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「アメリカン・スナイパー」-PTSD
- 2015.05.1
外傷後ストレス障害(PTSD: posttraumatic stress disorder)は、災害、戦闘体験、強姦、暴力などの突発的な出来事に思いもかけず遭遇することによって、その体験が脳裏にしみのように残って消せなくなり、心の異常をきたす厄介な病態の総称である。
映画「アメリカン・スナイパー」(クリント・イーストウッド監督)では、イラク戦争に四度も従軍した実在の狙撃手、クリス・カイル(ブラッドリー・クーパー)が戦争体験の中でPTSDで苦しむ姿が描かれているが、この3月のアカデミー賞作品賞は逃したものの、アメリカで「アバター」をしのぐ興行成績を上げ、映画のできに加えて、この狙撃手の生き様の是非についても議論が巻き起こっている。
カイルは十代の頃はロデオの名手で、体力では誰にも負けない。大学を中退して軍体へ入隊を模索していたが、1999年、やっと念願がかなって海軍に入隊する。2001年の世界貿易センターのテロ事件が彼の愛国心に拍車をかけた。訓練の中で、類まれな狙撃能力が認められ、ネイビーシールズという、イラク戦争の地上部隊に配属が決まる。2003年から2009年まで実に四回も進んでイラクへ赴き、アルカイダの戦闘員や一般市民を165人も狙撃している。絶えず命を失う危険に晒されながら、忠実に任務を遂行する姿を、イーストウッド監督は半ば肯定的に描いている。
狙撃手は突撃する地上部隊の背後から、前方、側方から不意に襲ってくる敵を狙撃し、味方の命を守る。広い視野が持てる高台に位置するため、もしその背後から敵が現れた場合、丸裸になる危険な役割でもある。そんななかで、ここぞというときに素晴らしい観察眼と抜群の狙撃能力で仲間の命を守り続けたカイルはやがてレジェンドと呼ばれるようになる。
彼が実戦で最初に狙撃したのは地上軍の進路上に手榴弾を仕掛けようとしていたイラク人の母子であった。危険を顧みず任務をひたすら追行していくカイルの姿は見ているものに嫌悪感を与えない。そんな中、「ジ・ハード」を掲げ、自分の命と引き換えに自爆テロを繰り返すイラク軍人や一般市民の前で、次々に命を落としたり、負傷していく同僚の姿を垣間見ながら、慢性的な極度の緊張、不安、イライラが募りカイルの心は疲弊していく。映画の中で、「おれが殺してきたのは野蛮人たちだ。後悔なんかしていない」とうそぶくシーンがあるが、それは自責の念の裏返しと言えなくもない。戦場での精神状態から脱却できないカイルは、アメリカに一時期帰還していても、彼の血圧や心拍は緊張が解けず上昇たままであった。一寸した音に驚き、道路で車が近づいただけでパニックになる。産婦人科に行き、生まれたばかりの我が子が泣いているのを見て、何とかするように大声で怒鳴ったり、保育園で子供とじゃれる犬を殺しそうになる。遂に2009年、彼は正式に除隊することになる。
自宅に戻った後、その体験をもとに執筆活動を行いながらPTSDに悩む帰還兵、退役兵のためのNPO団体をたちあげ、社会復帰に向けた支援活動に取り組むようになる。彼の著作の中でも帰還兵の多くがPTSDなどにより社会復帰出来ずにいることと、社会がそのことに無関心でいることを大いに嘆き、余暇のほとんどをそうした慈善事業に当てていたようだ。他人を支援しながら自分自身がPTDSから脱却する道を模索していたに違いない。
そして運命の日が訪れる。2013年2月2日のことだ。カイルはある退役軍人の心を癒すために射撃を教えていたところ、その男が突然カイルに向かって発砲し非業の死を遂げる。この男の家庭はPTSDのせいもあり崩壊状態で、ヒーローとなり幸せに暮らしているかに見えたカイルに対するジェラシーがことを引きおこしたと言われている。アメリカはイラク、アフガンにおびただしい兵士を派遣しているが、実に五人に一人がPTSDに苦しみ、そうした帰還兵が異常な精神状態の中で家族や友人を殺してしまったケースはこれまで150人に上るという。
カイルの評価は当然のことながら賛否両論ある。闇に潜んで女子供まで狙撃し殺してしまうスナイパーであった彼を、潔しとしない意見も根強い。また彼の賛美は戦争美化につながることから、親兄弟を戦争で亡くした家族のアレルギーも激しいものが一部にある。だからこの映画でイーストウッド監督は、カイルという人物を立派な「職人」としては描いているが、ヒーローとしては描いていない。彼が監督をした戦争映画である「父親たちの星条旗」でもPTSDの問題を描いているし、「グラントリノ」でも、朝鮮戦争で多くの朝鮮人を殺したという偏屈な老人を描いている。カイルに殺されたイラクの人々も、彼自身も、そして彼を殺した帰還兵もみんな戦争の犠牲者であり、戦争には勝者も敗者もヒーローも悪役もない、という主張が、今回の映画にも一貫して描かれていて心にずしりと堪える。
ところでPTSDには様々な症状が出現するが、主要症状としては体験の想起、回避、過覚醒の三つがある。体験の想起は原因となった外傷的な体験が、意図しないのに繰り返し思い出されたり、夢にまで登場したりする現象を言う。回避はPTSDの体験を思い出すような状況や場面を、意識的、無意識的に避け続け、様々な事象に対して無感動、無関心を装う状態を言う。過覚醒は、異常体験を離れても交感神経系の亢進状態が続き、それによるイライラや不安が持続し睡眠障害が繰り返される状態をいう。PTSDでは通常、こうした症状が一ヶ月以上続くが、その期間に再び衝撃的な出来事を思い出させるような体験が起こってしまうと更に重症化してしまう。
この病気の治療は決して容易ではないが、一般的なケアとしては、極力刺激的な環境を避け、PTSDを起こすに至った特殊な体験を上書きするような二次的な出来事を防ぐように務めながらひたすら回復を待つしかない。一般的には3分の2のケースで半年以内に自然回復するといわれており、不眠の治療などを行いながら、信頼できる家族のなかで経過を見守ることが重要である。薬剤治療としては、睡眠誘導剤や抗うつ薬の一種であるSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)の投与が有効なことがある。
PTSDの問題は根が深く、時間をかけてもなかなか脱却できない人がいる一方で、過酷な戦争体験や突発事故を経験しても発症しない人がいて、本人の生まれ持った性格や精神疾患の家族歴など様々な要因がこの病態の発症に影響することがわかってきている。古来人類は様々な精神疾患と付き合いながら進化を重ねてきたが、激動する現代社会の中で、また新たな疾患を抱え込んだと言える。
この映画に描かれている時期は、アメリカが戦っていた相手は主にフセイン政権の残党でありアルカイダであった。その頃、国際社会が戦わなければならない新たな組織が更に現れるとは思いもかけなかったことである。今世界を席巻しているのは「イスラム国」である。この組織の、敵とみると手段を選ばない「報復」の仕方の是非に、議論の余地はないが、こともあろうに、標的にされているヨーロッパやアメリカ、そして日本の若者の一部がこの組織に加担しているというから驚かされる。この中にはこの組織の隊員と結婚する目的で海を渡ろうとするイギリスのうら若き乙女までいるというから開いた口が塞がらない。実際に祖国に刃を向けるこの組織の一員として戦闘活動を行うということは、祖国に住んでいる親・兄弟に刃を向けることに等しいし、そもそも多くの人が命を落としている戦闘地で自分の命を差出し活動する必然は一体どこにあるというのか。
与謝野晶子の日露戦争に向かう弟の状況を憂い詠んだ「きみ死にたもうことなかれ」に表現されている、戦争に対する普遍的な家族の思いを知ってほしい。恐ろしい勢いで世の中の秩序や価値観が揺らいでいる現実を直視しながら、本当に若者が真の価値観を見つけていく手がかりを提示できる社会を構築していかなければとんでもないことになってしまう。もしかしたら、今が最後のチャンスなのかもしれない。