最新の投稿
「アラバマ物語」-皮膚の色の進化-
- 2008.06.1
後期高齢者医療の是非についてかまびすしい議論が続いている。先進国においては、増加の一途をたどる高齢者をどういった知恵を出して社会全体で介護していくかという国の施策、政策によって、社会の成熟度が推し量られようとしているが、日本の高齢者医療は、ヨーロッパ、特に北欧と比べて著しく未熟であることはいうまでもない。コストをかけずにいくら効率のよい福祉を目指して議論しても空しさが残るばかりである。北欧のように充実した福祉を目指すのなら、当然のことながら国民はそれなりの負担をする覚悟が必要である。
本気で人の命を守ろうとする医療には金がかかる。ところが、政府も政治家も選挙のことばかり気にして、いつまでたってもことの本質を語ろうとしないのはどうしたことだろう。子供にも大人にも高齢者にも、それぞれの環境の中で相応の福祉政策が必要なことは自明の理である。しかしさまざまな利害が複雑に絡み合う現代社会のなかで、どこかをいじろうとすると、ほかの部分にしわ寄せが来る。
どこから財を取り上げてどこに回すのかといった、朝令暮改的な検討をいくらしてもはじまらない。時代は、足りない財源をどうするのかといった骨太の議論が最も必要な時期に来ており、国民はそうしたことに本気で取り組んでくれる未来志向型の政治家を求めているのに、そのことに気付いている政治家は皆無であるかのように思える。環境問題と同じで、当分は何とかなるだろうという発想に陥ると、次世代の若者に大変なつけを背負わせることになる。
この国の国民は臓器移植の問題でも露見しているように、不特定の見知らぬ不幸なヒトに奉仕する(臓器を提供する)ということが、めぐりめぐって国民の幸せにつながるといったキリスト教的博愛主義に慣れていない。今この国は明らかにおかしい方向に舵が切られ続けている。
高齢者はちょっとしたアクシデントがきっかけで命の危険に晒される。転倒骨折がもとで寝たきりになる高齢者は毎年実に数十万人にのぼるが、この高齢者の転倒骨折が、太陽の光と深く関係していることが最近の研究でわかってきた。ヒトは太陽光に含まれる紫外線を皮膚に浴びることで作られるビタミンDによって骨を形成してきたが、このビタミンDが不足すると、カルシウムの小腸での吸収や骨への吸着が妨げられ、骨粗しょう症が起こる。高齢者は太陽光にあたる頻度が著しく下がる。加えて食事から摂取されるカルシウム量も減る。
また、女性では骨代謝に深く関係する女性ホルモンが枯渇するなどの理由で、骨粗しょう症が起こりやすくなる。だから高齢者はさまざまな状況でも骨折の危機に晒されている。
人類の進化の歴史は、有害な紫外線をうまく利用してビタミンDを有効に獲得する闘いの歴史であったといっても過言ではない。NHK特集「人の病気の起源」にはそのことが詳細に語られている。
以前にも書いたように、今から約二十万年前、中央アフリカで現代人の祖先、ホモサピエンスが誕生した。森林生活をしていた類人猿がホモサピエンスに進化していく途中で、食料を求めて太陽光の降り注ぐサバンナで生活し始めたのだが、そこは直射日光の降り注ぐ灼熱の大地で、暑さ対策としてわれわれの祖先は体毛を捨てなければならないことになる。類人猿の地肌は白色に近いが、これでは強烈な紫外線障害で皮膚がんになってしまう。そこで、ホモサピエンスは皮膚の色の進化をはじめることになる。
黒色の色のもととなるメラニン色素を持つメラノサイトで皮膚表面を覆うことにより、紫外線の防御バリアを手に入れたのである。これが元祖アフリカ人である。
しかし、六万年ほど前、一部の人々がアフリカから北ヨーロッパへと移住する。ヨーロッパはアフリカと比べて極端に日光照射量が少なく、紫外線を遮る黒い皮膚はそのままでは紫外線をもろに遮り、ビタミンD欠乏症によるクル病が起こる危険性に晒されたものと考えられる。したがってホモサピエンスの一部は、今度はメラノサイトの量を減らす進化を重ねて、北部ヨーロッパの過酷な環境に順応していった。これが元祖ゲルマン人である。
北欧の、特に若い女性はため息が出るほど皮膚が透き通り白く美しい。それが四十女になると、皮膚の色が白いがために、我々黄色人種より、そばかすが目立つようになる。黄色人種は、北欧とアフリカの足して二で割ったほどの日光量の環境で暮らした民族が獲得した皮膚の色である。この様にわれわれ祖先が何十万年という時間を要して獲得していった貴重な身体の仕組みが、短期間の地球規模の環境変化により、著しく健康を脅かす事態に発展する可能性は今後ますます高くなるであろう。
ビタミンDの代謝という点から見るとヒトが膚の色の多様性を獲得した歴史は実に見事に説明できるが、白人が黒人を不当に差別してきた歴史の背景は、皮膚の色の違いだけで説明できるのであろうか。黒人と白人は皮膚の色だけではなく、顔の形が極端に異なるが、ではその違いはどのような必然が形作ったものなのであろうか。黄色人種にもアングロサクソンを進化の頂点であるかのように感じ、透き通るような白い肌、大きな瞳、彫りが深く、高い鼻をもつ人種を崇拝する感性が一般的に受け入れられているように思えるが、これは遺伝子に刷り込まれた情報なのか、教育によるものなのであろうか。
映画「アラバマ物語」はアラバマ州メイコムという小さな町で、病気で妻を失い、まだ小学生になったばかりの長男のジェムと娘のスカウト、それに気の利いた黒人の家政婦とともにつましく暮らす弁護士アティカス(グレゴリー・ペック)の、正義を貫いたけれんみのない生き様を描いて、観る者すべての心をひきつける。母がいない子供たちの寂しさを配慮したアティカスの優しい心づかいもあり、この家族は幸福な日々を送っていた。
ところが、ある事件の弁護をアティカスが引き受けたあたりから、一家に不幸が襲うようになる。アティカスは、貧しくもまじめに暮らす左手の不自由な黒人の農夫ボブが、白人女性をレイプしたとして訴えられた事件(これは明らかに冤罪であったが)を引き受けたため、町に住む白人の黒人差別の感情を刺激し、アティカスのみならず子供たちにも危害が加えられそうな事態に発展していったからである。
アティカスはどこにでもいそうな普通の弁護士のように見えるが、その体の骨格のようにいつもどっしりと構え、偏見や不正を良しとせず、どんな時にも弱者の側に立って正々堂々と戦った。裁判のなかで、理路整然と原告や弁護人の理不尽な申し立てを次々と見事に退け、身に覚えのない罪を着せられたトムの無罪を主張した。
そして、その主張は陪審員の多くの賛同を得たかに思えたが、判決は有罪と決定した。悲嘆にくれたトムは護送の途中で脱走を図り射殺されるが、アティカスは深い悲しみとともにその事実を受け入れる。
2003年アメリカ人を対象に、映画の中に描かれたヒーローの人気投票が行われたが、意外なことに堂々の一位の座を獲得した人物は、絶体絶命のピンチを悠然とチャンスに変えていくインディ・ジョーンズでも、地球を渾身の力をこめて逆回りさせ運命を変えたスーパーマンでもなく、「アラバマ物語」のアティカスであった。映画の中でアティカスは、こうしたアクションスターのような怪力も、卓越した危機管理能力も披露しない。にもかかわらず100年の歴史を持つ映画史の中で、このアメリカの一田舎弁護士がアメリカ国民の心を捉え離さないのは、どんな時にも物事に動じず、絶えず家族のことを考えながら行動し、人はみな法の下に平等であるという精神を貫いている姿をスクリーンいっぱいに示してくれたからにほかならない。悩めるアメリカの良心は、人種のるつぼと化しているアメリカ社会この大前提が否定されると、維持できなくなることを良く知っているからアティカスを選択するのであろうか。