最新の投稿
「ハッピー・フィート」-ウイリアムズ症候群
- 2007.09.1
最近ははなはだしい音痴というものに遭遇するチャンスはほとんどなくなった。それはわが国が英語にまで浸透させてしまった。「Karaoke」文化の力が大きいのであろうか、日本国民の音痴の総数は減っているように思えてならない。とは言うものの歌手の中にも音痴はいないわけではない。SMAPのNは明らかに音痴だが(はなはだしい音痴ではないが)、日々のトレーニングとレコーディングのときのアレンジでそれが目立たないようになっている。ところで絵が下手、字が下手などという、やはり生まれつきの才能が左右すると思われる能力に決まり文句はないが音感に関して音痴という言葉があるのは、議論の余地がなく容易に理解でき、それがこっけいであるためであろう。この言葉はさらに独り歩きして、方向音痴、運動音痴、味覚音痴、果ては恋愛音痴に至るまで音痴という言葉が乱用され独り歩きしている。なんとなく言葉としては理解できるが、真性の音の音痴に分類される人々は、こうした一連の言葉を聴く度になんとも居心地が悪い気持ちになるのではなかろうか。
音痴の対極には絶対音感という言葉がある。鳥のさえずりなどちょっとした音を聞いただけで即座に音符を組み立てることができる。ピアノの鍵盤を一音たたいただけで「ソの♯ですね」などと音程を言い当てることができる人々の持つ能力をこうした言葉で表現するようになった。この絶対音感は遺伝だといわれている。幼児期の音楽教育がこの能力の獲得に必要であるという学説もあるが、最近の研究ではやはり遺伝的な要因が大きいと考えられている。古典音楽の系譜を見ても、現代のクラシック、Jポップでも蛙の子は蛙で、ジャンルを問わず音楽家の世襲は枚挙に暇がない。明らかに遺伝的な要因が強いのである。絶対音感の研究者によると、これは常染色体優性遺伝であるとする報告すらある。当然のことながら、これを規定する遺伝子座は同定されてはいない。また、絶対音感の定義には当てはまらないが、楽譜は読めないが、聞いた音はすべて覚える、というのも特殊な音の能力を持っている人々もいる。ヨーロッパのオペラ歌手のうち楽譜が読めない歌手がいるという話は有名だし、石原裕次郎は甘い歌声で数々のヒット曲を世に出したが、楽譜が読めず、できた曲の演奏テープを聴きすぐにメロディーを覚えたというのは有名な話である。
映画「ハッピー・フィート」は音痴に生まれたペンギンが、その能力欠損の代償のように与えられたタップダンスの能力を生かし、奮闘する心温まるアニメである。極寒の南極、皇帝ペンギンの国に住むペンギンたちは、生まれてきた子供たちを学校に通わせながら、ペンギンとして行き抜くためのいくつかの大事なことを教えてきた。その中でとりわけ大切なことは鳥肌の立つような心の歌を見つけ出し、いつか現れるであろう自分にふさわしいパートナーを得るためにボイストレーニングをすることであった。卵が一斉に孵化する季節、その年も多くのペンギンの子供たちが生まれたが、その中で、一番最後にようやく足から生まれてきた子ペンギン、マンブルがいた。明らかに落ち着きがなく変な鳴き声のわが子に、両親は、卵を温めている途中、一度落としてしまったことが原因ではないかと不安がる。やがてマンブルは学校に通うようになるが、両親の不安は的中する。幼馴染のグローリアが美しい美声で歌を歌うのを尻目に、マンブルはなんと音痴であったのだ。何度練習しても心の歌がうまく歌えない。心を伝えようとすると足が勝手にリズムを取り動き出してしまう。ついにマンブルはペンギンの社会から脱落者の烙印を押され一度は漂流の旅に出る。しかし天才肌のマンブルのタップ・ダンスは、ペンギン王国の長老たちには受け入れられなくても、次第に若者の心をつかんでいく。やがて若いペンギンたちはマンブルのタップのハッピィー・ステップ、ハッピィー・フィートに魅せられていくのであった。この映画はペンギンの姿、形がリアルに描かれすぎていてかわいいものを好む日本人にはブームにならなかったが、長老たちのマンブルのダンスに対する拒絶反応は、1960年代、ビートルズの音楽に熱狂した若者と大人たちの葛藤を描いているような部分があり、私には面白く思えた。ビートルズは、彼らの楽曲の収益がイギリス経済を潤したこともあり、エリザベス女王から勲章を授与されることになったが、それまで勲章を授与されていた知識層から勲章の返還による抗議行動が相次いだのを覚えている。
音楽的な才能という点で、実に今日意味深い遺伝性疾患がある。ウイリアムズ症候群である。この病気は、7番目の染色体のエラスチン遺伝子の欠損で起こる珍しい病態を示す疾患である。ニュージーランドのウイリアムズによりはじめて報告されたことからその名がついている。上向きの鼻、はれぼったい目、幅広い口と小さな顎という容貌の異常は、どうしたわけか「妖精のような顔」と評されることがある。さまざまな発達障害を伴い、低IQレベル、腎臓障害、心血管系の障害などを伴う。出生約 20000人に1人の頻度の珍しい疾患であるが、これらの異常とは裏腹に、この病気を患う子供たちは人懐っこい外交的な性格を持つ。彼らはIQが低いにもかかわらず、人の心にはとても敏感で、感情が細やかであるといわれる。同情心に富み、他人の苦悩を感じ取ることができる。いわば想像力に富んだ人々である。さらに聴覚にとりわけ優れた才能を備えている。音を並外れた聴覚で聞き分け、楽器を演奏することができる。ウイリアムズ症候群を呈する患者の中には並みはずれたピアニストになっているものもいる。音感の能力は語学能力にもつながるが、IQが低いにもかかわらず、20ヶ国語以上の外国語で歌を歌うことのできる患者もいる。楽譜が読めない人が多いが音楽的な知性は並外れている。この病気の病態メカニズムはほとんどわかっていないが、脳に機能異常を持つ人々が、特殊な能力を持つ一つの興味深い例となっている。
ペンギンは鳥類でありながら、飛ぶ能力を捨て、あのようなユーモラスな身体に進化し南極周辺に順応していった。身体は分厚い脂肪に覆われ、羽毛布団のように暖かく水をはじく羽根が全身を覆っている。ヒトのように血液が手足先まで流れるようになっているとたちまち凍傷に陥ってしまうが、ペンギンは角質層が何層にも足先を覆い、暖かい血液が足の表面を流れないように進化している。鶴のような美しい身体を捨て、寒さに対し少しでも体温を失わないように実用的に進化していったということなのか。ペンギンの身体は寸胴で、丸っこいが、ブリザードのときなど、身体を寄せ合って保温するには格好の体型をしている。多くの女性が、若いころのミロのビーナスのような美しい肢体からペンギンのような身体になっていくのは日々の生活の中で、実用的に進化していっているとはとても思えないが、そうでも思わないとやりきれない。一人の女性を若い頃と変わらぬ思いで愛し続けるのは至難の業だと「ハッピー・フィート」を見ていて笑いそうになった。
多くの凡人は、自分にはひとつぐらい何かある、何か才能があるはずだと思いながら生き続け、結局酔生夢死する。これだけ社会が多様化、細分化してしまうと、オールマイティー、何でも屋という人種は社会から弾き飛ばされかねない。医療の世界でも、久しい以前からスペシャリティーの時代が到来し、ジェネラルフィジシャンという言葉は死語に近くなってきたかのように思われる。ハッピーフィートのマンブル、ウィリアムス症候群の子供たちは、幾多の困難に遭遇していることは言うまでもないが、特別な才能を天から授かったという一点において幸せである。