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「めぐりあう時間たち」-統合失調症

  • 2010.08.1

忙しい日々が続くと文章を書くことの多い私も、ついつい書類を裁くのがおっくうになるが、意外と忙しいときほど長い文章より短い文章の書類を書くことのほうが苦労するものである。ゲーテの有名な言葉に「今日は忙しかったから短い手紙を書けなかった」というのがある。忙しいので時間がなく、長い手紙が書けないであろうと一般的には思われがちだが実際はそうではない。思っていることをそのとおり文章にしてつないでいくことはさほど難しいことではないが、エッセンスを凝縮した短い文章を限られた時間の中で書くことは、実は忙しい時ほど容易ではない。話すことも全く同じで、結婚式の短いスピーチなどウイットを聞かせようと考えれば考えるほど、プレッシャーがかかる。私は医学部の学生だった頃、地元の放送局で週に一回10分番組を5年にわたって持っていた。いわゆるディスクジョッキーである。言いたいことは毎週山ほどあったが、これを面白く、わかりやすくコンパクトに一週間の中でたった10分(実際はCMが入るので9分10秒である)にまとめて話すのには結構苦労した。たまに特別番組として一時間番組も作ったが、この長さは言いたいことをふんだんにちりばめる余裕があり、開放感もあり、とても楽しく時が流れたことを覚えている。この経験が現在、学会発表や講演活動で大いに生きている。

 

物事をまとめるには統合能力が必要である。特にコンパクトに物事をまとめる力は能力の差が歴然と出る。こうした全体を統合する能力が障害されている患者が、統合失調症ということになる。2002年に日本精神神経学会によって、「精神分裂病」という病名は、精神そのものが分裂しているというイメージを与え、患者に不利益を与えるものとして、それまで統合されていた精神が調和を失うことによって分裂・崩壊した見解・思考・行動を来たすという病態に基づいて、「統合失調症」へと改められた。こうした疾患を患っている人の中には特定の分野・領域で異才を放つことがある。映画「ビューティフル・マインド」のジョン・ナッシュはノーベル経済学賞を受賞したが、この病気にかかったことが知られている。また「ダロウェイ夫人」など優れた小説をいくつも後世に残しているイギリスの作家、ヴァージニア・ウルフも精神疾患(うつ病なのか統合失調症なのか正確には判断できない)を患っていたことが知られている。

 

「ダロウェイ夫人」は、1920年代のロンドンに住む、すでに五十歳を超えたダロウェイ下院議員夫人、クラリッサの一日を描きながら、才気煥発な青年ピーターと付き合っていたにもかかわらず、結局無骨なダロウェイと結婚した選択に対する自問や忍び寄る老化への不安、喪われつつある生きる希望などに対する葛藤などを克明に描いた秀作である。映画「めぐりあう時間たち」(スティーヴン・ダルドリー監督)は、ヴァージニア・ウルフがこの小説「ダロウェイ夫人」を書いた時代背景、小説自体の中身をうまく活用しながら、異なる3つの時代を生きた3人の女性の生きる意義、配偶者との葛藤などを、それぞれのヒロインの一日を描きながら浮き彫りにしていく。この映画では、3人のそれぞれの人生が小説「ダロウェイ夫人」の内容と密接にリンクしているところが面白い。

 

1923年、ヴァージニア・ウルフ(ニコール・キッドマン)は精神疾患の療養のため、夫とともにロンドン郊外で暮らしていたが、表情は生気を喪い暗く澱んでいる様に見える。思いつめた彼女は、夫と激しく口論となったりする。彼女はそこで小説「ダロウェイ夫人」を書き始める。1951年のロサンゼルス。妊娠中の主婦、ローラ・ブラウン(ジュリアン・ムーア)は、夫の誕生日を祝うため、息子とともにケーキを焼いていた。一見何の問題もないように見えるアメリカの中流家庭の主婦である彼女には、実は深い心の闇があった。それはまさに「ダロウェイ夫人」が抱えていた心の葛藤、「人は一体何に対し希望を見出し何のために生きるのか」といった生きることの根源的な疑問に帰結するが、彼女はこの自問に答えを見出せず、空虚な時間を送っていた。結局、息子を友人に預け、ホテルで「ダロウェイ夫人」を読みながら睡眠薬の服薬自殺を計画する。ところは変わり2001年のニューヨーク。そこにはエイズに冒された詩人の友、リチャードの受賞祝賀会を手伝う編集者のクラリッサ(メリル・ストリープ)がいた。彼との間に昔は愛憎があったのかもしれないが、彼女は今はそれを超越しようとしながらずっと看病し続けているように見える。死の迫ったリチャードとの間で、何となく隙間風が走る。三者三様の境遇の中で、人生とは一体何のためにあり、いかに生きるべきなのかを問いかけながら、結局誰一人としてその問いに答えを見出せないまま、ストーリーは進んでいく。

 

結局ヴァージニア・ウルフ自身は「ダロウェイ夫人」の完成から十数年を経た1941年、川へ散歩に出かけると言って家を出た後入水することになる。少女時代に親族から性的虐待を受けたことが知られているが、それが精神病理にどの程度影響を与えたのかは知る由もない。映画や小説から窺い知る限り、人が生きる意義は究極のところ何であるのか、という根源的な疑問に答えを見出せないまま自らの命を絶ったように思える。佳人薄命という言葉が浮かぶ。

 

統合失調症の患者の病態には個人差が大きく、破瓜型、妄想型、緊張型など様々な病型に分類されるが、こうした分類に載らない、分類不能型も多く存在する。ベースになる症状は被害妄想と幻聴であるが、インテリジェンスのレベルはまちまちで、この病気に犯されながら、後世に残る優れた仕事をした芸術家はヴァージニア・ウルフのほか枚挙に暇が無い。芥川龍之介には、この病気の家族歴があったが、あのように素晴らしい短編小説を沢山残した。晩年は奇行に走り、最後は自ら命を絶った。統合失調症は一部の患者で明らかな家族歴が認められることから病因遺伝子の探索が久しい以前から行われている。統合失調症に関する現在までの研究を総合的に判断すると、遺伝子異常と環境要因の二つが絡まりあってこの病気が発症するとするのが一般的な考えのようである。英国の研究グループによると、この病気を引き起こす責任遺伝子としては、思考に大きく関連するPDE4B遺伝子が統合失調症に関係していると報告している。このほかわが国の理化学研究所のグループが、カルシュニューリン蛋白質を作るppp3cc遺伝子とそれに関連する、EGR1、EGR2、EGR3などの遺伝子がこの病気の発症進展に関係しているとする報告を行っている。ただ、多彩なこの病気を単一な遺伝子で説明できるかは議論の分かれるところで、今後の研究の進展を待たなければならない。

 

広く知られているように、日本人の場合、統合失調症の生涯発病率は約0.85% (120人に1人) であり、決してまれな病気ではない。 西欧の頻度は約1%とされているので、若干少な目ではあるが、洋の東西を問わずこの病気はほぼ同じ頻度で人間社会に存在する。当然一般の病気を患う患者の中にも、さらに医者をはじめとするコメディカルの中にも、この病気の患者はいることになる。前述のように統合失調症で一番目立つ臨床症状に被害妄想がある。最近、院内暴力が大きな問題となっているが、こうした患者の被害妄想によって診療に支障を来たす例が無いわけではない。小児科や産科医療、更には救急医療の充実がマスコミで取り上げられて久しいが、こうした精神神経疾患の医療も、認知症の増加と合間って21世紀の重点医療とすべきであることは言うまでもない。

Copyright© Department of Neurology, Graduate School of Medical Sciences, Kumamoto University.