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「スラムドッグ$ミリオネア」-ハンセン氏病

  • 2010.02.1

1990年、私は、国際学会でインドに行った。首都ニューデリーに着いてみて、整然とした街並みに目を見張ったが、それは外国人向けに作った表向きの顔に過ぎず、一歩隣り合わせのオールド・デリーに入って行くと真のインドの日常が見えてきた。衛生環境の悪い飲食店街、もうもうと立ち込める砂埃、重い荷物を抱えながら自転車に乗りリヤカーを引き、必死で生きる人の群れ、混沌という言葉がぴったりしそうな道路の人や車の流れ、おびただしい数の物乞い、孤児と思われる汚れた子供の群れが心に突き刺さった。つい先日、テレビのドキュメンタリーでカルカッタが紹介されていたが、あの当時垣間見たデリーの街並みと20年を経た今も大きな違いがないことに改めて驚いた。最近、インドは目覚しい経済発展を遂げているが、社会の下層を支えている大多数の人々の生活苦は今も変わらないようである。

 

ところで、インドといえばらい患者が多かったことは有名で、わが熊本大学医学部の大先輩にあたる宮崎松記先生が、今から40年ほど前、ハンセン病患者救済のためインドで救らいセンターを作ったのは有名な話である。彼は日本とインドを何度も往復したが、飛行機事故でガンジス川に命を落とした。インドの学会の合間を縫って、ニューデリーから50km位田舎にあるそのセンターを訪れてみた。訪れた当時もそのセンターは機能しており、救ライの父として宮崎先生を偲んでくれた。施設の前の通りはミヤザキ・ロードと呼ばれていた。いかに当事のインド人にとって救らいの志を持った日本人の優しさが有難かったが心に伝わってきた。

 

やんちゃな男の子ジャマールは生活力があり、最後まであきらめず物事をやり遂げようとする頑張り屋である。悪じえの働く兄のサリームと大好きな母と三人でインドのムンバイにあるスラム街で極貧の生活を送っていたが、この兄弟は仲がよく最下層の生活でも楽しく生きていた。それが、ヒンズー教徒に対するイスラム教徒の暴動で一変する。母が暴動の最中、殺されてしまったのである。映画「スラムドッグ$ミリオネア」(ダニー・ボイル監督)の話である。いつしか同じく身なし子となったラティカという孤児の女の子とともに、食べるものにも事欠く厳しい環境の中、映画で見た「三銃士」として連帯感を持って手を取り合って生きていった。特にジャマールとラティカは仲が良く、彼にとって彼女は「気になる存在」であった。混沌の世界では弱いものが力の強いものに利用される。やがて彼らは孤児を使って物乞いをさせ、搾取しようとする恐ろしい大人たちに軟禁状態になるが、兄の機転で、九死に一生を得る。しかし、その折、ラティカと兄弟は離れ離れになってしまう。その後この兄弟は様々な手段を使って、巧みにそしてたくましく生き伸び、大人へと成長していくが、それぞれ別の道を歩みだす。兄は金と権力がものをいうやくざの世界に身をおき、ジャマールはいつまでも誠実さと純粋さを失わず、コールセンターで給仕の仕事をしながら生計を立てる道を選んだのであった。

 

その間、ジャマールのラティカに対する思いは捨て難く、ついに遊郭で働くラティカを探し出し助けだすが、それもつかの間、ラティカは変貌を遂げた兄に寝取られ、その後音信不通となってしまう。それでもラティカを思うジャマールは、国民的アイドル番組となっている「クイズ・ミリオネア」に出場し、ラティカに会う糸口を探ろうとする。「もしかしたら多くの国民が見ているこの番組に出た自分を見て、彼女は連絡をくれるかもしれない」と思ったに違いない。この番組は、未だにカースト制の影響が色濃く残り低所得者層が圧倒的多数を占めるインド人にとって、現状から脱出し、サクセス・ストーリーを夢見ることができる数少ない手段となっていた。学校に通っていないジャマールにとっては、勝算などどこにもなかったが一縷の希望、期待があった。

 

ところが、番組の中で出題された問題は意外なものであった。まったく偶然にも、彼が小さい頃から歩んできた生活の中に、問題の答えを求めることができたのだ。そして番組1日目、運よく正解を重ねたジャマールは、1000万ルピー(2000万円)まで上り詰め、あと一題でゴールの2000万ルピーを獲得するというところで、決戦は次の日に持ち越しとなる。司会者のブレーム・クレームは、唯一この番組でミリオネアまで辿り着いた成功者で、スラム出身のジャマールが次々に問題を正答することを不快に思い、1日目の番組終了とともにジャマールを密かに警察に引き渡す。なんとか正解のトリックを吐かせようとする警察の拷問の中で、ジャマールは、いかにしてその答えを導き出せたのかを、彼自身が辿ってきた過去を振り返りながら、少しずつ丁寧に話し始める。その中で、ジャマールの少年の不遇さ、一途にラティカを思い続けた純粋さ、前向きな行き様と誠実さが浮き彫りになっていく。警官はこうしたジャマールの態度にほだされて、彼を釈放することにする。「明日の番組で頑張るんだ!」。2日目、彼にとってもう怖いもの、失うものは何もなかった。最後の問題は全くわからないものであったが、AからDまでの四択うち、迷うことなく堂々と一番最初のAを選んだジャマールは、神が見事に微笑み、ミリオネアとなる。

 

らい菌による感染症をハンセン(氏)病という。発見者のノルウエーのアルマウェル・ハンセンにその名前の由来がある。ハンセン病は人獣共通感染症と考えられている。そもそもらい菌は弱毒菌であるが、感染した患者は感染部位である顔や手に肉牙変化がおこり、激しく容貌が変形するため、遺伝病と誤解され、感染者は長らく差別を受けてきた。らい菌の遺伝子が作り出すある種のたんぱく質が、特に上記部位の皮膚と神経細胞に親和性があるため、これらの組織に傷害が起こる。そもそも細菌感染であることから治療薬が開発されて以来、後遺症の残る患者もほとんどいなくなった。診断も治療法も確立され、しかも感染力も弱いこの細菌感染症が何故つい最近まで不当に差別されていたのか理解に苦しむ。らい菌の菌体の外層には糖脂質が存在するため、これを測定することで血清診断を行っている。らい菌は遺伝子配列の中で機能している蛋白質を作り出す部分が半分以下で、そもそも遺伝子変異も少ないため、どこの地域のらい患者も同じような症状、経過を示す。未治療患者に存在するらい菌が感染源となり、鼻粘膜を介して感染が成立すると考えられている。らい菌の病原性は前述のように弱く、発症に至る感染例は0.2%以下であることが示されている。インドは人口密度も高く、衛生事情も悪く乳児死亡率も高いため、多産で、親との濃厚反復感染の機会も多く、とりわけ患者が多いかった。30年前は世界で1000万人を超えていたこの病気も今では10万人を下回る。しかし冒頭にも述べたとおり、下層のインドの人々は未だに貧しく、衛生環境もあまり改善されておらず、未だにインドには少数だがハンセン病患者が存在している。

 

「クイズ・ミリオネア」は、日本でもみのもんたの司会で随分と話題になり、4者択一の最終選択を迫るときの「ファイナルアンサー」という言葉が流行語にもなった。ある程度の金額をゲットしたとき、その倍の富を得るために果敢に挑戦するか、降りるか、確立四分の一の妙と相まって、人間模様をえぐりだす。この番組はそもそもイギリスで発祥したらしいが、そのギャンブル性の高さから多くの国で番組化され、話題を呼んでいるらしい。一攫千金、という雲をつかむような、でもゼロではない不確定さに身をゆだねたい、とする願望は、低所得層の多い国ほど強いのかもしれない。この映画で描かれる、インドのスラムを舞台に撮影された映像は生命力にあふれ、観る者を引きつける。これは御伽噺ではなかったのかと思わせるエンディングもいい。

Copyright© Department of Neurology, Graduate School of Medical Sciences, Kumamoto University.