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「夢千代日記」-放射線によるDNA障害
- 2010.09.1
昨年は、何かと食の安全の問題が取りざたされた。一口餃子の例を挙げるまでもなく、われわれは日常生活の中でも、たぶんに気づかないうちに毒物を口にさせられている危険性がある。ちょっと古い話になるが、ロシアから英国に亡命した元KGBスパイのアレクサンドル・リトビネンコ氏が毒を盛られ死亡した事件は世界じゅうに衝撃を与えた。当初毒物による急性中毒死の可能性が高いと考えられていたが、イギリスの調査機関によるとリトビネンコ氏の尿から放射性物質ポロニウム210から出た放射線アルファ線が検出されたということである。ポロニウムはウランの数千倍以上の強さをもつ放射能を放出する。体内に入った場合、 短時間に腎臓をはじめとした多臓器不全を引き起こす。リトビネンコ氏の場合急死に近い状態であったが、ポロニウムの致死量は10ナノグラムとも言われており、この量は我々の目に見えないし、通常の検査では立証しようがない。毒殺は紀元前からヒトの権力闘争の歴史に登場して久しく、多くの権力者、暴君がこれにより夢半ばにして命を絶たれた。しかし歴史上、放射線障害物質を盛る毒殺はこれまでなかったことから、この事件は特筆に価する。極微量で強力な放射線を発する物質は、味も匂いもしない。微量なため、食事の外見、味に影響を与えず、急死しても気づかれにくいし検証されにくい。特にポロニムのようなα線は、放射性元素は口に入れるよな内部被爆では重篤な臓器障害を起こすが数十センチの距離があると被爆しないため外部被爆は受けにくく、持ち運びもでき始末が悪い。原因不明で急死した人の法医解剖に、ガイガーカウンターが不可欠となる時代はもうそこまでやってきている。
放射線障害は遺伝子に損傷をあたえ、その結果白血病をはじめとするがんを引き起こす。広島、長崎の原爆の被災者のフォローで、その実態が明らかとなり、旧ソ連時代のチェルノブイリの原発事故でさらに多くのことが明らかになってきているが、被災後どれくらい経てば安全域に入るのかは不明な点もあるため、国は原爆が投下されたとき、両地域に住んでいた人には症状の有無にかかわらず原爆手帳を給付している。放射線障害はDNAに直接傷をつける。放射線障害により起こる白血病や骨髄異形成症候群に関するこれまでの研究から、 とりわけ高頻度にAML1とRunx1遺伝子の点突然変異が生じていること、特にAML1遺伝子の点突然変異がおこると骨髄細胞の代謝にかかわるいくつかの蛋白、酵素の転写活性機能が低下していることがわかってきた。古くより5番染色体や7番染色体長腕の欠失は、孤発例の白血病で多く認められると同時に, 放射線関連や化学療法後の白血病でとりわけ高頻度に見られる異常であることが知られてきたが、こうした原因遺伝子の変異同定により造血過程でその元になる前駆細胞の代謝機構の破綻誘導され、造血細胞のがん化がおこることがわかってきた。こうした放射線障害を被ってしまった人の造血細胞ががん化するのを防ぐすべは今のところないが、こうした遺伝子の異常を明らかにして、発現する蛋白を制御する方法が最も予防につながる近道であり、研究の焦点はそうした方向に向けられている。
放射線により傷ついたDNA障害が次世代に伝播するかは大変大きな問題である。放射線と遺伝の関係が初めて明らかにしたのは、アメリカのハーマン・マラーで、ショウジョウバエに強力なX線をかけて、そのハエから生まれてくる子どものハエに羽の短いものや目玉の色の異なるものなど、さまざまな遺伝的障害が起きることを発見した。ではヒトで親の世代が受けた放射線が原因で、その人の子どもに遺伝的障害が起きるかが大きな問題になるが、これについては、広島・長崎の原爆被ばく者の子ども、いわゆる被ばく二世の人たちについて行われた大規模な調査がある。
原爆被ばく者から生まれた子どもについて、流産、死産、奇形、がん、染色体異常、小児死亡、血清タンパクの異常などの有無について戦後約40年の間、広島・長崎で生まれた子どもたちの調査結果が行なわれた。それによると、死亡率は、原爆を受けていない親から生まれた子どもの死亡率と同じであり、染色体異常に関しても被ばく者を親に持つ子供に有意な増加はみられなかった。まずは胸をなでおろす結果ではある。しかしこれは、広島、長崎規模の放射線障害の結果に過ぎず、線量や各種の違うプルトニウムのような強力な放射線障害を受けた場合はどうなるのかは藪の中である。
吉永小百合が映画「幻の邪馬台国」などで脚光を浴びたが、彼女のテレビでの名作といえばNHKドラマ「夢千代日記」である。このドラマは、広島の原爆の影響で白血病と戦いながら山陰のひなびた温泉宿でひたむきに生きる芸者・夢千代の物語である。夢千代は、母が広島に居た頃、特攻隊員との恋に落ち、結婚しないまま夢千代を身ごもり、母のおなかの中で被爆した。夢千代の住むところは山陰線の余部の鉄を列車で渡ったところにある温泉宿という設定になっている。山陰のひなびた温泉町に流れてくる様々な過去をもった人々と夢千代や芸者たちが織り成す心の風景、愛の悲しさを描いたこのドラマは大いに好評を博し、シリーズものとなり3部まで作られた。薄幸の芸者置屋の女将を吉永小百合が演じたが、脇役も秋吉久美子、希樹希林、楠トシエなどが固めて、それぞれ秘めた過去を引きずって芸者をしている設定になっている。テレビ大賞優秀番組賞受賞なども受賞し、映画、演劇と作られていった。夢千代は、胎児期の被爆がもとで白血病を患い、あとわずかの命と知りながら母の残した芸者置屋を営む。彼女にはシリーズごとに心を寄せるヒトに言えない過去を持ちながらも、心の奥に男としての優しさと筋の通った人生感をもつ人物が登場する。 吉永小百合は以前から出たいと思っていた早坂暁の脚本に惚れ込んで夢千代役を引き受けるが、こうした男性に出会うたびに恋をする夢千代に少し抵抗を感じたのか早坂にこう聞いた。「毎回男性に恋心を抱くのはみだらな女と思われないでしょうか」。早坂はこう答える。「不治の病に侵され、絶望の淵に立たされたとき、生きる力になるのは愛しかありません。愛を注ぎ、注がれることが希望になる。それは天上の恋なのです。ぎりぎりの命で、愛することに何の遠慮がいるでしょうか」。夢千代は残された命の長さを確かめるかのように時折病院に通いながら、静かな恋心を燃やすのであった。
吉永小百合は、「キューポラが聞こえる町」で銀幕デビューを果たした。リバイバルで見たが、ふっくらとしたあどけない女学生そのもので、明るく元気のあるヒロインを演じている。1945年、終戦の年に生まれた彼女は、この「夢千代日記」に運命の出会いを感じたのか、足掛け4年に渡り夢千代を演じた後、広島、原爆に大いに関心を持つようになり、原爆に関連した集会などで、被爆者・家族の詩の朗読をしたりしている。
湯の町にはヒトの心を癒してくれるような暖かさがある。「湯の町エレジー」という題の歌があるが、湯の町には哀愁がある。身体と心に傷を負った人々がやってくる。その街に住む接客業の人々も地元の人でないことも多い。湯治という言葉は、皮膚病や慢性疾患を治すことだけを意味するのではなく、疲れきった心、傷ついた心を癒す意味も含まれているように思えてならない。
正月は実家ではなく、ふるさと別府の旅館で一日は過ごすようにしている。賄いのお姉さんたちも、明らかに日本人ではないようなたどたどしい日本語と言葉のアクセントを持つ人が働いている。アジアのどこかから、訳ありの人生を背負いながら湯の町で旅人の心を癒そうとしているのかもしれない。