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「コーヒーが冷めないうちに」ー思い出という名の未練ー

  • 2018.12.14

NHKが1967年に放送した「タイムトンネル」(アメリカABCテレビ制作)は、当時科学好きの中学生だった私の心を捉えて離さなかった。毎回過去の世界に入り込んだ主人公が、歴史上の人物や出来事と関わり合い、事件に出くわし、危機一髪で乗り切るストーリー仕立ても随分面白かったが、「科学がさらに進歩したら、本当に時間を乗り越えるトンネルのようなものができて、僕らはタイムスリップして未来にも過去にも自由に行けるようになるのかも知れない」。そう考えると心が躍った。アリゾナの砂漠の地下に設けられた科学センターに、目的とする時代に現代人を送るため「タイムトンネル」と呼ばれるドームが作られたという設定である。しかしそれは未完成のトンネルで完全に日時を制御できない状態にあったため、二人の若い科学者が誤ってトンネルに入り込んだまま、予期しない過去と未来を彷徨う放浪者になるという話であった。毎回彼らが、思いもかけない時代に行き、英雄と遭遇する。古代ギリシアやモンゴル帝国、開拓時代のアメリカなどで、ジンギスカンやナポレオン、リンカーンと出会う奇想天外なストーリーに、今度はどの時代の誰に会えるのかとワクワクして次の放送が待ち遠しくて仕方なかった。放送時間がちょうど日曜日の夕食時であったが、観ることに集中しすぎてほとんど箸の動きが止まったものだ。その頃から医者を目指していた私は「タイムトンネルがあったら、病気になった患者を発症前に戻して治療できるのではないか」とも考えた。

もっとも先ごろ鬼籍に入ったホーキンス博士は、「我々は未来からの観光客に一度も会ったことがないので、タイムマシンなんて未来永劫できはしない。理論的にも無理だ。」と言っており、その言葉には説得力がある。人生に残された時間があまり長くなくなってきた今、未来に行きたいとは思わないが、過去に遡って会いたい人や謝りたい人がいっぱいいるので、夢は持ち続けていたいとは思う。

「人生とは重き荷を背負い坂道を上るがごとし。急ぐべからず。 不自由を常と思えば不足なし」。こう言ったのは徳川家康だが、「不自由を常」とはなかなか思えない。「あのとき頑張っていればこんな重荷を背負わなくても」と後悔が募る時があるが時計の針は戻らない。だから人はリュックサックの中に諦めきれない後悔をいっぱい貯めながら人生の坂道を登っていくものかもしれない。

1980年代、スティーブン・スピルバーグが総指揮を執りできあがった映画、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」もデロリアンという原子力を搭載したスーパーカー仕立てのタイムマシンに乗り、時間と場所を設定すると未来にも過去にも行けるという、奇想天外の設定の中で、描かれる人間の欲望や優しさ、愛、エゴ、後悔の念などがいっぱい詰まったストーリーは実に面白かった。主人公マーティが若い頃の両親に出会ったり、自分の年老いた姿まで見に行けるダイバーシティーには惹きつけられ時を忘れた。発想のユニークさと映画としてのあまりの面白さに、パート3まで作られている。余談だが主演のマイケル・J・フォックスは若年性パーキンソン病にかかりその闘病記が本やテレビ番組で紹介され有名になった。

ある街の喫茶店には特別な座席がある。その席に座るとその間だけ過去でも未来でも望んだ時間に移動ができるという。しかし、そこには詳細な決まり事があった。1.過去に戻ってもその喫茶店を訪れたことのない者には会うことができない。2.過去に戻ってどんな努力をしても現実は変わらない。3.その席には先客がいて、席に座れるのはその先客が席を立った時だけである。4.過去に戻っても席を立って移動することはできない。5.過去に戻れるのは、カップに注いだコーヒーが冷めてしまうまでの間だけである。この都市伝説に過去に悔いを持った客が喫茶店を訪れてくる。喫茶店の名前は「フニクリ・フニクラ」。映画「コーヒーが冷めないうちに」(塚原あゆ子監督)の話だ。誰もがあの日、あの時に一度でいいから戻りたいと思って生きているに違いない。そうした思いを上手く物語にした映画である。話は4人にまつわるオムニバスからなる。

第一話は三十路前の独身キャリアウーマン、二美子(波瑠)の話である。彼女は幼馴染の五郎にほのかな恋心を抱いている。これまで彼女もいろいろな男と恋をしたし、五郎も決してもてない男ではない。しかし心の中にはいつも五郎がいて、「いざとなったら五郎」と思っていた。そんな五郎が何の断わりもなくアメリカに留学するという。もちろん二美子を連れて行く気なんてないらしい。その喫茶店で一週間前にその話を聞かされ、喧嘩別れしてしまったことを彼女は悔いている。「本当は自分を連れて行きたいんじゃないのか」-心の中にはほのかな期待があった。そこで彼女はその瞬間に戻り彼の真意を聞くことに成功する。

若年性アルツハイマー病を患っている高竹佳代と名乗る女性(薬師丸ひろ子)は毎日のようにこの喫茶店に来ては旅行のガイドブックに丹念に目を通している。しかし目的地が定まらず、同じガイドブックをめくり続けている。彼女を優しく見守るのは夫の房木康徳であり、高竹は旧姓である。夕方になると決まって彼女を迎えに来る。「高竹さん、帰りましょうか」。房木が妻にそう語りかけるのは、彼女が若年性アルツハイマー病を患い、旧姓しか覚えていないからだ。もはや夫のことは親しい友人くらいにしか思っていない。そんな彼女は夫に渡せなかった一通の手紙を持っており、認知症のまっただ中にいても、その思いだけは忘れないでいた。そのことを知っている夫はその席に座り、認知症になって物忘れが始まったことを伝え詫びる思いの詰まった手紙を受け取ろうとする。過去の時間の中で、妻はこう語りかける。「ごめんなさい。私いっぱい物忘れして、迷惑かけているんじゃないかしら」。その想いは、夫に対する愛以外の何物でもない。「いや、そんなこと全然ないよ。君には感謝しているよ」。優しく静かに答える夫。でも目には涙がいっぱい溜まっていて、鼻水が流れる(松重豊の演技が素晴らしい)。

第3話は一人でスナックを営む平井八絵子(吉田羊)の話だ。彼女はこの喫茶店の常連である。八絵子の家業は旅館経営である。そもそも彼女は長女で旅館を継ぐ運命にあったが、自由奔放に生きたい彼女はある日家を飛び出し、スナック経営にたどり着く。姉を実家に引き戻して一緒に旅館の運営をしたいと思っている妹の久美は八絵子に何度も会いに来るが、八絵子は逃げ回ってばかりいた。ある日その妹が交通事故で突然亡くなる。「きっと自分に会いに来る途中に交通事故にあったのだろう」と自責の念に駆られる彼女は久美が前回喫茶店に来た日に戻りたい、そして妹に謝りたいとその席に座る。第4話は主人公・時田数(有村架純)にまつわるエピソードへと進みクライマックスへと進んでいく。

思い出に完璧なものは何もない。楽しかった思い出もその中にはいかばかりかの後悔、未練が残る。立川談志が「思い出という名の未練」といった背景にも、落語家として大成する道のりの中で後悔や未練が沢山あったことを物語っている。過去の出来事を思い出すとついつい欲が出て、楽しかった旅もあんなところにも行っておけばよかったと思ったりするし、失言癖のある私は、「あの日に返って謝りたい」と思う場面が数多くある。きっと多くの人は、サラリーマン川柳の「プロポーズ あの日に返って 断りたい」と思っているのかもしれない。

結末がわかっている映画や小説が面白くないのは言うまでもない。5年後、10年後自分がどうなっているのかわかっていればそれに備えていろいろな準備ができる。特に病気の予知ができれば即長寿につながることは言うまでもない。そうは思うが、一方で年老いていく自分や愛する妻の姿を一瞬にして見てしまうとそれを果たして受容できるのかいささか自信がない。やはりゆっくりと時間をかけて少しづつ年老いていく自分たちの姿を見つめ順応していくしかないような気がしている。

 

 

 

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