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「ロレンツオのオイル-命の詩2」-稀少疾患-

  • 2017.08.15

厚生労働省が推進してきた「特定疾患治療研究事業」とは、そもそも原因不明で治療方法が確立しておらず、かつ長期にわたって生活に支障がある特定の疾患について、都道府県が実施主体となり、原因の究明、治療法に関する研究の推進、および国と都道府県が患者医療費の公費負担を行うという制度である。この制度が始まって数十年の時が流れたが、つい最近までずっと56疾患に限られていた。しかし昨年突然の様に310疾患に増え、「指定疾患」と呼ばれるようになったことは朗報であった。当然、稀少疾患として国が光を当てなければならなかった疾患がやっと日の目を見た訳でその改革の意義は大きいが、不覚にもその中の数十の疾患はその病態はおろか名前すら聞いたことが無いものであった。つまりこのような疾患はほとんどの医師が診療・研究に関わっていない「超稀少疾患」であり、病態解明も治療法の開発もほとんど進んでいないので一般の医師はおろかその筋の研究者ですら知らないような疾患がいくつもあることを物語っている。このような改革は問題もある。事実上、これまで56疾患で分配して来た事業費を310疾患で分け合うことになり(さらに500疾患に増やすという話もある)、「広く浅く」を目指した今回の「改革」は今後、一疾患(もっと言うと一患者)あたりの事業費の支給が手薄になることを意味し、これまでの56疾患を患い闘病してきた患者にとっては「改悪」ということになりかねないということだ。

 

こうした稀少疾患に苦しむ患者の闘病の姿はこれまでいくつかの映画で取り上げられてきた。副腎白質ジストロフィー症を取り上げた「ロレンツオのオイル/命の詩」、フォン・レクリングハウゼン病を描いた「エレファントマン」、ポンぺ病の治療薬の開発を描いた「小さな命が呼ぶとき」、2,200万人に一人の頻度で起こる超稀少疾患、ライオン病(頭蓋骨形成異常症)の「マスク」などなどである。

 

稀少疾患の中にはまだ原因が同定されていないものも少なくなく、個々の患者数をたし合わせると「大きな疾患単位」になることは言うまでもない。厚生労働省の支給する研究費、補助はどうしても患者数が圧倒的に多い、がん、生活習慣病、アルツハイマー病などに偏っているため、こうした稀少疾患に苦しむ患者家族は圧倒的に苦しい。

 

映画、「ロレンツオのオイル/命の詩」は副腎白質ジストロフィー症に苦しむロレンツオ少年と、何が何でも我が子を救おうとして孤軍奮闘する両親の格闘の歴史を描いていて胸を打つ。ロレンツオ君は数か国語を話す聡明な少年であったが、この病気に侵されはじめ、知能の発育障害、歩行障害が起こってくる。慌てた両親はメイヨー・クリニックに連れていき、そこで診断確定された後、研究者がいるというローマ大学に一縷の望みをもって訪れる。「この病気の治療法はないのですか?」(母)。「わずか10年前に明らかになった病気で、今のところ何も・・・」(医師)。「でも誰かが研究しているのでしょう?」(母)。「・・・・」(医師)。この会話が物語るように病気の原因の究明、病態解析、治療法の開発は、少しでも多くの医師・研究者がその稀少疾患に興味を持ち、医療を行い、研究を始めないとどうしようもならない。だから患者にとって、何が最も不幸かというと、その病気に関わる医師、研究者がいないことである。どんな病気でも、短時間にまるで知恵の輪がほどけるようなスピードで病気を引き起こす原因分子の同定から治療法の開発までひと飛びに進むことなどありえない。

 

治療法の開発まで漕ぎつけた疾患の多くは、大抵病気の発見から治療法の開発まで数十年の時間を要している。最初に、診断法の確立のために行われる血液や生検組織が自分自身には還元されない、自分が死ぬまでには治療法の開発は間に合わないことを理解しながら検査に同意する患者がいて、さらに死亡して解剖に同意してくれる患者家族がいなければ研究は何も進まない。病理解剖は疾患の病態解明の基本であり、その疾患でどの臓器がどのように障害されているかを知る最も重要な情報源であるからである。治療法のない遺伝性疾患の研究の場合はもっと患者たちにストレスがかかる。自分たちにとって何も益にならない遺伝子異常を暴露され、プライバシーを侵害される。更に子供にまで遺伝する可能性がある恐怖を知ることになる。挙句の果てに治療法に関しては何も提示されないので患者の心理は複雑にならざるを得ない。これまで不治の病とされてきた疾患の中で治療法が開発されてきた疾患の多くは、患者と医師が力を合わせてこうした障壁を乗り越えてきた努力の賜物である。患者も医師も相当な「覚悟」がいるのだ。とりわけ剖検することに同意してもらうことにはお互いの深い理解がなければ成り立たない作業となる。「これだけ夫は苦しんだのだから、もうこれ以上苦しめるのはやめてほしい」。これが患者家族の偽らざる思いであることは言うまでもないが、そこを乗り越えなければ、病態の解明は進まず、とどのつまりは治療法の開発に結び付かない。

 

私が研究してきた熊本県に患者の多い家族性アミロイドポリニューロパチーもすべては患者、家族の方々のご厚意による剖検組織の病理解析から始まった。全身の臓器へのアミロイドの沈着を明らかにし、原因蛋白質である遺伝的に変異したトランスサイレチンの産生される臓器が主に肝臓であることが明らかになったのは患者・家族の方々が涙を呑んで病理解剖へ同意してくれたからである。そのような知見を基にして病気の原因を起こす肝臓を正常の肝臓に取り換えてやると病気が進まなくなるものとして肝移植が始まった。今から四半世紀以上前のことである。爾来、多くの患者さんがその治療の恩恵に浴し、発症して10年ほどで死に至る致死的な疾患であったでこの病気の患者さんが、社会復帰するようにまでなっていった。そして、さらに治療研究は進み、薬物治療、遺伝子治療、抗体治療と開発が行われ、我々の研究チームはその先頭を走って世界を引っ張ってきた。なぜ熊本でこの病気の研究が進んだのか?それは多くの患者さんが目の前にいたからである。

 

今年思いもかけないことが起こった。地元の新聞社、熊本日日新聞社が授与する熊日賞を受賞したのである。若い頃は、もっと患者数の多い疾患、たとえばがんや糖尿病、脳卒中などといったありふれた病気の研究をしたかったが、それは若気の至りで、誤りであったことを痛感している。ひたすらこの病気の研究を続け、気が付いてみると、多くの地元の患者さんの命を救うことができたばかりか、日本全国どこにでも患者さんがいることがわかり、更には世界の至るところにいることが分かった。「Glocal」という言葉はlocalな活動をしながら、globalに広げていくことを意味する造語であるが、まさに私の研究はそうした研究なのかもしれない。

 

7月5日、受賞式があった。短い受賞スピーチが求められたので、私はその最後をこう結んだ。「この栄えある賞を、今まで研究を支えてくれたすべての同僚とともに受賞させていただきます。この賞を今までこの病気で命を落とされたすべての患者・家族の方々、そして今なお闘病している患者さんに捧げます。そしてもう一人、この賞を、研究者安東の最大の理解者で、研究を始めた頃よりいつも横に寄り添い、声援を送りながら、支え続けてくれた恋女房の恵子にも捧げます」。

 

最後の「恋女房」という言葉を受けて会場はどっと沸いた。「あれはやくざの言葉ですね」と言ってきた方がいたが、確かに任侠物の映画ではやくざの男が、「恋女房のお春が・・・」などとよく使うので、偏見のある言葉かもしれないが、さにあらず。辞書を引っ張ってみると、「恋しあって結婚した妻。結婚後も深く愛している 妻。恋妻」とあるではないか。スピーチの折、横に立っていた家内はその言葉を受けて泣いていた。初心を忘れず、この疾患で苦しむ患者さんのために、そして稀少疾患で苦しむ患者さんのために、今少し研究を続けていきたいと心から願っている。

 

 

 

Copyright© Department of Neurology, Graduate School of Medical Sciences, Kumamoto University.