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「寝ても覚めても」-認知症の音楽療法-

  • 2018.11.15

これまで数多の映画が男女の恋物語を描いてきた。その多くはヒーロー・ヒロインが、戦争、病気、貧困、格差、不倫などさまざまな障壁を乗り越え、愛を貫く姿を描き感動を与えた。こうした映画では、愛がはぐくまれる時代、社会背景も重要なサブテーマとなっていたが、映画「寝ても覚めても」(濱口竜介監督)は、愛とは何か、人を一途に思うということはどういうことなのかを純粋に問い続けていて新鮮だ。男女の愛のあり方だけに焦点を当てた珍しいタイプの純愛映画ということができる。このドラマに出てくる朝子(唐田えりか)はアルバイトで生計を立てているいわば「自由人」だし、彼女が一心に想う麦(東出昌大)も、ものにこだわらず、しがらみのない世界に生きる人間である。そうした状況で、「人は何故他の誰でもない、『その人』を一心に愛するのか」を問い続けているこの映画の視点はユニークである。

喫茶店で働く朝子は、大阪の美術館で開かれている牛腸茂雄の写真展に行く。彼女の後ろを、背が高くモズの巣のような髪をした麦が鼻歌を歌いながら飄々とした面持ちで通りすぎていく。美術館を出て、麦が右手、朝子が左手へ曲がろうとした瞬間、中学生たちが遊んでいた爆竹が炸裂するが、その音に促されるように二人は顔をあわせ、何のためらいもなく口づけを交わす。朝子の恋のときめきが始まった瞬間である。

次に二人は偶然にも居酒屋で再会し、この時から運命の歯車がかみ合い回り出す。二人は恋に落ち同じ時間をすごすようになるが、風来坊のような麦は「俺はちゃんと朝ちゃんのところに帰ってくるから」と言い残して、突然姿を消しては何日かして帰ってくる生活を繰り返す。朝子は不安を感じつつも、やがて目の前に麦が戻ってくることに幸せを感じていた。しかし、ある時麦は姿を消したきりずっと帰って来なくなる。

やがて朝子は東京で暮らすようになっていたが、麦が姿を消して3年ほどの月日がすぎたある日、彼女は突然「麦」をみつけ、動揺が走る。しかし、その男は麦本人ではなく、麦の顔によく似た亮平(東出昌大一人二役)という男であった。朝子は戸惑いつつも麦の面影を追い、次第に彼に惹かれるようになっていく。麦にそっくりだから好きになったのか、好きだから似たように見えるのか、そう問いかけながらも亮平に惹かれていく。結局、最後は彼と一緒にいる時、麦を思っていた自分がその時の感情と同じになっていたのだと気づく朝子の心の動きがうまく描写されながら映画は進んでいく。

恋に落ちると、別れが訪れてもその人のことが忘れられない。寝ても覚めても思っているうちに脳の記憶中枢にその人の面影が染みのように刻み込まれる。人はそれを想い出とか未練という言葉で表現する。初恋の人は忘れられないというのはそういうことなのかもしれない。

ヒトは進化の過程で大脳が発達し、複雑な思考・判断・感情などを手に入れた一方で、動物と比べ視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚などの優れた機能が劣ってしまった。しかし、さまざまな出来事のなかで、そうした五感を利用しながら感じた想いをしっかりと記憶としてしまい込むことができる能力を獲得した。だから進化の過程で好きでたまらなかった人の姿、声、匂い・・・がいつまでたっても忘れられなくなるのだ。

映画「パーソナル・ソング」(マイケル・ロサト=ベネット監督)では、ヒトの脳にしまい込まれた好きだった音楽の記憶を呼び起こすことにより脳の機能を活性化しようとするユニークな試みが紹介されている。

現在のアメリカも認知症が大変な社会問題となっている。ソーシャルワーカーのダン・コーエンは、ある時「患者が自分の好きな歌を聞けば、音楽の記憶中枢を刺激して何かを思い出すのではないか」と考える。彼は早速、認知症のケアハウスでiPadを使い実験をしてみるが面白いようにその効果が表れる。

彼は長年アルツハイマー病を患い、娘の名前も思い出せず、会話もなく過ごしていたヘンリー(94歳)に、好きだったキャブ・キャロウェイの音楽を聴かせてみる。するとどうだろう。突然スイッチが入ったように音楽に合わせて陽気に歌い出すではないか。そして音楽を止めた後もそれまでのことが嘘のようにしゃべりだし、音楽の素晴らしさや家族のことを次々に語りだす。メリー・ルーは初老の女性だが、同じくアルツハイマーの患者である。日常生活に支障をきたすようになっており、夫の介護がなければ何もできない状態になっている。フォークとスプーンの違いがわからない、エレベーターの上と下のボタンも区別できない。自分のふがいなさと夫に対する申し訳なさで涙が止まらない。コーエンはそんな彼女が孫をかわいがる様子をみて、愛情に関する脳の部分は昔と変わらず傷ついていないと考え、ビーチ・ボーイズの「アイ・ゲット・アラウンド」を聞かせたところ、彼女の表情は一転して笑顔になり、嬉しさのあまり椅子から立ち上がり、部屋中を軽快に歩き始める。これをきっかけにビートルズの「ヘイ・ジュード」、「抱きしめたい」など、彼女が昔好きだったさまざまなスタンダードナンバーのイントロを聴いただけで瞬時的に反応するほどに「回復」する。彼女はうれし涙を流し、音楽によって人生の喜びを再び取り戻したかのように見える。この映画ではこのようにその患者が最も好きだった音楽(パーソナル・ソング)を聴いてもらい、失われた記憶を呼び戻す認知症の患者の様子が次々に紹介され、「音楽療法」の素晴らしさが紹介されている。このドキュメンタリーはみているものに感動を与え、サンダンス国際映画祭でドキュメンタリー賞を受賞している。

音楽療法は、第二次世界大戦のさなか、アメリカの野戦病院で、戦争で大怪我をした多くの傷病兵に音楽を聴かせることで兵士の治癒が早まったという実際の経験をもとに始まった治療法という。ミュージカルやジャズ好きのアメリカ人らしいエピソードだ。現在日本でも、この「治療法」は少しずつ定着しつつあり、日本音楽療法会認定の音楽療法士が徐々に増えてきている。

子供たちの小さい頃の写真をみると、子育てに格闘し苦しくもあったが楽しかった思い出が彼らの瑞々しい声とともに蘇ってくる。匂いも例外ではなく、突然懐かしい匂いが漂ってくると、それを食べたレストランとともにその旅の思い出が呼び戻される。学生時代に流行った音楽もすっかり忘れてしまっていたように思っていても脳はちゃんと覚えていて、その歌を聴くと流行っていた時に付き合っていた彼女との甘くてほろ苦い日々が蘇ってくる。

音楽は様々な刺激のなかでも、特に記憶との結びつきが強い。それは何故なのか。聞いた音楽は聴覚中枢を経て情動を司る大脳辺縁系に伝達され、記憶装置である海馬にその刺激が収納される。すなわち、音楽を聞くと聴覚にかかわる分野だけでなく、同時に記憶にかかわる分野も刺激を受ける。また音楽は言語を理解する左脳と違って右脳を刺激するが、右脳は画像などのイメージを処理する脳でもあるため、聞いた音楽に関係する過去のイメージが脳内から呼び起こされるので、認知症患者には好都合な治療法なのかもしれない。

音楽療法はこのように認知症の素晴らしい治療なのかもしれないが、片やてんかんのように脳が一時的に興奮することが脳にどのような影響を与えるのかは検証されなければならない。てんかんでは脳細胞の局所的な発火現象で、脳循環障害が起こり、結果として脳機能が低下することが知られている。認知症のようにそもそも脳細胞が脱落しつつある状態で、この治療法を長期行うことが本当の治療になるのかは、今後の多角的な検証を待たなければならない。

音楽療法が前述のごとく脳を活性化する力があるのなら、いっそのこと初恋の人に会わせる方がもっと認知症患者の脳は活性化されるのではないかと思われる。しかし「人生の終わりにやけぼっくいに火が付きでもしてはとんでもない」と、この治療を受け入れてくれる度量の大きな配偶者はそうはいないはずだ。私が認知症になった時、きっと私の配偶者には受け入れられないだろう。

 

 

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