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「眉山」-膵臓がん
- 2007.08.1
「世界の中心で愛を叫ぶ」は「セカチュウ」とポケモンのピカチュウのような呼ばれ方までして一世を風靡した。その頃から一段と拍車がかかったのではないかと思うのだが、最近韓流、和流を問わず、不治の病に侵された主人公がやたらと登場する。もういい加減にしてほしい、と思いながら、宮本信子の役者としての魅力に引かれてついつい見てしまったのが映画「眉山」だったが、これが心地よい感動を呼び起こしてくれる佳作であった。
東京で旅行会社のチームリーダとして働いている咲子(松島菜々子)は、32歳、結婚などには当分縁のなさそうな、きゃぴきゃぴのキャリアウーマンである。そこに徳島で暮らす母、龍子(宮本信子)の入院を知らせる電話が入る。咲子は、とるものもとりあえず徳島に帰ることになる。母、龍子は職人の父を持つキップのいい江戸っ子であったが、なぜか咲子の出産前後に徳島に移り住み、小料理屋を切り盛りしながら一人娘の咲子を育てた。龍子の入院は実は末期の膵臓がんによるものであった。肝臓のみならず、肺にもがんが転移しており、死期が迫っていることを知ってか、すでに店をたたんで入院している。手術などとても適応ではないような状態である。咲子は主治医に病状を聞かされ激しいショックを受けるが、母はそのことを知らないと思っている。ある日、龍子の店から独立して店を開いている板前の松山から、母が、「私が死んだら、咲子に渡して」と頼まれたという箱を手渡される。恐る恐る箱を開ける咲子であったが、中に入っていたものは、龍子宛の古い何十通かの手紙と現金書留の束、そして若かりし頃の母が見知らぬ男と撮った写真などであった。裏には「1971年6月15日眉山にて」、と書かれている。
徳島はほぼ中央に標高1000mほどの眉山が町を見下ろすようにそびえ立っており、平野部を吉野川が静かに流れる風光明媚な町である。ロープーウェイで眉山に昇ると、はるか太平洋、鳴門大橋、鳴門海峡を望むことができる。咲子は手紙を読んでいくうち、「死んだ」、と聞かされていた父は内科の医師で実は生きているらしいこと、咲子を身ごもったものの、その父が既婚者であったことから母は自分から身を引いたことなどがわかってきた。その医師からは咲子の誕生日に、必ず現金書留が送られてきていた。咲子は、住所から東京、本郷の小さな篠崎内科医院を突き止め、会いに出かけるが、そこで見た父は、患者思いの優しい初老の男性であった。一目見て、咲子だとわかった篠崎は、咲子にこう告げる。「もうすぐ阿波踊りのシーズンですね。もう30年も帰っていませんけれど」「母は体調を壊しております。よろしければ徳島にお遊びにいらしてください」。緊張の中で、やっと咲子が告げることのできた一言であった。次に咲子が徳島に帰省したとき、彼女は父のことを母に激しく詰め寄らずにはいられなかった。「お母さん、どうしていわなかったの。お父さん、生きているんでしょ!」母は静かにうなずきながら静かにこういった。「とても素敵な人だったんだよ。その人のこと好きーだったからお前を産んだんだ」。きっと周りから激しく反対されたのであろう、母は咲子を産むため、東京を飛び出し、二人の思い出の徳島に移り住み、眉山を篠崎だと思い、30年生きてきたことを娘に告げる。母にとって徳島は今は自分のふるさとのようになっており、8月の阿波踊りは生粋の徳島人のように何よりの楽しみとなっていた。
膵臓がんは自覚症状に乏しい非常に気づきにくいがんで、発見された時には、他臓器への転移・浸潤があることが多く、その約9割近くが発見された時点で手術困難である。がんの中でもすい臓がんは特に手ごわい。胃がんは早期発見されると5年生存率がほぼ100 %であることを考えると、その診断は、ごく早期でない場合、死を宣告されるに等しい。膵臓は消化管に直接つながっていないため、通過障害などが起こりにくく、胃の裏側にある後腹膜臓器であることもあり、発見が遅れることが予後の悪さに拍車をかけている。膵臓がんの症状としては、膵・胆管が閉塞して黄疸が現れる場合と、腰痛・腹痛を訴える場合とに大別される。発見されて一般的に1年以内、転移があれば6ヶ月程度の生命予後となる。転移にも様々なタイプがあるが、門脈を通して肝臓や肺・最終的に骨・腎臓・脳へ転移する場合、リンパを通して腹膜播種や十二指腸などに転移する場合に加えて、十二指腸・横行結腸・総胆管・門脈・脾静脈などに直接浸潤していく場合があり、膵臓の機能低下よりも、転移臓器の障害で命を落とす場合も少なくない。手術、放射線、抗がん剤が選択肢としてあるが、前述のように手術は不可能である場合が多いし、幸いに手術ができたとしても再発率は高いがんである。
すい臓がんでは80%の患者にras遺伝子が見つかり、腫瘍マーカーとして注目されている。他の消化管のがんでも高率に遺伝子異常が発見されるが、特にすい臓がんでは高率に発見される。ras遺伝子の12、13、61番目のアミノ酸置換をもたらす点変異によりがん化に関与する遺伝子型へと変化する。また膵外分泌酵素(トリプシン、トリプシノーゲンなど)の遺伝子異常と膵臓癌との関連も注目されている。さらにプロテオミクス(プロテインチップ)の手法を用いすい臓がん患者の血清を検索したところ、正常者の血清にない4種類の蛋白が上昇していることが確認されている。このような方法で、すい臓がんに特異的に上昇する蛋白の血中レベルを測定すると、すい臓がんの早期発見ができる時代はもうそこまでやってきている。
龍子の身体はだんだん弱っていったが、その年も8月12日がやってくる。まわりの人々も龍子もこれが最後だと思って阿波踊りの見物に出かける。着物姿が実に似合い女としての色気を漂わせる咲子の姿を満足そうにみつめる龍子であったが、阿波踊りには病気の苦しさと失われようとする生への感傷を忘れさせるほどの熱気と面白さがある。龍子も踊る人々に生きる力を感じ取るが、彼女の心を最も揺さぶったのは、遠くの阿波踊りの群集の中にかすかに見えたものは、30年ぶりに帰省してきた、愛し続けた初老の篠崎の姿であった。「今日は楽しかった。見るべきものは全部見たよ」。龍子が人生の終わりを悟った瞬間であった。
龍子は、病気を知ったとき、大学病院に医学部生のための献体を申し出ており、この映画ではその願いが成就し、学生の解剖実習も終わり、死後2年ぶりに遺骨引渡しの解剖慰霊祭のシーンで終わる。男と女の愛憎は変に空回りすると悲惨な結末を迎えるが、30年もの間、龍子が篠崎への思いを貫き通すことができたのは、龍子自体の江戸っ子としての気風のよさと、職人を父に持ち、学のない自分が、医学を通し、病んだ患者に奉仕する篠崎の生き様に対する尊敬の念が大きかったに違いない。二人の出会いは明らかにされていないが、献体の行為は、篠崎をはぐくんだ医学への感謝の念も大きかったに違いない。医師の端くれとして、こんな映画はたまらない。
阿波踊りは、400年の歴史を持つ日本の伝統芸能になった。踊りも持つ独特の陽気な雰囲気や、どことなくコミカルな動きからその人気は衰えない。徳島といえば、人形浄瑠璃と阿波踊りは誰も知らないものはいない。最近は札幌のソーラン節踊りなどと同様に時代に即応したロックリズムの阿波踊りもある。男踊りと女踊りがあるが、女踊りのなかで年頃の女性の差し足の足捌きはなんとも色っぽい。男は、自分の置かれた境遇をしばし省みず、時として女の何気ない色気に引かれ、様々な形の恋の物語が始まり、終わるのだが、日本を始め、多くの先進国の一夫一婦制が続く限り、眉山のような悲恋は後を立たないのはいうまでもない。