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「あなたへ」-ストレス遺伝子
- 2014.07.1
遺伝学的に似たもの夫婦は危険である。近年、DNAのすべての遺伝情報を解読できる高速シークエンサーが開発され、細胞からDNAさえ抽出できれば、ヒトの全ゲノムがたちどころに解明されるようになった。特定の遺伝子に関連した病気や、遺伝子のタイプからくる個々人の体質が明らかにされ、一部の病気では、罹患しやすさがある程度推測できるようになってきている。以前は「ヒトには最低3つくらいは遺伝子異常がある」と書いてきたが、この高速シークエンサーで実際にヒトの遺伝子を解読してみると、場合によっては20種類くらいの遺伝子異常が見つかるらしい。常染色体優性遺伝やX連鎖劣性遺伝を引き起こす遺伝子であった場合、その遺伝子異常は即、疾患の発症につながりかねない。また、常染色劣性遺伝の場合は、酵素などのたんぱく質を作る遺伝子の異常が起こりこれらが欠損することにより病気が起こるため、2対ある遺伝子の片方の異常のみを示すヘテロ接合体の場合は、本人は発症はしないが、同じ遺伝子異常を持つ「似たもの遺伝子配偶者」と結婚した場合、その子供は1/4の確立で病気を発症することになる。
以前、本コラムで紹介した「小さな声が呼ぶとき」の主人公、ジョン・クラウリー夫婦は、ポンぺ病のこどもを二人も持つことになるが、この夫婦はそれぞれ片方の遺伝子座のみにα―ガラクトシダーゼをコードする遺伝子変異を持っていたため、親自身は遺伝子保因者でありながら健常者であった。ポンペ病患者は日本人には2,30人しかいないが、この病気を引き起こすヘテロ遺伝子保因者は数百人に一人と跳ね上がる。たとえば100万人に一人の常染色体劣性遺伝の場合、その遺伝子保因者の確立は500人に一人であり、遺伝子異常がいかに卑近な出来事かがわかる。遺伝子が似た夫婦の結婚は危険ということになる。
ところで、ある統計によると、晩年、妻に先立たれた後の夫の平均余命は5年、その内7割が3年以内に死亡しているといわれている。一方、対照的に夫に先立たれた妻の平均余命は20年であるという。男は社会に出て様々なストレスを受け、平均寿命でそもそも女性よりははるかに短い上、妻を失ったストレスで更に短命になる仕組みになっている。長寿遺伝子として注目されているSart I遺伝子の発現が、こうした遺伝子の発現に影響を及ぼしているのかもしれない。男は太古よりそもそも妻や家族を守る役割を担ってきたが、高齢になると闘争心も筋力も知力も衰え、肉体的にも家族を守れなくなる。生物学的にその時点でお役御免となり、趣味を持ち小奇麗にして小金でもためておかないと、どこに行っても厄介な困った代物になる可能性がある。一方女性は、夫を失った悲しみなどどこ吹く風、天寿を全うするものが多い。驚くことに、100歳以上の高齢者がどんどん増えているが、その8割以上が女性である。そういえば、テレビに出てくる高齢者の多くは金さん、銀さんに代表されるように女性である。女性のほうが何となくストレスに強そうなのは、妻を見ていると十分理解できる。
富山の刑務所で刑務官をしていた倉島英二(高倉健)は、同僚や友達には堅物で通っており、一生結婚しないと思われていた。しかしあるときから(理由は明らかにはされていないが)、頻繁に受刑者の慰問活動として童謡を歌いに来る女性、洋子(田中裕子)に思いを寄せるようになり二人は結婚する。映画「あなたへ」(降旗康男監督)の始まりである。二人の生活が何年続いたのかは映画では語られていないが、しばらくの間仲むつまじい夫婦生活を送ることになる。そしてときが流れ、退官直前となったが、何という運命のいたずらであろう、洋子は風のように逝ってしまう。悪性リンパ腫だったという。死後間もなくして、NPO法人の遺言サポートの会から中年の女性(余 貴美子)が倉島のもとを訪れる。洋子が死ぬ直前に書いた二通の遺書を預かっているというではないか。洋子はその女性に、「一通目は面会の場で倉島に渡し、もう一通はポストに投函し、長崎の郵便局止めにし、倉島に取りに来させてほしい」と伝えたという。その女性は、明日二通目の手紙を投函するので、なるべく早く長崎の郵便局まで取りに行ってほしい、という。郵便局では、手紙を12日間は保管するが、その期限を過ぎれば、廃棄されることになっている。倉島は一通目の手紙を開いて驚く。「遺骨は故郷の長崎の島の海に散骨してほしい」と直筆で書かれていたのだ。倉島は何より、もう一通の手紙には何とか書かれているのか知りたいと思い気がはやったが、洋子は何故わざわざポストに投函した遺言書を長崎まで取りにくるようなややこしいことをしたのか理解できないでいた。
倉島には小さな夢があった。それは、自分のワゴンを改装して、退官後、その車で最愛の妻と全国各地を旅して回りたいというものであった。倉島は亡き妻からの手紙を前に、きっと、何でも知っているはずの妻の気持ちを実は理解していなかったのではないかと自責の念に苛まれたに違いない。倉島は早速妻の真意を確かめるため、洋子の遺骨とともに件のワゴンで長崎に向かう。
富山から京都、大阪と経て、まずは九州の入り口、門司に向かうが、その過程でいろいろな人と会い、そこで倉島の、妻を失ったという心の痛みや彼の人間としての誠実さが合う人々の心を捉えていく。山陽道で知り会った退職前は国語教師であったという男(ビートたけし)は、車上荒らしを繰り返し、倉島の目の前で逮捕される。門司で知り合った若者は(草彅剛)、実は妻には愛人がおり、むしろ営業として全国を飛び回り家を留守にしているほうが現実に向き合わない分、気持ちが紛れると考えている。倉島が妻の遺骨を散骨すると聞いて、島で船を出してくれそうな人を紹介してくれた中年の男性は〈佐藤浩一)は、実はその島に住む妻子を捨てた男であった。みんなどこかに人に言えない悩みを抱えながら生きていたのだ。
遺骨を海に散布するのは、別に罰則規定は無い様であるが、第三者にとってあまり気持ちのよい話ではない。しかし、倉島の実直な性格は、地元の人たちの心をつかみ、ある晴れ渡った春の日に、無事洋子の遺言を果たすことができる。洋子の亡骸は大事に包まれた倉島の掌をすり抜けるように海に溶け込んでいく。海という字は母に似ており、フランス語の母を意味するmereと海を意味するmerの語源も同じである。洋の東西を問わず、こうした概念には共通のものがある。すべての人は母から生まれ、そしてすべての生物は海から生まれたのだ。洋子はその源に帰り、また再生されるのかもしれない。
さて、倉島が長崎の郵便局で受け取った二通目の手紙。そこには「さようならあなた」とだけ記されていた。倉島の自分への思いを誰よりも知っていた洋子は、最後に「いつまでもくよくよしないで、区切りを付けて、残りの人生を上を向いて」と自分の故郷で言いたかったのかもしれない。洋子はきっと倉島から沢山の愛を受けていたから、自分の死後、喪失感に苦しむ夫の姿がいたたまれなかったに違いない。
往年のアクションスター高倉健も、ついに81歳だというから驚かされる。歩き方やスクリーンにアップで映し出される横顔を見ていると、正直なところ、初老の男性という設定にはだいぶ無理があると思ったのは私だけだろうか。高倉健は、アメリカンポップスを日本語と英語を取り混ぜて歌う、「カバー歌手」の走りとして一世を風靡した江利チエミと結婚したが、いくつかの不幸な出来事が重なり離婚した。江利チエミは離婚後45歳の若さで突然他界するが、行われた葬儀では、斎場の横に車を止め、ずっと合掌していたという。その後一切浮いた話がない。スクリーンからは10年遠ざかっていたが、その間もいくつかあった映画の話は断り続けている。しかし今回倉島という男の役を是非やりたいと受けた理由がなんとなくわかるような気がする。