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天国の兄さんへ

  • 2014.04.1

兄さん、あなたがこの世の中から突然いなくなって12年の歳月が経ちました。あれは僕が研究している神経難病の患者会が終わり、緊張が解け心がくつろいでいた6月の梅雨の中休みの土曜日の夕方でした。他界した年を一回目に数えるため13回忌とは12年目のことになることを今日初めて知りました。今日は丁度あなたの命日の法事で、東京に急いだあの日の朝と同じように、早起きをして東京行きの飛行機に乗りました。あなたが死んだ翌日も日曜日で、家内と当時2歳の息子とともに、取るものもとりあえず、あなたが眠っている自宅に急ぎました。その後3回忌を経て7回忌が今日と同じ錦糸町のお寺であり、それから6年、あっという間に時が流れ、僕はもうじき還暦を迎えようとしています。あなたの愛した義姉も少し年を取り、あなたの娘はあっという間に大きくなって成人式を迎ました。先日記念に撮った成人式の写真が送られてきましたが、まさに今が旬の女性という感じでした。あなたの長男はもう少しで中年男の域に達し、少し太り、あなたに代わって社長然としてきました。

 

この12年間、僕にとっては、それまでの人生とは全く違ったいろいろなことが慌ただしく起こり続けました。僕には息子に加えて娘が生まれ(これがなかなかの美人です)、検査医学講座の講師だった僕が、教授選を勝ち抜いて熊本大学の教授となった後、数年して神経内科の教授選にも出て無事もっとも専門である神経内科教授に就任しました。一時期病気を抱えて闘病生活を送ったりしましたが、今はとても元気にしています。2年前、日本では未曽有の東北大震災が起こり、2万人近い東北の方々が亡くなりました。何よりも報告しなければならない大事なことは、あなたが大好きだった父が、一寸した肺炎をこじらせ、ICU管理になり、心停止を二度も経験し、今は寝たきりの入院生活を送っていることです。最初の出来事が昨年の2月でしたから、1年半も闘病生活を送っています。あなたのもとにいつ旅立って行ってもおかしくない状態が続いています。一日の大半は眠っていますが、時々諦めきったような顔をしながら、天井をぼーっと眺めたりしています。最近、何もかもわからなくなっているのかと思っていましたが、昨日あなたの13回忌に行ってくると報告に行ったら、顔をくしゃくしゃにして泣いていました。父はあの日もずっと泣いていました。彼の頼りは何といっても長男であるあなたで、大学生になったあなたのことを「ナマズみたいだった(仮死状態でぐったりして生まれてきたあなたの印象が強烈だったみたいですね)修があんなに立派になった」と喜んでいました。

 

嚥下が困難な状態ですぐ肺炎を起こすため、ずっと挿管した状態が続いており声が出ない状態です。父には苦しい日々を強いており、声が出ないことに対して随分と焦りや苛立ちを露わにした時もありましたが、今はあきらめの境地に達しているのかもしれません。最初に心停止した後すぐに挿管し、人工呼吸器管理、そして気管切開と延命治療を繰り返してきましたが、本当にそれが良かったのかと思い悩む毎日です。父の元に見舞いに行くと、時折安楽死のことが頭をよぎりますが、父がいなくなったら喪失感に耐えられるのかと思ったりもしますが、このままずーと今の状態が続くと、僕ら夫婦にもしものことがあった場合、大変のことになるのではないかといった漠然とした不安に襲われることがあるのも事実です。まさに日本の社会は、今や老老介護が当たり前になり、多くの家族がこうした問題を抱えているのかもしれません。これからは余り積極的な医療はしないながら、行けるところまで行くしかないと思っています。

 

母は相変わらずで、会うたびに父の今の状態を嘆きながら、自分の体の不調を訴えて「生きている甲斐がない。死にたい」とばかり言うので閉口してしまいます。昨年の秋、早期の大腸がんが見つかり手術しましたが、事なきを得ています。少し耳が遠くなり、少し認知症の傾向があるのか、長い会話が成り立たなくなってきました。あれほど矍鑠とした強かった母が、気づかないうちに、腰が大きく曲がって、人の話の聞けない老婆となってきました。母とはうまく付き合っていくしかない、という悟りの境地になってきました。

 

兄さん、あなたの不在は僕ら家族にとってあまりに大きいのです。僕は12年前から長男の役割を担い、年老いた両親のケア、弟のこと、自分自身の進むべき道などなど、あれこれと面倒を見ています。あなたに相談できなくなって、あなたをずっと恨んできました。兄さん、なぜ、何の相談もなく突然旅経ったのですか。
兄さん、今思い出すのは、まだ幼かった僕が、いじめられそうになると必ずかばってくれたあなたの姿です。海でおぼれそうになった時も、四歳年上のあなたは一生懸命救ってくれました。洋画を見る楽しさを教えてくれたのもあなた、本を読む重要さをさとしてくれたのもあなたでした。

 

東京に行ったらきっと12年間の出来事や溜まりに溜まった文句や不安をいっぱい聞いてもらおうと思ったのに、日蓮宗のお坊さんの独教が終わり、東京の墓地らしく狭い墓の間を潜り抜け、あなたの墓の前に立ったら、頭が途端に空っぽになり、こみ上げて来るのはただただ涙ばかりでした。結局僕が今日あるのはあなたのお蔭だということを思い知り、感謝の気持ちが沸き起こってきました。

 

東北大震災では、二万人近い東北の方々が帰らぬ人となっています。僕はまだ激しい余震の残る震災後2週間目に現地に飛びましたが、突然永遠に帰らぬ人となった肉親、友人、恋人の不在に呆然と立ち尽くす人々の姿を目の当たりにしてきました。「なぜ身代わりになってやれなかったのか、なぜ自分の肉親が神に召されたのか、もしかしたらどこかで生きているのではないか」など、その思いはまちまちですが、2011年3月11日の午後を境に、突然いなくなった肉親や友人、愛しい人の喪失感という点ではみんな同じ思いを共有しています。昨年の夏は僕が主催した国際学会で集めた募金をもって娘と共に石巻に行き、ボランティア活動もしてきました。

 

あなたがなぜ死を選んだのか、どんな思いだったのか、どんな辛いことがあったのかなど、両親と恋女房に残された遺書だけでは窺い知ることはできません。あれだけ仕事もうまくいき、夫婦仲もよく、子供たちも成長してきていたのに、何ということでしょう。姉さんの話では少し鬱状態であったとのこと、そして抗うつ剤を飲んで少し状態が良かったとのこと、神経内科医である僕がなぜ力になってやれなかったのか、無念でなりません。
これからの日本社会は大変です。多くの家族が身体も心も弱っていく高齢の両親を抱え、右往左往しながら送り出さなければなりません。その間、社会の中で要職に就き、仕事との兼ね合い、子供の教育や受験を乗り越えなければならず、大変です。地獄の沙汰も金次第とは本当で、公務員であった父は金銭面ではうまく乗り切ることができそうですが、お金のない老人はいったいどうやって人生の最終章までたどり着くのか見当もつきません。今後、中国をはじめとした東南アジアの国々も急激な高齢社会を形作っていきますが、政治家は一体どういった国家づくりをするのか、超高齢化社会の先頭を走る日本の政治をきっと戦々恐々としながら見守っているのでしょう。いずれにせよこのまま何も手を打たないと、富裕層と低所得者層により一層二分化されていき、いびつな社会が形作られていくことだけは確かでしょう。いつも世相を斬ることに長けていたあなたは、今の日本を見て大いに嘆いたことでしょう。

 

いつまでたっても拭い去ることのできない喪失感の中で、今思うのは天国までも駆けて行ってあなたともう一度心のいくまで話をしたいということです。兄さんに会いたい。

Copyright© Department of Neurology, Graduate School of Medical Sciences, Kumamoto University.