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「ゴーストーニューヨークの幻」-iPS細胞

  • 2009.07.1

愛する人の命が何の前触れもなく突然奪われる。これほど残酷で耐えられない拷問はない。血の通わなくなった亡骸を抱きしめながら、多くの人はなんとか命が蘇えり痛んだ臓器が元に戻らないものかと思うに違いない。山口県光市の本村さんは、8年前のある日、仕事を終え、いつもと同様に帰宅の途に就き、何の疑いもなく最愛の新妻と生まれたばかりの子供との幸せな団欒が待っていると信じて帰宅したはずである。ところがその妻が凛徐を受けた上殺され、娘まで無残な姿となっている現場の第一発見者とならなければならなかった彼は、どんなに無念だったことであろうか。それくらい愛する人の突然の死は重くてつらい。いまさら死刑の是非を云々するつもりはないが、最近出た彼の8年の戦いをつづったドキュメンタリーを読むと、そこには退職ばかりでなく自殺願望のあった彼を支えた職場の上司、同僚、妻の家族、共感をもちながら裁判の戦い方を冷静に教え導いた弁護士がいたことがわかる。がんで愛する人を失うのも確かにつらい。特に愛する人ががんの症状による苦しみに加えて、過酷な抗がん剤の副作用と戦う姿を目の当たりにしながら最期を看取らなければならな家族の悲しみの重さは前述のような事例と甲乙つけがたい。しかし、がんのターミナルケアに関しては、インフォームド・コンセントが充実してきており、患者自身のみならず、ずいぶんと残される家族の気持ちも考えたケアが行われるようになってきているのでその部分は以前よりは少しだけ救われた気持ちになる。愛する人と別れるには十分(何をもって十分というのかはわからないが)な時間が必要であるが、愛する人の不在を予想する時間すら与えられなかった、事故や事件によって愛する人を奪われた人は、一体どうやってその死を受容していくのであろうか。当然思うことは、生き返らせる手段はないのか、痛んだ臓器を元に戻せないか、という切なる願いが沸き起こる。

 

不老不死の薬を作ろうとする無駄な努力は、古くは秦の始皇帝に始まり現代につながる。今現在もアンチエイジングなる学問が盛んに行われ、中には怪しげな老化防止薬がもてはやされているが、現段階では不老不死など無駄な努力と言わざるを得ないし、ヒトはどこかで死を受け入れなければならないことは自然の摂理上必然である。しかし事件、事故による喪われつつある命、臓器の再生は前述のような状況を受けて研究され続け、場合によっては元に戻るかもしれない、と信じられるレベルまで研究が進んできている。つい最近までES細胞を利用し、様々な成長因子を介して目的の臓器に分化させる試みが行われてきたが、この研究にはヒトの受精細胞を用いる必要があり、今の倫理規定では臨床に応用するのは難しいと考えられてきた。

 

ところが、京都大学の山中伸弥教授は、いくつかの工夫を凝らし、この問題をあっさりとクリアしてしまった。山中教授はヒトの皮膚の細胞を使ってiPS細胞 (induced pluripotent stem cells、人工多能性幹細胞)と呼ばれる細胞を世界で初めて開発した。iPS細胞とは、線維芽細胞へ数種類の遺伝子を導入することにより得られた、すべての細胞に分化可能な分化万能性を持った細胞をいう。これを開発した山中教授は一躍「時の人」になり、ノーベル賞に最も近い男といわれている。

 

この細胞は理論上、身体を構成するすべての組織や臓器に分化誘導することが可能であり、患者自身からiPS細胞を樹立する技術が確立されれば、拒絶反応の無い移植用組織や臓器の形成が可能になると期待されている。この細胞はこれ以外にも無限の可能性を秘める。患者自身の細胞からiPS細胞を作り出し、それを病気で障害された臓器に分化誘導することで、今まで治療法のなかった難病に対して、その病気の発症メカニズムを研究したり、患者自身の細胞を用いて、薬剤の効果・毒性を評価することが可能となる。ところで通常、こういう表記では全ての単語の頭文字を大文字で並べるが、 iだけ小文字にしたのはiPodにあやかったというから、山中教授はこうした点までなかなかのアイデアマンである。iPS細胞は倫理面の問題が少ないため、再生医療の実現に向けて大きな一歩となったが、真の実用化までには、いくつかの問題がある。

 

その一つはiPS細胞のがん化である。この細胞を用いた実験において、およそ20%の個体においてがんの形成が認められた。これはES細胞を用いた同様の実験よりも有意に高い数値であった。これはiPS細胞を樹立するのに4つの発がん関連遺伝子を使用している点と、遺伝子導入の際に使用しているレトロウイルスも発がん遺伝子の活性化を引き起こしやすいといった点が原因と考えられた。その後、山中教授らは、発がん遺伝子を使用しないiPS細胞の作製に成功したが、作成率が低下するため、これを改善する手法の開発が現在進められている。

 

いつか書いておきたいと思っていた映画に、「ゴースト/ニューヨークの幻」(ジェリー・ザッカー監督)がある。陶芸家のモリー(デミ・ムーア)と銀行員のサム(パトリック・スウェイジ)、はニューヨークに住んでいて深く愛し合っている。サムの同僚のカールとは仲の良い親友だった。ある日の夜、二人は、「マクベス」の演劇を鑑賞した帰り道、人気のない通りで将来のことを語り始める。「ねえ、そろそろ結婚しない?」「今すぐ返事しなければいけないのかい」。二人の愛は確かなものだが、結婚といわれると戸惑ってしまうサムであった。何となく会話が途切れがちな雰囲気の中、突然、もの陰から現れたプエルトリコ人がサムに襲い掛かってきた。「カネを出せ」。激しく争う二人。そして突然の銃声、逃走する男を追いかけるサム。しかし引き返してきたサムが目にしたのは、泣いているモリーの腕の中で動かなくなっている自分の姿だった。サムはすでに死亡し、ゴーストになっていたのだ。救急車で病院に運ばれた自分の死体をゴーストのサムは追いかけていく。彼はその病院で同じくゴーストになってさまよう老人に、自分が(モリーへの愛が強いためか)天国に行けず、生と死の間でとどまっているゴーストであることを教えられ愕然とする。

 

その後モリーは、悲嘆に暮れた生活することになる。カールは何かとモリーの相談に乗ってくれる。でもこの男はどうも胡散臭い。そんなある日、ゴーストとなったサムは自分を殺したプエルトリコ人を目撃し、その男の素性を知ることになる。しかしそれを伝えるすべもなく途方に暮れている所に、霊媒師オダ・メイ (ウーピー・ゴールドバーグ)に出会う。彼女は眉唾ものの霊媒師ではあったが、ゴーストであるサムと会話ができるではないか。そこでサムは彼女を必死で説得し、モリーとの伝令役を引き受けてもらうことになる。最初オダ・メイの言葉など信じられないモリーだったが、サムしか知らないはずの思い出話を次々に語るので信じるようになっていく。話は、急転直下、サムの殺人の真の首謀者が、実は友人のカールであったことが判明する。カールは、「いわくつきの金」を銀行を経由させて正当な金に見せかける、マネー・ロンダリングに手を染めていることを同僚のサムに気づかれたと思い込み、プエルトルコ人をそそのかし、サムを殺したのであった。次第にサムが生きているのではないかと疑い始めたカールは追い詰められ、ついにモリーの家に殴り込み、彼女を殺そうと襲いかかる。しかしサムの愛の力、霊力によって、カールは逆に命を喪うことになる。二人についに別れの時がやってくる。モリーを助けるという使命も終わり、すべてを悟ったサムのゴーストもモリーに心から愛していることを告げ、天国に旅立っていく。

 

幽霊となっても愛する人を守ろうとする男の切ない気持ちが伝わってきて痛ましい。ゴーストはどんなに霊の力を使っても生身の人間にはなれないところが悲しい現実である。

Copyright© Department of Neurology, Graduate School of Medical Sciences, Kumamoto University.