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「アリスのままで」-家族性アルツハイマー病
- 2015.08.1
熊本大学大学院生命科学研究部、神経内科学分野 安東由喜雄
筋委縮性側索硬化症(ALS)を患い呼吸苦で苦しがっている患者や、腫瘍で痛みに苦しんでいる患者を診ていると、不遜だが余りの苦しみを前にして、「認知機能を少しでも落としてやる手段が許されたなら・・」と思ってしまうことがある。そうした感情を抱く医師は決して私だけではあるまい。一方、映画「アリスのままで」(リチャード・グラツァー、ウォッシュ・ウエストモアランド監督)に登場するアリスは、若年性アルツハイマー病を患っていることを知り、だんだん「自分」が無くなってしまうのではないかと喪失感に苛まれ、やるせない気持ちを夫にぶちまける。「いっそがんだったらまだ良かった。こんな恥ずかしい思いもしないでいられるから」。これは彼女の心の底からの叫びであろう。無論病気の苦しみに優劣などあろうはずはない。がん患者は逆に次第に死期が近づく中で、この苦しみを忘れる方法はないのか、と願う瞬間があるに違いない。
アルツハイマー病の初期はインテリジェンスが高い患者ほど、自分の物忘れに関する認識が強く、それだけ喪失感に苛まれる。これまで蓄えてきた知識、常識、自分自身の人格、家族との思い出などその喪失感は不安となって表現される。
初老期を迎えようとしているアリスは、皮肉なことに大学の言語学の教授である。内容豊かな講義、講演には定評があった。ある日の講演でいつもはジョークを交えながら立て板に水のようにしゃべるアリスが、突然言葉が出なくなる。学生講義でもインターネットに内容の酷さが書き記されるようになる。不安に思ったアリスは思い余って神経内科の外来を訪れる。「頭部MRIにはっきりした異常は認められません。ただ診察では近時記憶力が著しく低下しています。アルツハイマー病の可能性があるため、PETで調べる必要があります」。「私にはその必要はないわ」。しかし病識のあるアリスは、その日から更に不安になり眠られなくなる。ある日の深夜には夫を無理やり起こし、不安をぶつけたりもする。「この状態をそのまま放置していても埒が明かない」。そう思ったアリスは結局PET検査を受け、脳にアミロイド斑が沈着していることを告げられる。「50歳代で発症するアルツハイマー病は若年性アルツハイマー病です。遺伝歴がある場合がありますから遺伝子も調べましょう」。そういえばアリスの父は同じ年齢の頃認知症で死亡している。果たしてアリスは遺伝子診断でプレセネリン遺伝子に異常が証明される。
アルツハイマー病やALSなどにはそれぞれ遺伝性と非遺伝性のものがある。アルツハイマー病の場合は孤発性の場合は、通常60歳以降に発症するが、遺伝性の場合はプレセネリンやアミロイドβ蛋白質などの遺伝子異常で起こり、アリスのように発症年齢は40-50歳代が多い。
聡明なアリスは、医師である夫と相談の上、親の責任として3人の子供にこの状況を思い切って話すことにする。動揺する子供たちであったが、結局2人の子供が遺伝子診断を受け、長女は遺伝子陽性、長男は陰性、次女は検査を拒否した。長女から電話で遺伝子検査陽性であった知らせを受けたアリスは、親としての責任を痛感するが遺憾ともできず、途方に暮れる。
そんな中でアリスの記憶力、判断力はどんどん落ちていく。アリスは症状が進んで家族に迷惑がかかることを想定して、コンピュータ―に自分へのメッセージを動画としてしっかり残すことにする。「アリス、これ以上症状が進んだら、2階のバスルームの引き出しに睡眠薬の瓶があるから、その中の錠剤を全部飲んでそのままベッドに横たわるのよ。その行為を遂行するときは絶対に誰にも言ってはダメよ」。
アリスの認知症の度合いは時と共に更に進行し、ほんの数分前に言われたことが記憶できない状態になる。そして遂に娘の顔が認識できなくなり、自分の家のトイレの場所までわからなくなる。空間失認の状態である。
ある時、無造作にコンピュータをいじっていたアリスは、かつて吹き込んでおいた自分宛ての動画メッセージを見つける。もうほとんど認知できない状況に近いアリスも、まるで本能にそそのかされるようにそのメッセージに従って2階に上がり、睡眠薬の瓶を見つける。まさに飲もうとしたその瞬間、玄関から来客の呼び声が聞こえる。集中力をそがれたアリスは足元に錠剤をこぼし、つい今しがたまで覚えていたメッセージをすっかり忘れてしまう。間一髪で睡眠薬自殺は回避されるが、それは果たしてアリス自身にとって幸せなことであったのかはわからない。
この映画の原題は「Still Alis」である。この映画ではアルツハイマー病はアリスから様々なものを奪っていくが、その様な状態であっても「もとのアリスのままでいたい」という思いは心のどこかにあり、その気持ちとの葛藤が見事に描かれている。一方で同時に、この病気には、名の知れた言語学者として風を切って生きてきたアリスの様な人間が、人格や人間の尊厳を失うような状態になっても依然アリスとして生きていかなければならない非情さがあることも教えてくれる。
アリスの家庭は、母子関係が多少ぎくしゃくしているものの、三人の子供に恵まれ夫婦仲もよいようだ。夫は医師であり研究者でもあるが、妻がアルツハイマー病で闘病している最中、一生懸命時間を共有しようと努力し、支えようとする姿が描かれている。しかし夫はそんな中、舞い込んできた、メイオー・クリニックへの栄転の話を敢えて選択する。彼にとっては断腸の思いであったに違いないが、それは、国民皆保険制度のないアメリカにあって、妻の闘病のため、仕事をおろそかにしてただ寄り添っていただけでは、今は比較的恵まれた経済力があっても、今後どれだけ続くかわからない介護生活の中で、しっかりした蓄えをしておかなければ妻を守ってはいけない現実を物語っている。
アルツハイマー病を扱った映画はこれまで沢山作られており、中には病気のとらえ方の甘いものも少なくなかったが、この映画はしっかりした専門医が映画製作に携わり、ほぼ正確にこの病気の症状や進行状況を描いている。そして何より、アリスを演じたジュリアン・ムーアが素晴らしい。「ことの終わり」、「巡り会う時間たち」で成熟した女を演じた彼女が、この映画では、化粧一つせず、やや小太りの初老の認知症患者を体当たりで演じている。彼女はこの演技で今年度アカデミー賞主演女優賞を見事に受賞している。
マイケル・ムーア監督の映画「シッコ」で描かれているように、数千万人というアメリカ人が経済的な理由で医療保険に加入できておらず、事実上医療を受けられない状況にある。一方医療保険に加入している人も、アルツハイマー病のように慢性に経過する難病の闘病にあたっては、長期にわたって高額の保険料を払わなければならないため、そうした疾患に苦しむ患者・家族にとって、その介護や経済負担は大きな問題である。
一方、わが国の場合、アルツハイマー病や認知症に関するある統計では現在65歳以上の老人の実に10人に一人、90歳になると4人に一人が認知症であるとする驚くべき数字が提示されている。わが国は貧富の差に関係なく国民皆保険で、ある程度医療費をカバーされるとは言うものの、受ける医療の質は貧富の差が反映していることも事実である。施設に入ることのできる余裕がなく認知症の親を介護するため仕事をやめざるを得ない中高年の子供や、伴侶の老老介護に疲れ果て無理心中を図る悲惨なケースが後を絶たない。
認知症にはアルツハイマー病の他に、脳血管障害に伴う認知症、レビー小体型認知症、前頭側頭葉型認知症などがあるが、約半数がアルツハイマー病であり、圧倒的に多い。どこの国でもどんどん高齢化が進んでおり、このまま有効な治療法やしっかりした介護システムを作らないまま推移すると、やがて世界中に医療の手の届かないアルツハイマー病患者が溢れるようになることは間違いのない事実である。この病気の克服は我々人類の悲願と言っていい。