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「私は、ダニエル・ブレイク」-昨今の福祉行政

  • 2017.09.14

藁にもすがりたい気持ちでいる人を前にして、世の中には、「木で鼻を括ったような」応答、考え方をする人間が沢山いることを我々は思い知ってきた。人はこうした人々を「心がない」と評する。「東日本大震災の時、福島で被災し避難した人々が家に帰れないのは自己責任だ」として物議をかもした大臣が、よせばいいのに今度は「首都圏ではなく、東北が震災のターゲットでよかった」といったものだから大臣を解任される羽目になったことは記憶に新しい。世の中には不幸な出来事、不幸な人々を自分の問題として投射できない類の人間が少なからずいるものだ。

ダニエル・ブレイクはイギリスの工業都市のひとつ、ニューカッスルに住む60歳を超えた大工であったが、心疾患を患ったため、ドクターストップがかかり働く手段がない。妻には介護した果てに先立たれて久しい。子供には恵まれず、殺風景なアパートにたった一人で暮らしている。次第に経済的にも苦しくなり国の保護を受けなければならなくなっている。昨年カンヌ映画祭、パルムドール賞を手にした映画「私は、ダニエル・ブレイク」(ケン・ローチ監督)の話だ。

彼はある日福祉事務所を訪れるが、申請を通すためにはクリアしなければならない規則が多く、なかなか生活保護を受けて補助金をもらう段階に行きつかない。この国も財政状況が逼迫しており、日本で問題になっているように不正受給者を排除していかなければならない状況がある。だから審査が厳しいのだ。さらに係員の負担を軽減するために申請書類は電子化されており、大工仕事だけを40年もしてきたダニエルにとってこれは拷問に等しい。コンピュータなど使う必要がなかった人間にとって一人で電子申請などできるはずがないではないか。それに拍車をかけるように福祉事務所の係員は総じて冷たい。援助を申請する人々に、どこかの国の大臣のように、「うまく生活できないのは自己責任だ」とばかりに冷たく見下した対応をとる。だから申請者の心はますます凍り付いていき、その場の雰囲気は悪くなっていく。「俺はずっとまじめに税金を払ってきた。微力ながら国のために働いてきたのにこの扱いは何なんだ。」とダニエルが思うのも無理もない。もっとも、役人の気持ちもあながちわからないわけではない。理屈がわからない初老の老人や母子家庭の困窮者などが大挙して訪れるが、圧倒的に人手が足りない状況がある。

そんな折、二人の子供を持つシングルマザーのケイティが支援を求めて福祉課にやってくる。色々と相談しているうちに案の定、職員の心のない対応についに爆発、声を上げる。偶然いあわせたダニエルは共感からその場をとりなそうとしてくれるが、貧者同士、ダニエルとケイティ一家はこの事件をきっかけに親しくなっていく。

イギリスはメージャー首相の頃から、緊縮財政へと舵を切り、その結果福祉を切り詰め、申請書類の審査が異常に厳しくなっている。国連が障害者の基本的人権を組織的に侵害している国の一つにリストアップしており、査察を受けるまでのレベルになり下がっているという。かつて「揺り籠から墓場まで」と福祉大国を誇っていたイギリスが、今や過去のお伽噺になっている。だから心あるものはNPOを組織し、貧困者の衣食住を支えようとして活動しており、無料で食料などを配るフードバンク(生活必需品も併せて供えられている)が至る所にできている。日本で行われている路上生活者のための炊き出しと似たようなものだ。ある日ダニエルと共にフードバンクを訪れたケイティは生活必需品をどんどん籠に入れていくが、彼女は子供たちを飢えさせないため、何日かほとんど何も食べていなかったのであろう、見つけたビーンズの缶をその場で開け、激しい勢いで食べ始めるではないか。貧困であることはどんなにみじめなことか。我に返ったケイティは自分の置かれた惨めな境遇に改めて思いを寄せて泣きじゃくる。

今のイギリスも日本と同じように貧富の差が激しい状況になっているのであろう。必死でアルバイトを探すが、資格など何も持たない彼女は、ついに生活を支えることができなくなり、ドラッグストアで万引きをしてしまう。その場は心ある捜査官の温情で無罪放免となるが、依然働き場のないケイティは場末の娼婦に身をやつしてまで子供を支えようとする。その姿はあまりに悲しい。

しかし、ケン・ローチ監督は社会的弱者に優しい視線を送る。ダニエルが住んでいる貧しい住人ばかりのアパートの隣人は黒人の青年で、一見やさぐれているように見えるが、実はダニエルに共感をもっている。また冷たい事務所の役人の中にも一人だけダニエルを気遣ってくれる中年の女性がいることを映画の中で描いてくれる。見ているものが何となく、世の中、「右も左も真っ暗闇」というわけではない気持ちになってくる。

話は進む。ダニエルは金も底をつく。ついに社会に対しての、福祉に対しての煮えたぎるような不満を胸に、福祉事務所の建物の壁に黒いスプレーで「I, Daniel Brake:俺はダニエル・ブレイクだ」と殴り描く。それは彼の精一杯の社会に対する抵抗であるとともに、どんなに社会の下層で生きていても、これまでしっかりと税金を払い、まじめに生きてきたことへの彼のプライドの表示であった。ダニエルは家具まで売りに出し貧困生活の急場を凌ごうとするが、そんな中で心臓の具合も悪くなっていく。ついに彼は、ある日事務所のトイレであっけなく突然死する。きっと心筋梗塞であったのであろう。

葬儀が行われることになるが、彼の教会での葬式は何と午前9時からのスタートだ。この時間は教会が空いているので借損料が安いのだ。イギリスでは、9時からの葬式は「貧者の葬式」と言われている。少ないながら友人も、そして彼に親身になっていた事務所の女性も列席し、ささやかだが心温まる葬儀がケイティの取り仕切りで行われる。彼女はそこで、弔辞の代わりにダニエルが役所に出そうとした人間の尊厳について書いた文章を読み上げる。彼はまじめに働き納税の義務という国民の義務を果たした小市民であったことが改めて伝わってくる。

どんなに年老いても金銭的に余裕のあるものは自助努力をすべきであるが、いかに国の経済状態が思わしくないからといっても仕事ができなくなる年齢に達するまで社会に対して貢献してきたものに対し、きちんと敬意を払い、人間らしく生きていける最低の補償はしなければならない。

私が診療している神経難病の患者も日々苦労している。かつて熊本のお隣の鹿児島大学第三内科は神経内科を主に診療していたが、医学生たちから「治らない、治療法ない

(けれど)諦めない疾患を扱っているので三ない科だ」と揶揄されたという。21世紀に入り、新たな治療法が続々と誕生してきたこともあり随分その状況は改善されつつあるが、難病患者の福祉という点においてはいまだに深刻である。国には特定疾患補助というシステムがある。これは稀少疾患であり、慢性に経過し、治療法のない疾患、治療法があっても、高額で国が補助しなければ患者が十分な医療を受けられない疾の支援制度である。つい最近まで56疾患であったものが現在は310疾患が指定されるまでになった。更にこれを500疾患まで増やそうとする動きがある。国の福祉にかける予算は今後増えようもない。そんな中で疾患数だけ増えていくと一疾患にかけられる予算はとどのつまり縮小せざるを得なくなる。生物製剤による抗がん剤、稀少疾患の酵素補充療法、低分子化合物による病態制御など、いわゆるdisease modifying therapy (疾患修飾薬)と言われる治療法の登場により医療費、薬剤費が高騰する中、パイが決まっている医療費の分配をどうするのか妙案は全くない。「弱者を守る。弱者に共感する」という、人間がもっている根本的な最も崇高な感情は、教育によって受け継いでいかなければならないが、わが身を賭してこの問題に真剣に取り組んでくれる政治家が現れないことには道は開けないと思う。我、国の行く末を憂う。

 

 

Copyright© Department of Neurology, Graduate School of Medical Sciences, Kumamoto University.