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「女は二度決断する」-ホモサピエンスが抱えているもの-

  • 2018.06.19

ヒトの起源が更に正確にわかってきた。そのあらましは、NHKスペシャル「人類誕生」に詳しい。700万年前、人類はチンパンジーの系統と別れ、約20種の「原」人類が誕生するが、進化を重ねるにつれ、誕生と滅亡を繰り返し、その種類が減っていく。最終的にはホモサピエンスだけが生き残り我々現代人に繋がっていく訳だが、そこに行きつくまでの最後の段階で強力なライバル、ネアンデルタール人との生存競争に勝たなければならなかった。彼らの脳はホモサピエンスより大きく、優れた知能を持っていたが、ホモサピエンスが集団で暮らしていたのに対してネアンデルタール人は個を好む生活しており、そのことが生存競争に災いした。ネアンデルタール人は、「人格の脳」である前頭葉が小さく、協調性を欠き、仲間とともに共存することが不得意であった。だからホモサピエンスと争ったとき、その結末は明白であった。ネアンデルタール人との生存競争に勝ち生き残ったホモサピエンには宗教が生まれ、儀式を行い、同じものを信じることでさらに連帯感が生まれていく。しかし、そこで必然的に生まれるものーそれは過度な仲間意識と部族間の抗争である。現在世界各地で起こっている民族間、宗教間の争いの原点がここにある。パイが限られている食料、土地のなかでは必ず何らかの争いが起こる。栽培農業が発達するはるか以前にあっては、自分の部族、家族を養うために、限られた食料を奪い合わなければならず、そこに争いが絶えなかった。まさに自分の仲間が生き抜くために自分の種族以外を欺くことも、憎しむことも必要になっていく。今のヨーロッパや中東、アフリカはそうした状態にある。移民を受け入れることはできなくもないが、生活が苦しくなっている状況のなかで移民に対してアレルギー反応を示す一群の人々がいるのはある意味必然である。

「女は二度決断する」(ファティ・アキン監督)は、ドイツに増加している移民を排除しようとして活動してるネオナチの活動家の企てで、トルコからの移民の夫と結婚し一粒種の息子を持ち幸せに暮らしていた女性が、爆弾テロにより一瞬にして不幸のどん底に落とされる物語だ。

ドイツ人のカティヤ(ダイアン・クルーガー)はトルコからの移民の夫ヌーリと結婚している。彼はかつて麻薬の取引で投獄されていたが、その後更生し、今はトルコ人街に小さな会社を立ち上げ、真面目に暮らしているようだ。暮らし向きは悪くはなく、彼らの家は庭付きの十分なスペースのある郊外の住宅街にある。二人の間には愛苦しい10歳にも満たない息子ロッコがいて、ラジコンを家族で作ってみたり、幸せそうに暮らしている。事件はカティアがロッコを会社にいる夫に預け、友達と遊びに出かけた後に起こる。夕方ロッコを迎えに行くと、会社の前で爆弾テロがおこり、ビルが跡形もなく壊れている。夫も息子もいない。茫然自失のカティアをよそに、警察は捜査を始める。

警察は当初、ヌーリの前歴から麻薬の売買をめぐっての抗争が原因だと考え捜査を始める。カティヤはロッコを預けたとき、会社の前に、荷台に物を積んだ自転車を放置していく女性を目撃していたことから、その女の仕業だと主張するが最初は受け入れられない。一瞬にして幸せの絶頂から不幸のどん底に突き落とされ、犯人の見通しもつかない中で、彼女は自殺を試みる。しかし捜査は進展し、麻薬のトラブルの線は消え、結局、カティアが言っていたネオナチの女とその夫が逮捕され、裁判が始まることになる。

決定的な証拠がない中で、検事が公判では蓋然性を示しながら進む。カティアが被疑者の女性を目撃しているし、爆薬の成分と容疑者夫婦の家の納屋で押収した肥料や軽油など、爆薬の主成分となる物質の種類が一致することも明らかになり、犯人は間違いなくこの二人であろうというところまで辿り着く。検挙された男の父親が、確かに息子は爆弾を作っていたに違いない、という証言まで飛び出すが、最後の最後にどんでん返しが起こる。事件当日、この夫婦がギリシャのホテルにいたとアリバイを主張するギリシャ人のホテルオーナーが現れたのである。この男はホテルの宿帳を証拠として差し出すが、実はギリシャの極右勢力の幹部で、どうもそのつながりから偽証しているらしいことが推測できた。ついに判決が言い渡される日が来る。裁判長は判決文の朗読を始める。「被疑者に無罪を言い渡すが、断定はできない。最終的に犯人とする証拠に乏しく、疑わしきは罰することができない」と申し添える。予想外の結末にカティアと弁護士は放心したような表情で立ち尽くす。

 そのあとカティヤはどうしたのか。ギリシャに行ったのである。ここまで来たら自分自身でこの理不尽な事件をおこした犯人に復讐するしかないと思い詰めた末の行動だった。彼女は、証言したギリシャ人のホテルを探し出し、フロントの女性に詰め寄る。「ドイツ人の夫婦が宿泊したことがあった?」「ここはギリシャ人しか来ないわ。ドイツ人は会ったことがない」。「間違いない」、カティアはそう思ったに違いない。遂にカティアは犯人夫婦が海岸にキャンピングカーを借りて生活している現場を見つけ出す。彼女はインターネットで簡単に探ることができる釘爆弾の製造方法を基に、夫と子供が殺されたものと同じ爆弾を作り、彼らを爆死させようと行動を起こす。かつてロッコとともに作ったおもちゃのラジコンに爆薬を詰め込み、遠隔操作して爆死させようという計画である。

ある朝、犯人夫婦がジョギングに出かけた隙に、爆弾を車の下に仕掛け爆死させようとして帰りを待ったが、しばらくして心に迷いが生じた彼女は、計画を中止し、その日はそれで引き上げることにする。 そして次の日、運命の時がやって来る。今度は、爆弾を抱え、犯人のいるキャンピングカーのドアを開け乗り込んでいったのである。

自分だったら、と考える。肉親を返してほしい、犯人には犯した罪を償って欲しいと願うのは当然の気持ちだ。かつて山口県光市で起こった、母子殺害事件は、未成年の男が犯人であったが、一人残された男性の妻は凌辱され、1歳に満たない女の子は床にたたきつけられて絶命したという、極めて凶悪な物であった。善良な市民であったMさんはネフローゼ症候群と闘い、高専から頑張って山口大学工学部に編入し、企業に勤め幸せを得た。母子家庭で育った可愛い妻と、その間に生まれた一粒種を、ある日一瞬にして奪われた。彼は最初犯人ではないかと疑われ2週間も拘束された後、悲しみの中で敢然と戦った。その模様は「君はどうして戦えたのか」に詳しい。

未成年の最高刑は通常無期懲役であるが、彼の主張は「決して死刑を望んでいる訳ではない。しかし、犯人が犯した犯罪は類をみない最悪なものであり、我が国の最高刑に処して欲しい。それが死刑であるのなら死刑に処して欲しい」と訴え続けた。8年にもわたる公判の末、結局世論の後押しを受けるような形で死刑を勝ち取ることになるが、判決の日、彼の表情に笑顔はなかった。彼の肉声は折につけマスコミをにぎわせてきたが、「このごろ妻の弥生がどんな声でしゃべっていたのか、娘がどんな声で笑っていたのか忘れそうになる」とまさに喪失感の極みのような、胸が締め付けられるような言葉を残した。今彼は元気に生活しているのであろうか。

アラーの神の名のもとに聖戦を展開することを「ジハード」というが、自分の命を犠牲にしてまで最愛の夫と息子を殺した犯人を道ずれにすることにどんな大義があるのか。間違いなく犯人であるものを法の下に裁いてくれないのなら、自分で裁こうとする思いは幾ばくかの共感をもって受け止められるが、日本人の行動パターンからはかけ離れているようにも思える。生きていくということは本当に難しいことで、最近の映画や報道を観ていると、災害にも会わず、事故や病気も免れ、更に肉親がテロや通り魔に会わず、情事も起こさず、家族とともに幸せな老後を迎えることができるとしたら、それは奇跡ではないかと思えてくる。

 

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Copyright© Department of Neurology, Graduate School of Medical Sciences, Kumamoto University.