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「万引き家族」-盗みのこころ-
- 2018.07.17
「万引き家族」(是枝裕和監督)がカンヌ映画祭パルムドール賞を受賞した。日本人としては、今村昌平監督の「うなぎ」以来21年ぶりの快挙で、映画ファン、そして是枝ファンとしては嬉しい限りだ。
東京の下町の高層ビルの谷間にぽつんと古く壊れそうな小さな一軒家が建っている。そこには年老いた初枝(樹木希林)、その娘でクリーニング店で働く信代(安藤サクラ)と日雇いの土方仕事をしている夫の柴田治(リリー・フランキー)、10歳位の「息子」祥太(城桧吏)、風俗店で働く信代の義理の妹亜紀(松岡茉優)の5人が、折れ重なるように暮らしている。あまりに狭く、家族5人が一緒に食卓を囲むスペースもないし、古く汚そうな風呂も桶にやっと大人一人がつかることができる広さだ。夫婦とは言うものの治と信代夫婦は入籍しているのかさえ定かではない。しかしこの家族の間では、時としてぶっきらぼうな言葉が飛び交うものの、貧乏な暮らしぶりの中にも笑いが絶えず、家族らしい絆のようなものがあった。
祥太はどうも学校には通っていないようだ。治は「息子」の祥太とスーパーマーケットに行き買い物をしようとするが何だか挙動がおかしい。彼らは目くばせをし合いながら連携を取り、阿吽の呼吸でお菓子、生活必需品を次々に万引きしているではないか。どうも常態化しているらしくその手際は見事だ。その日も「仕事」を済ませた二人は夕暮れ時帰途に就くが、ある団地を通りかかったところ、一階のベランダで、幼稚園児くらいの女の子(佐々木みゆ)がうつろな目で寒さに耐えている姿を目の当たりにする。以前にも外に締め出された様子を目撃していた治はかわいそうに思い家に連れて帰ることにする。「万引き」の延長のような形で安直に連れ家に帰った女の子はジュリという名前であった。思い直して彼女のアパートに連れ返そうとするが、両親の激しい喧嘩がドア越しに聞こえてきて、こんな両親のもとへは返せないと再び考え、連れ帰ることにする。親にひどい虐待を受けたからであろう、体中に傷跡があり、ジュリ自身も家に帰りたがらない。夫婦は経済的には全く余裕がない中でも彼女を家族の一員として共に生活していくことにする。
家族の収益源はスズメの涙のような初枝の年金と、治と信代の日々の稼ぎ、そしてスーパーや量販店での万引きであった。時として釣具屋で高級釣竿を万引きしてそれを売りさばくようなことまでやっているが罪の意識は乏しく、この家族はみんな居心地がよさそうに暮らしている。亜紀も場末の風俗店で、屈折した青年たちに自分の体を商品にして働いているが、取り立てて悲壮感もない。この家族は反社会的な暮らしをしているにもかかわらず(もしかしたら、反社会的だからこそなのかもしれないが)、誰もそうした生活に疑問を投げかけず、それぞれの行動に対して自然体の優しさを持って接している。
時は流れる。治は工事現場で骨折し、しばらく働けなくなるが、治癒しても万引きだけを糧にして働かないで家にぶらぶらするようになる。信代はクリーニング屋の経営が左前となりリストラされてしまうが取り立てて悲壮感はない。一方初枝は夫と死別したのだと思っていたら、実は夫の浮気の果てに別れたようで、離婚後前夫が育んだ家庭に、月命日だからと言っては焼香に押しかけ、その子供夫婦に小銭をせびる生活を続けている。そんな中でも、子供たちのことを思ってか「家族」そろって海水浴に出かけたりする。その姿は微笑ましい普通の六人家族にみえる。
話は進みことは激しく動き始める。ある朝起きてみたら初枝が死んでいるではないか。葬式代などあるはずはない。唯一の「現金収入」である年金だって入らなくなる。そこでとっさに考えた選択枝、それは家の下に穴を掘って遺体を埋め、彼女の死を隠す方法である。誰一人としてそれを止めようとする家族はいない。遂に彼らは年金詐欺にまで手を染めることになる。
治は勉強したことがなく教養もなく知識もない。一方祥太は学校には通っていないが、本を読み、様々なことに疑問をもつが、治はこれに応えることができない。しかし祥太は治に何とも知れない優しさと人間臭さを感じ、居心地がよく、血がつながっていなくてもこの二人に「絆」のようなものが生まれる様子が描かれていく。祥太はそんな治を「父」として親近感を覚え何となく信頼していた。後でわかるが、まだ幼児の時、パチンコ屋の駐車場に止められていた車の中で泣いていた祥太を、治夫婦が連れ帰り、爾来一緒に暮らしていたのだった。結局二人の子供はいずれも赤の他人ということになる。
次第に祥太の心に変化が生じるようになる。駄菓子屋でいつものようにジュリと万引きをしていたところ、店のおじいさん(柄本明)から「おい、妹には(万引きは)させるなよ」と言われて衝撃を受ける。以前からお見通しなのだ。それまでは治から「店のものはまだ誰のものでもない。だから盗んでもいいんだ」と教えられ、何となく納得していた祥太であったが、この出来事に加えて、治に車上強盗の見張りをさせられたあたりから、いよいよ心がもたなくなっていく。祥太はある日、スーパーでいつものように万引きを企てるが、ジュリが万引きのしぐさをしようとし始めた瞬間、彼の心はついに閾値を超え、わざと捕まろうとするかのような行動をとる。
更に話は進む。結局この夫婦は検挙され、信代が罪を一身に受けることになるが、安藤サクラの演技は圧巻である。信代という女はかつて結婚していたが、治と恋仲になったことが夫にばれ、争いとなった中で夫を殺してしまった過去を持つ「怖い」女だが、母親の持つ母性と女っぽさ、優しさを併せ持つ複雑な女の内面を自然体で演じて見せた。警察の取り調べ中に彼女は泣きだすが、そのしぐさは圧巻である。カンヌの審査員ケイト・ブランシェットが、「私がこれから出演する映画で彼女と同じ泣き方をしたら、真似をしたと思ってください」とコメントを残すほど心に残る演技であった。
是枝監督はこれまで、「家族」というものをテーマに、色々な家族の形を描いてきた。家族をつなぐものは血縁なのか、家なのか、お金なのか、共有した時間の長さなのか。もしかしたら血縁などと言ったものは時として面倒なもので、人間の繫がりとは心の温もりの中から生まれてくるものだと訴えかけているようにも見える。
ところで、この家族がやっている万引きはあくまで生活のための行為ではあるが、さしたる経済的な理由がなく、自己の衝動により、窃盗を繰り返してしまうのは一種の病気である。病的窃盗、或いは窃盗症と呼ばれる一群の行為は、窃盗自体には目的がなく、盗品は価値のあまりない日用雑貨である場合も少なくない。緊張感の中で窃盗を行うと爽快感が得られるという。だから盗品は、廃棄・未使用のまま隠しておいたり、人知れず現場へ返却される場合もある。要するに窃盗のために窃盗をする病態である。これに似た病態として、放火のために放火を繰り返す放火症がある。原因としては精神障害や性的葛藤との関連、女性の生理と窃盗の関係が指摘されているが因果関係をはっきり証明した研究はない。
脳は原始的な脳(古皮質)と進化の過程で獲得した脳(新皮質)に分けることができるが、激しい生存競争の過程で生き残ったホモサピエンスは、限られた食物を隠したり、盗んだりしながら生きていかなければならなかった。窃盗とはヒトの進化の過程の名残なのかもしれない。こうした病態を脳の活動性と直接的に結び付けた研究はないが、そもそもヒトが進化の最初の段階で獲得した習性であるのなら、古皮質の神経伝統路の中にその秘密が隠されているのかもしれない。
前述のごとく血のつながりは時として心の繫がりの障壁になることさえある。優しい赤の他人は時として付き合いやすく心地よいこともある。近未来、確実に家族の中に血の繋がりのないAIが加わることだろう。その時「家族」という形態はAIにどう向き合い共存しているのか?考えただけでなんだか恐ろしい気がする。