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「命の相続人」-多発性硬化症

  • 2012.02.28

Compassionという英語はわかりやすい。「Passion (情熱)をCom (共に持つ)」という意味から、「共感」、あるいは「思いやり」という日本語訳になる。医療の現場では情に流されてはいけないが、病気で苦しむ患者に対してCompassionがなければ患者と医師の信頼関係は築けない。

 

 スペインのマドリードであろうか。とある総合病院のペイン・クリニックでディエゴはベテラン医師として働いている。はっきりは語られていないが、彼は麻酔科医のようだ。映画「命の相続人」(オスカール・サントス監督)の話である。疼痛は発熱や下痢、咳などと並んで体が発する重要な警告サインであり、様々な疾患で重要な症状として現れる。彼は、三叉神経痛、多発性骨髄腫、閉塞性血管炎、エイズなど様々な疾患に伴う疼痛を持った患者を診ているが、患者にさしたる共感も示さず、機械的に診療している。医師として長らく苦痛を訴える多くの患者を診ている過程で、無感動、無感覚になっていったのかもしれない。また彼は、救急医療にも関与しているが、生死の決着が早い救急医療の最前線で、慌ただしい生活をしているとやはり個々の患者に対する共感が薄れていくものなのかもしれない。彼は研修医に対して、「一生懸命治療しろ。しかし個々の患者に深入りせず、患者と目を合わすな」と呟くように言ったりしている。

 

 私も一時期、市中の病院で救急医療にタッチしていたことがあるが、自分の担当している患者やその隣に寝ている患者がどんなに医療を施しても息途絶えることは茶飯事であり、過労も重なり、瑞々しい感情が鈍磨して行き、死亡した患者、家族に対するCompassionが薄れがちであったことを思いだす。

 

 ディエゴにはこうした精神状態になるもう一つの原因がある。彼はどうも同じ病院で働く看護士の妻ピラールと上手くいっておらず、別居同然の生活をしているようである。こういう場合、心が荒むものだ。ある日、外来で診ていた多発性硬化症の女性患者サラが睡眠薬を大量に飲み、昏睡状態でアルマンという男に付き添われ救急外来に運ばれてくる。右手には、何かのトラブルがあったのか火傷を負っている。彼女は妊娠7ヶ月であったが、おなかの赤ちゃんは生きているものの心疾患があるようだ。治療中、彼女は心肺停止となるが、何とか蘇生する。ディエゴは、アルマンに病状が厳しいことを告げるが、彼は激しく動揺する。アルマンとサラは不倫関係にあり、難病を抱えながらも彼女は彼の子供を身籠った。

 

 ディエゴがルーチンワークを終え、帰宅しようと駐車場に行ってみると、そこでは必死の形相でアルマンが待ち構えていて、ピストルを手にディエゴをこう脅す。「サラを必ず毎日診察しろ。とにかく治すんだ。最後まで診続けろ」。患者に特別な感情を持てなくなっているディエゴは「状況が厳しく、こん睡に陥っている患者を頻繁に診ても意味がない」と言い返すが、アルマンは興奮する一方であった。アルマンは突然発砲し、ディエゴは胸を打たれ、自分も息を引き取る。

 

 その後、ディエゴは九死に一生を得るが、彼にはその事件の後、不思議な能力が備わる。彼が患者を触るだけで病気が治るようになったのである。一方、対照的に彼の身内は次々に病気に倒れていく。父親は急死し、娘は感染症を引き金に、どんどん症状は重症化していく。

 

 病気の治療は重症化するほどコストと医療人のマンパワーが必要となるが、家族や隣人の犠牲を上に成り立っているのが現状である。この映画では、サラにもそして主治医のディエゴにも複雑な家庭関係の問題があり、どろどろとした人間関係の中で医療が行われている。そもそも医療というものは、それを提供する側も受ける側も、それぞれ複雑な家庭環境や人間関係をもっており、それを抜きにしては語れない、という当然のこともサントス監督は訴えているように見える。映画の中で、医療現場は正確に再現されており、特に救急医療の描写も臨場感があり、それぞれのシーンに迫力があり、自然に惹きこまれていく。しかしこの映画がスペイン語の映画であるからであろうが、訳者の医学知識が十分でなく、日本語訳された医学用語が一部正確性を欠いている点は残念であった。

 

 ところで、主人公の一人サラは、多発性硬化症を患っていた。映画の中では、こん睡のため、その症状がどんなものかは描かれていないが、確かに疼痛を伴うことのある疾患である。日本人には比較的なじみの薄いこの病気も、外国、特にヨーロッパに行くと結構ポピュラーな病気となる。この病気は、中枢神経系の神経線維を覆っている髄鞘の障害(脱髄)が原因で起こるが、異常な免疫反応が原因である。自己免疫疾患によって起こる。脳・脊髄の少なくとも二か所以上に脱髄による障害が起こるが、発症後一旦治ったと思って安心していると再発する。特に免疫力の高い10歳代後半から50歳までに発症し、30歳代に発症のピークがある。体温の上昇は免疫力を高めるため、発熱時や温泉に浸かっていて発症したという患者もいる。運動神経麻痺、視力障害、失調、企図振戦、嚥下障害、疼痛や種々の感覚障害などが起こるが、アジア人では視力障害が初発症状となり、視神経と脊髄の障害を主体とする視神経脊髄型の多発性硬化症が多いことが知られている。一方欧米人では失調や企図振戦などの小脳障害が多いのが特徴である。この違いを明らかにするため東北大学のグループが研究を行ってきたが、視神経脊髄型の患者の血中にはアクアポリン4と呼ばれる水チャンネルを制御する自己抗体が増加することを明らかにし、国際的にも注目されている。多発性硬化症の診断は初発の場合、臨床症状だけでは必ずしも容易でないことが少なくないが、この抗体を測定することによってこのタイプの病気の診断が可能となってきた。

 

 この病気の頻度は、前述のように欧米ではかなり多く、人口10万人当たり30〜80人ほどが罹患しているが、アジア・アフリカ地域では、ぐんと下がり人口10万人当たり4人以下となり、明らかな地域差、人種差があることが知られている。前述の体温とは逆に、寒い地域の方が患者数が多い傾向にあり、この映画の舞台となっているスペインのある南ヨーロッパではその頻度はアジアより多く、北欧より少ない。本邦でも北海道のほうが九州より罹患率が高い。明らかにこの病気の発症に気象条件に関連した因子が関係していると考えられている。また有病率は何故か年々増加する傾向にあり、厚生労働省が指定する特定疾患にも含まれている。

 

 多発性硬化症では遺伝的要因や、ウイルス感染の関与が考えられ研究されてきたが、これを裏付ける研究成果は得られていない。再発と寛解を繰り返すという病態からウイルス感染も原因と考えられ、いくつかのウイルスがクローズアップされたこともあるが、これも特定のウイルスが同定されるまでには至っていない。遺伝的要因に関しても研究されてきたが、同一家計内で発症することはまずなく、発症を規定する候補遺伝子も現在に至るまで特定されていない。

 

 医師の世界では常識と思われることが、世間の非常識であることも少なくない。思えば、医学部で検体をしていただいた方の解剖を何か月にもわたり経験し、医者となり、診断のために患者の体の生検を行うようになった頃から、われわれ医師は「常識」と、瑞々しい感性の一部を捨ててきたのかもしれない。

 

 今年の正月、モンキー・マジックのCDを買って聞く機会があった。このグループは仙台に拠点を置くカナダ人と日本人によるハイブリッドミュージシャンであるが、被災した後、若者の心をつかむ数々の曲を歌いながら必死で支援を行ってきた。私が一番好きな曲は「空はまるで」である。

 

空はまるで君のように 青く澄んでどこまでも

やがて 僕ら描き出した明日へと 走り出す

 

 何という瑞々しい歌詞であろうか。出会いの頃の妻とのひと時はこんな気持ちの中でときが流れたが、あれから30年、こんな曲を聞いてハッとするのは、医師という職業病とエイジングにより心が乾いてきている証拠なのかもしれない。

Copyright© Department of Neurology, Graduate School of Medical Sciences, Kumamoto University.