最新の投稿
「疑惑のチャンピオン」ードーピングー
- 2018.02.19
スポーツが身体にいいというのは妄想に過ぎないのかもしれない。様々なプロスポーツ選手が晩年、身体の使いすぎや外傷により体調を崩し闘病することは少なくない。サッカー選手だったある著名人は、雨の前日には必ず利き足が痛み腫れるから、気象予報士より正確に雨の日を当てることができるというし、プロ野球の投手だったOBも引退後利き腕の自由が制限され、痛むことが多いという。力士は太りすぎによる生活習慣病のためか、晩年脳血管障害、心臓病に苦しむ人が多いという。
素人の過多な運動も問題である。熊本には熊本城マラソンというフルマラソンのイベントがあり、うちの若い医局員も毎年何人か参加している。次の日びっこを引いて出勤してくるものも少なくないため、その侵襲たるや相当なものであろうと考え、ある年、筋肉の傷害度を知るため、筋肉が壊れると血中に上昇するクレアチニン・フォスフォキナーゼ(CK)のレベルを測定してみた。基準値は200 U/L以下だが、いつもジョギングをして、見るからに身軽そうな医局員でも、フルマラソン後その値は650 U/Lに上昇しており、あとの3人も出場に備えて走ってはいたはずであるが、2860、6570、8760 U/Lと信じられないくらい高値を示していた。CKレベルが1万から2万 U/Lに上昇すると、筋肉から漏れ出るミオグロビンが腎臓の糸球体に目詰まりして急性腎不全となり、血液透析を受けなければならなくなる危険性が生じる。マラソンは明らかに素人には危険なスポーツ、という認識が必要である。
親しい某大学の整形外科の教授は、「関節、筋肉は消耗品。年を取ってからのマラソンなんてとんでもない。スポーツ推進論を唱える学者はいずれも早死にしている。ジョギングもよくない。やるならウォーキングですよ。」と言って憚らない。
平昌オリンピックが終わり、いよいよ東京オリンピックの実感が湧いてきた。人間はどこまで高く跳び、強くなり、速く走れるのか。それを追求するためには環境の整備とそのためのお金が不可欠であるが、久しい以前からそのお金を誤った方向に使ってきた指導者、アスリートがいる。国際オリンピック委員会(IOC)では、競技で運動能力を向上させるための不正を厳しく禁じるようになったが、過去に遡って様々なアスリートがメダルをはく奪されている。2002年に行われた北京オリンピックで金メダリストとなった何人かのアスリートが、十数年経った現在なお過去の血液を解析し直し、ドーピングが発覚しメダルをはく奪されているのだから驚く。特に今回、あるアスリートの告発によりロシア選手の組織ぐるみのドーピングが明らかとなり、リオおよび平昌オリンピックの出場禁止問題にまで発展した。かつてハンマー投げの室伏広治選手も金メダリストだった選手のドーピングの発覚により金メダリストとなったのは記憶に新しい。
ドーピングとは麻薬、ヤクの意味を持つdopeが動詞になったものだが、その歴史は古く、古代ギリシャ時代には、競技者が興奮剤を協議前に使用していたことに遡る。19世紀には競走馬に対して麻薬や興奮剤が用いられるようになり注目されるようになった。
ただ、禁止薬物の定義が必ずしもクリアではないし、薬物を除くと、他のことは何をしてもいいのかという疑問が残る。組織への酸素供給の効率を増すために、血中の赤血球が多いほど持久力がつく。そのために、赤血球を増やすエリスロポイエチン(EPO)を点滴してはいけないことになっているが、低酸素下の高地トレーニングをしてこれを増加させるのは良いとする判断基準は果たして正しいのだろうか。結局、行きつくところ努力して運動能力を上げることは良いが、薬剤による行為は罪であると結論づけられるのかもしれない。
ドーピングを扱った映画に「疑惑のチャンピオン」(スティーヴン・フリアーズ監督)がある。ロードレーサーのランス・アームストロングに焦点を当て、彼がドーピングに手を染め、数々の栄冠を手にしたことから虚像が生まれるが、今度は虚像を隠ぺいするためにここまでやるのかというくらいドーピング隠ぺいに限りを尽くすその実態を明らかにした映画として興味深い。
アームストロングはロードレースで頭角を現し始めた頃、10万人に1人の確率で発症する精巣腫瘍に罹患する。腫瘍は悪性で脳にまで転移していたが手術で回復し、執念のリハビリとトレーニングを経て奇跡の復活を遂げる。恐らくなかなか筋力が戻らなかったのであろう。この頃からドーピングに手を染めるようになる。世界最大の自転車ロードレースであるツール・ド・フランスで1999年に初めて優勝、2005年にかけて前人未到の7連覇を成し遂げるが、この頃には専属の医師を含む「チームアームストロング」なるドーピング隠ぺい組織が出来上がっていた。彼は私生活でも幸せな結婚をし、凍結保存していた精子を用いた人工授精で3人の子供にも恵まれている。がん撲滅キャンペーンの陣頭に立ったりしたのは、正義感をアピールし、ドーピングをカモフラージュする目的だったのかもしれない。
巨額の富と名声を手にし、不治の病から生還したアームストロングだったが、かつての同僚の告発により、あっけなくドーピングが発覚し、もろくもスターの座から転がり落ちることになる。彼が行っていたドーピングはEPO、自己血輸血(血液ドーピング)、テストステロン、副腎皮質ステロイド、そしてそれらの使用を隠すためのマスキング剤の使用とすさまじいが、他の競技者にも横流ししていたことも明らかになっている。
映画では自転車の競技場へ移動中のバスの中で、彼とチームメンバー全員が体を横たえ、スポーツ医学の権威であるチームドクターが編み出したハイブリッド血液の点滴を受ける姿や、レース直後に行われるドーピング検査の直前に、大急ぎで点滴をして、薬剤の血中濃度を希釈しようとするシーンが余すところなく映し出され驚かされる。ビッグマネーが動く世界規模の大会では、さまざまな人々が彼の恩恵にあずかろうと集まってきて、それに応えるためにもドーピングに走っていったことは想像に難くない。しかしこの映画に登場するアームストロングという男は、もはやアスリートなどではなく長年にわたり世間を欺き続けたペテン師と呼ぶほかはない。
古代ギリシャのオリンピックでは綱引きの様な素朴な競技があり、高等なトレーニング技術など入り込む余地はなかった。しかしアマチュアリズムに徹していたオリンピックにコマーシャリズムが入り、世界規模でアスリートの能力の限りを尽くした姿がテレビでリアルタイムに映し出されるようになると、ビッグマネーが動くようになる。そこにアスリートのプロ化を認めたことが拍車をかけたことは否めない。かつてオリンピック選手は清貧であった。しかし、今は競技に出場してメダルを取ることイコール富を手にすることに代わってきている。銅メダル獲得と4位は天地ほどの違いがある。この状況は、かつて社会主義国家のアスリートが、メダリストになると国威高揚に貢献したものとして一生を保証された状況と変わらないのかもしれない。
小池百合子東京都知事の誕生により、オリンピック開催の裏事情が少し明るみに出されるようになり、開催するとどんなに金がかかるかが改めて明らかにされた。このままの状況が続けば、もう開催できる都市はなくなるであろうと心配されている。一方、アスリートの状況に目を向けると、やはり金の問題が大きくクローズアップされる。金にものを言わせて一人のアスリートに「チームxx」と称して巨額の金を投入し、臨床心理士、トレーナー、コーチ、栄養士、家庭教師をつけるようになっているが、この事実は、もしかしたらとどのつまり、人工的なロボットのようなアスリートを生み出すことにつながらないのだろうか。競技にもよるが、今後益々金がなければ勝てない状況が加速されるであろう。オリンピックはヒトのもてる能力の極限を競う場であるべきであると思うが、今の状況が続くといつか破綻するように思われてならない。