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「愛を乞う人」(2)-こうのとりのゆりかご-
- 2017.01.1
映画「愛を乞う人」(平山秀幸監督)は同名の下山治美の自伝的小説をもとに作られた幼児虐待の極みのような物語である。その出自ははっきりしないが、恐らく幼い頃、虐待を受けたに違いない水商売をしている母親が、娘に執拗に虐待を繰り返す。たまりかねた台湾人の父親は、娘の手を引いて家を出たものの結核で倒れ、友人にあとを託して死んでしまう。結局娘は孤児院に預けられるといったストーリーが前半の骨子である。虐待を受け続ける娘であっても唯一頼ることができるのは母である。花火大会に誘いに来た友だちの前で、おそるおそる「母さん、お小遣いちょうだい」と頼む娘。母は娘をきっと睨み、「手を出しな」といって、タバコの火を娘の手のひらに押し当てる。さらにベルトで滅多打ちにするといったシーンを見ていた友達が恐怖のあまり思わずおしっこをもらしてしまうという壮絶なシーンがちりばめられている。
幼児虐待が行われる背景にはさまざまな要因がある。貧困、親の育った環境、夫婦不和・・・。それと同じように、親が新生児を「捨てる」行為もまた同様の背景があり、ある種の乳児虐待である。
2007年、熊本市慈恵病院の蓮田太二理事長が「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)の運用を開始した。これまでさまざまなメディアがこれを報じ、ドラマにもなり、大きな議論を巻き起こしてきた。「安易な子捨ての助長」、「出自を知る権利のはく奪」といった批判もある中、先生は一貫して「赤ちゃんが生き延びる権利が最も重要で優先されるべきである」と主張し続けてきた。
さらに、預けられた赤ちゃんのうち、乳児院で育てられるケースが多い現状について、必ずしも望ましい状況ではないと考え、同病院では早期から家庭で育てられることの重要性を訴え、養親の実子として戸籍に入れ育ててもらう特別養子縁組にも取り組んできた。
そもそも慈恵病院は、カトリックの宣教師が明治22年に設立した、貧しい人々のための診療所が前身となっている。戦後のわが国の経済復興のなかで、日本でのカトリック教会の果たす役割は終わったとして、1977年からは蓮田先生が医療法人を作って引き継いだが、先生は産婦人科医であることから、2002年より24時間体制で妊娠・育児の悩みを受け付ける電話相談窓口を設置し、恵まれない環境にある母子のために「こうのとりのゆりかご」を作ろうとして活動をはじめる。
しかし、捨てられた赤ちゃんを助けるという行為に法律は厳しい。「ゆりかご」は「遺棄幇助罪」に当たるのではないかとする考えがこの設立の前に立ちはだかる。 さらに、市、県の行政の規範が障害となったうえ、時の首相までが批判的な意見を述べるといったなかでの船出であった。また特別養子縁組で障壁になるのが"出自を知る権利"の問題である。これをどうするかについても今でも議論は尽きないが、蓮田先生はヒューマニズムを貫き前に進めた。
その活動のなかで、寄せられる相談のなかには、望まない妊娠による出産への葛藤、育児の問題が多く含まれており、特に若年妊娠の問題は深刻であることを知る。こうした問題は常に中絶の問題が付きまとうなかで、開設以来、本人、家族と繰り返し面談を続け問題を明らかにし、結果、500件に迫る命が救われるとともに、一般家庭で引き取られた子供は200件に迫ろうとするというから意義深い。そもそも「ゆりかご」に預けられた子供たちは、まずその時点で実の親を失い、さらに施設に預けられた子供たちは、3歳で母親のように慕っていた乳児院の職員と引き裂かれ第二の母を失い、18歳からは親という後ろ盾のないまま、社会の荒波にもまれることになる。そうした出自を持つ人の犯罪率が高いという統計まである。蓮田先生は、「ゆりかご」に預けられた子供がこうした経緯をたどり、心に傷を負うのではなく、特別養子縁組をして一般家庭で育つ方がずっと幸せだと考えている。開設当初、県の乳児院の担当者は、「子どもを育てようという人はいません。里親もいません。」といっていたらしいが、どうして現在、一万組弱の家族が養子縁組を望んでいるというから驚かされる。国の財政難のなかで、こうした事業の公的負担の問題も重要である。0歳から18歳まで、乳児院、児童養護施設で育った場合、費用は1億1520万円、民間でも7,680万円かかるとの試算がある。特別養子縁組の場合、公的な負担はほとんどかからないことになり、その点からも望ましいのではないかと蓮田先生は訴える。
慈恵病院がかかわり特別養子縁組を行ったケースのうち、1/4が若年層の妊娠で、そのなかには小学校5年生も含まれている。また強姦による妊娠で、親に言えなかったという痛ましい事例もある。こうした乱れた「性」の問題を直視し、教育、啓発していくシステム作りも重要である。
蓮田先生は「ゆりかご」を日本に導入するに当たって、「赤ちゃんポスト」として15年前から運用しているドイツに足を運び、その実態を徹底的に調べた。ドイツではナチスドイツのユダヤ人大量虐殺などに対する深い反省もあり、命に対する思いが深い。福祉団体やNGOが国内100か所あまりにポストを設置し、これまで300人を超える乳児がそこに預けられているという。ドイツが日本と大きく違うのは、「赤ちゃんポスト」だけでなく、望まない妊娠をした女性を支えるさまざまな仕組みがあるということだ。身元を明かさず病院で安全に出産できる制度や、行き場がない妊婦に対して出産後まで生活を支援する「母子シェルター」などが用意されている。さらに、利用した親が8週間以内に引き取りを申し出なかった場合、親権を放棄したとみなされる法律があり、子どもを養子として速やかに新たな家庭に送り出すためには好都合になっている。さらに、預けられたすべての子どもの生活環境が良好か追跡調査するなど、成人するまで支援している。最優先すべきは産まれてくる権利を守ることだとする考え方が徹底している。
今年の1月、わが神経内科の同門会講演会に蓮田先生をお呼びし、1時間のご講演をいただいた。少し体調を崩され、車椅子での講演であったが、最初から最後の一言までヒューマニズムに貫かれた素晴らしい内容であった。簡単な礼状をお送りしたところ、丁寧なお返事をいただいた。その内容は我々医局員の丁重な対応をお褒め下さった後にこういう文章が続いていた。
「私たちは有難いことに日常生活で衣食住には困っておりません。しかし、朝起きた時に限られた持ち金の中でその日一日をどのように食べていこうかと思い悩む人達がいるのも現実なのです。そのような人達を社会的規範でしばり、断罪できるものではなく、その人達の生きる道を助け、生まれた赤ちゃんを救うことが私たちの使命だと考えております。ヨハネによる福音第八章一から十一節、「「あなた方のうち罪を犯したことのない人がまずこの女に石を投げなさい。」これを聞くと人々は年長者からはじまって一人また一人と去っていった。」にありますように、私もこの齢になり、振り返ってみて全く過ちがなかったとは言えません。家族や周囲のものに対し厳しく当たったり、己を省みない行動を取ったこともあります。私どものところに妊娠、その他のことで悩み、相談してくる人達の中には自分の状況を恥じ、罪の意識を持った人達が少なくなく、匿名を強く望み、「周囲に知られる位なら死ぬ。」という言葉が出てくることもあります。そのような人達に寄り添って少しでも力になり、前向きに生きる力を持ってもらえたらと願わずにはおられません。「ゆりかご」を知りながら貧困が故にここまで辿りつけず、赤ちゃんを川に捨て遺棄死となり、母親は刑務所に入るというケースもありました。」
「福祉という概念は、困っている人を余裕のある人が助ける」というヒトが集団生活の中で長らく学んできた、遺伝子の間隙に刷り込まれてきた貴重な知恵である。それを変貌する世相のなかでも未来を担う子供たちのために死守していかねばならない、と蓮田先生の講演を聞きながら心から思った。