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「アポロ13」-当世大学事情-
- 2017.02.1
民営化された後の国立大学法人に属する大学は瀕死の重病人のようにも思える。何しろ国に金の余裕がない。だから大学への運営費交付金を減らす。大学に金がなくなるから給与を抑えるために教員を減らす。その結果、臨床活動も研究活動も窮地に陥る。とどのつまりは業績が上がらなくなる。そのうち潰れる大学が出てくるだろうと囁かれる中で、遂に生き残ることだけを目標にする大学が現れる現状は「映画「アポロ13」(ロン・ハワード監督)に似ている」と自嘲的に語る教授もいる。では「アポロ13」(ロン・ハワード監督)とはどんな映画なのか。
この映画では三度目の月面有人飛行を目指し1970年4月に地球を後にしたアポロ13号のエピソードをほぼ忠実に描いている。そもそも西欧社会では13という数字は不吉な数字として敬遠されることも多いが、トラブルは、打ち上げ前からはじまる。宇宙船の技術責任者ケン・マッティングレーが風疹感染者との接触があり、血液の抗体価も上がっていることからNASAの係官は飛行中に発症する可能性があるとして搭乗できないことを通告する。予備チームと三人ごとごっそり入れ替えるか(NASAではこのような時のために予備の三人に同じトレーニングをさせ、誰が欠けても補充が利くように訓練している)、ケンのみを入れ替えるか、ジムに選択を迫る。苦楽を共にしたケンを外すのは断腸の思いであったが、結局彼はケンを降ろす決断を下す。
そうして迎えた4月11日、アポロ13号は打ち上げに成功する。順調な飛行を続けるかにみえたが、月に到着する直前(打ち上げ2日後)にトラブルが発生する。まず、酸素タンクが配線の不備から爆発し、船外に酸素が漏れ始めたのである。この時点ではまだ月面への着陸の可能性は残っていたが、酸素が減り始めるとともに電力不足も深刻になり、そのままでは指令船での生活は難しい状態へと追い込まれていく。
取りあえず地球帰還時のために司令船を温存し、月面着陸を諦め着陸船に移り、酸素や電力を使いながら地球帰還を目指すことになる。爆発事故以来ずっとNASAの管制センターと乗り組み員三人との緊迫した綱渡りのやり取りが続く。使用電力量を極力抑えるため暖房も切り、船内はホットドッグで釘が打てるようになるほど凍てついていく。次に浮上した大きな問題は、着陸船には隊員が吐く炭酸ガスを除去できるだけのキャパシティがなく、そのまま行くとCO2ガスナルコレプシーになってしまうことであった。
炭酸ガスの除去に必要な十分量の水酸化リチウムをどこかから手に入れなければならない。予備の除去ボトルは船外の格納庫に置いてあるが、もはやそれを取りに行くために船外活動をするだけの電力の余裕はない。司令船内のほうには使用可能な濾過装置の予備はあるものの、フィルターエレメントは四角形をしており、着陸船の円形フィルターには装着できないことがわかり愕然とする。このため管制官たちは、船内にあるものを使いこの問題を解決できないかと徹夜で検討する。結局あまったダンボールやビニール袋をガムテープで貼り合わせると着陸船の規格に合ったフィルター管を製作できることが判明し、飛行士たちに伝授し、この問題も何とかクリアする。一方、搭乗できなかったケンも思いもかけず襲ってきた仲間の絶体絶命のピンチを救うため、電力を節約するためのベストな方法を、まったく同じ規格で作っていた地上の訓練船に籠もり、探り出していく。彼はアポロ13号の構造を熟知していたため、様々な提案ができた。彼が今回の飛行に登場できなかったことは、飛行士たちにとって何よりの幸いであった。
さらに予想外の問題は起こり続ける。地球帰還に向けて宇宙船の進路が外れていることが判明したのだ。これに対し、乗り組み員はこれまでの訓練を頼りに手動噴射で姿勢を制御し、これもなんとか切り抜ける。地球の姿がだんだん大きくなって行く。あとは大気圏の突入角度を制御しさえすれば、何とか帰還できるめどが立ったように思われた矢先、今度は月面着陸で得られるハズだった月の石の重量100kg分が足りないことが判明する。それでは当初計算・設定した軌道を大きく外れてしまうことになる。そこで急ぎ着陸船から不用品を指令船に集めてこの問題も何とか解決する。
最大の難関は、大気圏再突入である。入射角が深すぎると大気圏と宇宙船の激しい摩擦で高熱を出し宇宙船が焼け焦げてしまうし、浅すぎると大気圏にはねられて宇宙をさ迷うことになる。そしてついにその時はやってくる。緊迫する約4分間。しかしこの問題も何とかクリアし、3人の乗員は地球へ帰還することになる。
アポロ13号が、何度も何度も突きつけられる度重なる事故や困難を乗り越え、無事に地球へ帰還するまでを描いたこの映画は、出演者の演技もさることながら、当世流行りのコンピュータグラフィクスがない時代に、当時の映像技術を使って工夫を凝らして作り上げたもので、アカデミー賞編集賞、音響賞を受賞している。その映像は今見返しても決して時代を感じさせない。
彼らが無事地球に生還することだけを目指してNASA一丸となって知恵を出し合い成功に導いた事実は「成功した失敗 (successful failure)」、「栄光ある失敗(glorious failure)」などと称えられている。
かつて国立大学は、2004年に民営化され、国立大学法人となった。爾来年々運営費交付金は年々減り続け、この十数年近くの間に約2000億円が削減されている。ちょうどこの映画のように、少々血を流しても、とにかく生き残ればいいと考えている大学執行部が少なからずいるのも無理はない。何しろ金がないのだ。
文部科学省は、民営化の理由を、国立大学がそれぞれの個性を生かしながら、教育研究を一層発展させるためには、これまでの国立大学のように文部科学省の内部組織であったのでは新しい取り組みをしようとするときにさまざまな不都合が生じるためだと説明している。苦しい言い訳である。
文部科学省は更に続ける。国立大学の枠組みのままでは学科名を変えるのにも省令の改正が必要であり、不要になったポストを新たなポストに替えるだけでも、その都度文部科学省のみならず総務省や財務省まで上申する必要がある。これでは、大学の自由度が制約される。また、お金の使い方についてもかなり厳しい制約があり、自由に研究に用いる体制にない。また教職員は公務員だと給与が一律に決められていて、頑張った人の給与を高くすることにも限界があり、民間企業との共同研究にもいろいろと制約がある。そこで、こうした不都合な点を解消し、優れた教育や特色ある研究に工夫を凝らすことができ、個性豊かな魅力のある大学になっていくためには、国の組織から独立した「国立大学法人」にすることが不可欠であったと言っている。これらの論法には現場にいる多くの教員が詭弁であると思っている。民営化だけならまだしも、運営費交付金の削減は、「ボディーブローのように」と言いたいが、実際は瀕死の病人にダメを押すような「お達し」である。
このような状況のなかで多くの大学で教員の定数削減が行われている。その程度には差があるが10-25%の教員数が減ってきている。例えば10人でやっていた仕事を7.5人で行うような削減は職員を苦しめるし、何より士気が下がることはいうまでもない。特に、医学部附属病院の場合、研究、教育に加えて、診療が加わる。最近の大学病院の診療は、救急医療参入が要求されているなか、教員の削減は死活問題である。
ある大学の医学部長の話では「今はうちの大学が生き残ることだけを考えて采配を振るっている。一番先に潰れる大学にだけはなりたくない。せめて10番目くらいに」という。最初は半ば冗談でおっしゃっているのかと思いきや、その目は真剣であった。
かくいう私も4月から医学部長、研究部長を拝命することになった。起死回生の一打などあるはずもないが、この鬱屈した大学事情を打破するため、アポロ13号のSuccessful failureを繰り返しながら、前に進むしかないのではないか、と思っている。