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「ビリギャル」-天才遺伝子は機能するか?
- 2015.07.1
熊本大学大学院生命科学研究部、神経内科学分野 安東由喜雄
映画「ビリギャル」(土井裕泰監督)に現れてくる工藤さやかは「ギャル」感覚丸出しの高校生である。「息子をプロ野球選手にする」という巨人の星のような彼女の野球バカ父親は息子の部活にかかりっきりで、家庭には小さい頃から一家団欒の雰囲気はなく、さやか自身も父とはぎくしゃくしてうまくいっていない。「このくそじじい」が父に対しての口癖であった。小さい頃は控えめな性格であったこともあり、学校ではいじめられっ子で、家にも学校にも彼女の居場所はない。母(さやかは母のことをああちゃんと呼んでいる)は思い悩んで、中高一貫教育で、大学までエスカレーター式に進学できる私立明欄女子中学にさやかを入学させる。彼女はああちゃんの「これからは毎日、自分がワクワクするような楽しいことだけしていればいいのよ」という言葉を頼りに、一切勉強せず中学、高校生活を送っていった。結果、気がつくと金髪、つけ睫毛のド派手メイクで、服はへそ出しルック、超ミニスカートの出で立ちをした偏差値30、学力最低の「ビリギャル」が完成していた。素行も当然のように悪く、大好きな母が学校に呼び出された回数は片手では足りない。
さやかは高校二年生になり遂に煙草にまで手を染めるようになり、先生に見つかってしまうが、「ほかに吸っている仲間の名前を言えば停学だけは見逃してやる」という担任の「拷問」をものともせず、堂々と無期停学処分を受けるような、一徹さ、仲間への優しさ、を持った「筋の通った」ギャルであった。
この状況に、危機感を持ったああちゃんは、さやかを完全個別指導の青峰塾の面談に連れて行く。いやいや行ってみた塾ではあったが、ここで坪田先生に出会ったことが彼女の人生を一変させることになる。先生はあの手この手でさやかのやる気を起こさせていく。こういうとき、無知であることは大きな武器になる。受験の大変さを知らない彼女は、先生のおだてるがままに、周囲が馬鹿にする中で遂に私学の最高峰の一つ慶應大学の受験を堂々と宣言する。
彼女は本当に人が変わったように頑張った。学校の授業時間を睡眠時間に宛て、塾、そして帰宅後も深夜遅くまで努力し続けた。余りに授業で寝るため、母親が再び学校に呼び出されるが、「さやかは学校しか寝る場所がないんです」という切実な言葉は、今の学校教育と受験がいかに乖離しているかを端的に語る言葉として面白い。真っ白い、何も描かれていない頭の画板にどんどん知識という絵が描かれて行く。坪田先生を信じて1年間勉強に集中した結果、三年生になった時点で偏差値は50前後にまで急上昇する。しかし第一回の全国模試では慶應の合格確率はE判定と最悪であった。強気の彼女もさすがに焦りと無力感を隠せない。受験の厚みを知った瞬間であろう。さやかは自暴自棄になろうとしていた頃、やはり高校生になっていた弟が、父の期待を裏切り、名門高校野球部を退部し、不良グループに出入りしていた。「俺のレベルは姉ちゃんと同じでこんなもの」とうそぶく弟にさやかは啖呵を切る。「テメーと一緒にすんなよ。私はテメーとは違うんだから」。さやかは再起を期して、母に頼んで慶應大学の見学に行き、キャンパスを歩きながら志を新たにする。そして冬が来る。三度目の模試で遂にさやかの偏差値は日本史58、英語72にまで上がり合格率50%のC判定となっていた。あと2か月いよいよ見えなかったゴールがみえてくる。
私は進学校を経て医学部、そして研究生活と進んだ人生の中で、「この人の頭の中は一体どんな構造をしているのだろうか」と思うような何人かの秀才、天才に会ってきた。こうした能力は果たして教育の力で育成することができるのであろうか。人の記憶、理解の能力を少しでも伸ばしたいという思いは、人類の時代を超えた永遠の願望である。
中国では優れた頭脳の少年を集めて英才教育をすれば更に能力が伸びるだろうという発想の元に、そうした生徒を集めた超エリート養成機関をいくつかの大学の中に作っていた。1990年代の話だ。優秀な学生にはどんどん飛び級を認め、積極的にアメリカなどに国費留学も奨励した。しかしこの試みは残念な結果に終わることとなる。そうした学生の多くは社会人となる頃にはまともに社会生活さえ送れない大人に育っていたというのだ。いかに優秀な頭脳を持っているといえども、人間の真価は総合力で決まる。社会性、段取り力、忍耐力、持久力、包容力など、思考から実践に移すまでこうした総合的なプロセスを経て社会的な成功が生まれることは言うまでもない。
脳研究の世界ではかねてより、天才遺伝子を突き止め、将来的にはヒトの能力アップにつなげようとする試みが盛んに行われてきた。脳に存在するNMDA型グルタミン酸受容体は、グルタミン酸受容体の一種で、記憶や学習、更には脳卒中などの脳虚血後の神経細胞死などに深く関わる受容体であるが、これを脳に高発現させると学習能力がアップするのではないかという発想の元、NMDA受容体遺伝子を高発現した遺伝子改変マウスが作られた。このマウスは実際、迷路記憶試験などの記憶試験を行うと、確かに普通のマウスより学習能力が高く、記憶力は普通のマウスより格段に優れていることが証明され、しかも一度覚えたことは長く忘れないことが判明した。ところが科学雑誌「Nature」によると、過去10年、このマウスも含め、このような遺伝子改変技術を用いた30種類以上の「天才マウス」が作られてきたが、多くの「天才マウス」たちに共通に見られる特徴は、記憶力が良すぎると、ささいなことで過去の記憶がよみがえってきて逆に混乱して右往左往する現象がみられるということだ。例えば、迷路の実験で、人間が意図的に設定した目印以外の設定をしただけで混乱して正しく答えられなかったり、ちょっとした刺激に敏感に反応したりしてしまうらしい。このような実験の結果は、すっきりした頭脳明晰な頭とは覚えることと忘れることのバランスが重要であることを物語っているのかもしれない。まだまだ真の天才マウスの誕生には課題が多いことがうかがわれる。
この映画は6年前名古屋に実在したビリギャルこと小林さやかさんのサクセスストーリーをもとに作られた話であり、その内容が書かれた本はベストセラーにまでなっている。果たしてさやかは本命の慶應大学文学部の試験は失敗するが、坪田先生が滑り止めにと勧めておいた、それよりもはるかに偏差値の高い総合政策部に合格する。これが数学も理科もある国立大学法人の入試ならこうも上手くは事が運ばなかったであろうとは思われるが、受験界の伝説として残るような話である。
さやかを演じている癒し系の女優、有村架純の演技が可憐で嫌味がなく、力みなく自然にギャルに溶け込んでいて好感が持てる。また舞台が受験というと殺伐とした感じを与える東京ではなく、名古屋であったというところも新鮮だ。さやかが発する名古屋弁ギャル言葉はどこかユーモラスに響くところが物語に花を添えている。
さやかが人生の大逆転を果たしたのは、ビリギャル状態の中で、担任の教師に「くず」とまで言われ馬鹿にされっても、ギャル生活を謳歌しながら養ってきたイージーゴーイングともいえるような先入観でものを考えない自然体の生き方、そして劣等生でももしかしたら頑張ればできるかもしれないという「なにくそ魂」を坪田先生の「戦略」の中で養うことができたことが大きいと思われる。そして、それに加えて何度も心折れそうになりそうなさやかを支え続けた母の力など総合的な「チームビリギャル」の力があったことも大きい。
知的好奇心はものを学ぶ時の基本である。様々な知識の習得は、この心の上に積み重なっていく。さやかは受験勉強という比較的地味な勉強の中でも、次々に新しいことを吸収できたのは知的好奇心に他ならない。日本の中に蔓延るビリギャルたちよ、オバタリアンになってしまう前に一度しっかり勉強してみなさい。そうしないと日本の将来は危うい。