%が同じであるため遺伝子疾患にかかる頻度が跳ね上がる。生物学的に繁殖形態を最も進化させた生命体であるヒトが近親婚に繋がる近親相姦を選ぶことは極めて非合理的な営みである。恋に落ちた男女が、「運命の赤い糸で結ばれていた」、と思ってしまうのは、無意識のうちにMHCが遠いものを持つ伴侶を選ぶ運命にあることを言っているのかもしれない。