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「ハドソン川の奇跡」- 考える力-

  • 2016.11.1

さすがに日常生活の中で、自動車に乗る時、命の不安を感じることは少ない。一方、飛行機に乗るときは、「今日こそは落ちて死ぬかも」と思うことが多くなった。年のせいかもしれないが、こういう人は少なからずいるはずである。 イギリスのある機関の統計では、過去10年間に世界で起きた航空機事故による死者数の年平均は700人弱であったという。世界の人口を70億人とすると、1000万人当たり約一人ということになる。一方、わが国の交通事故での死者数は減少はしているものの年間4000人前後で、10万人当たりの死者数は3人ということになり航空機事故はこれに比べて圧倒的に少ないということになる。 実際、旅客機自体が事故を起こす確率となると、200万回のフライトで1回ほどで、恐らく車の故障より圧倒的に少ないはずだ。いかに飛行機が精密にできており、その整備も徹底しているかがわかる。だから毎週のように飛行機に乗る人でも、計算上は墜落事故に遭う確率は数千万年に1度になるというから飛行機で事故に会う人は相当運が悪いということになる。一方、わが国では特に鉄道は安全というイメージがあるが、飛行機とは比較にならない頻度で事故が起きているらしい。結局陸路より空路が安全という結論になる。だから、周りには交通事故に会ったという人は少なからずいるが、飛行機事故に会ったという人に出会ったことがない。 映画「ハドソン川の奇跡」(クリント・イーストウッド監督)は航空機事故のシーンから始まる。飛行機のコックピット内から、緊急事態のアナウンスが入る。何故か飛行機は市街地に向かってまっしぐらに降下を続けている。そして遂にビルに衝突し、爆発炎上する。とその時、チェスリー・サレンバーガー(サリー)機長(トム・ハンクス)は汗びっしょりになり心神喪失状態になったかのように飛び起きる。彼は夢だったことがわかり、胸をなでおろすが、それはまさに数時間前に九死に一生を得た体験の再現の様な夢であった。 2009年1月15日、午後3時半過ぎ、シャーロット経由シアトル行きのUSエアウェイズ1549便がニューヨーク、ラガーディア空港から155名を乗せて飛び立った。ところが、離陸後まもなく鳥の群れに遭遇し、あろうことか両翼のエンジンがこれを吸い込み、エンジンが完全に停止してしまう。大都市の真上で制御不能になった機体はすぐに降下し始める。このまま行くと住宅地に落下してしまう。直ちに管制官に連絡を取ったサリーに、近くにあるニューヨークの二つの空港に着陸するよう指示が入る。しかしサリーのこれまでの40年にも及ぶパイロットとしての経験から、とっさにそれは不可能と判断し、住宅地を避けハドソン川への不時着を決断する。彼は誰も予想し得ない絶望的な状況のなかで、技術的に難易度の高い水面上への不時着を試みる。彼のパイロットとしての技術と判断力を結集させたトライアルは見事成功する。全員生存の偉業を成し遂げたこの決断は、「ハドソン川の奇跡」と呼ばれ、サリーは一躍英雄として賞賛されるはずだった。ところが機長の究極の選択に思わぬ疑惑がかけられてしまう。 本当にそんな危険な選択は正しかったのか?近くにある空港に即座に舞い戻った方がより安全だったのではないのか?それはヒロイズムの仮面をかぶった機長の、乗客たちを命の危険に晒す無謀な判断ではなかったのか?…事故直後から三人の委員による事故調査委員会(NTSB:国家運輸安全委員会)による査問が始まっていた。 サリー機長とジェフ副機長は一室に招かれ、NTSBの調査員と向き合う。「で、今回の墜落事故ですが….」と切り出す査問員に対し、サリーは毅然として「墜落事故ではなく、不時着水です」と答えるが、執拗に追及は続く。「で、前日、酒は飲まれましたか?」、「麻薬は?」、「最近、家族と何かもめごとはありましたか?」・・・。まるで犯罪者を取り扱うように矢継ぎ早に質問が続く。やっとその日の「尋問」を終え、疲れ切ったサリーは最愛の妻に電話するが何度かけても通じない。テレビはどのチャンネルも不時着の模様を克明に伝えている。何十度かかけた後やっとつながった電話に妻は優しい声をかける。「何か、あなたが遠い人になったみたい。愛してるわ」。この言葉でまた頑張れる、とサリーは思ったに違いない。ことの顛末が終わるまで彼は妻の言葉に勇気づけられ続ける。 翌日、NTSBの査問で衝撃的な事実が伝えられる。何と、フライトレコーダーの記録では、左エンジンが微力ながら動いていたと言うのだ。もしそうだとしたら、どちらかの空港に戻れたかもしれない。案の定、NTSBの調査では、コンピュータでのシミュレーションの結果、左エンジンが作動していた場合、二つの飛行場に確実に着陸可能だったという結論を出していた。何度シミュレーションしてもそういう結果にしかならないというではないか。マスコミはそれをかぎつけ、「彼は英雄なのか、それともペテン師なのか?」という論調を展開しはじめる。翌朝、サリーはいたたまれなくなり再び妻に胸の内を打ち明ける。「あなた、どうしたの?あなたのミスじゃなかったんでしょう」。「コンピュータの計算では、空港に無事つけた可能性があるらしい。クビになるかもしれない。40年間の勤務経験は無視され、たった40秒の判断で罰せられる」、「どうして、ハドソン川を選んだの?」、「高度が低く、あの時は、あれがベストの判断だったんだ。愛してる」「私もよ」。妻のためにも再び自分を信じて戦わなければならない、サリーはきっとそう思ったに違いない。 遂に公聴会の日がやってくる。サリーと副機長に対して百人以上の出席者の前で、査問員からさらし者のように質問が浴びせられる。そしてフライトレコーダーをもとにした、ラガーディア空港から飛び立ち、元のラガーティア空港に帰る場合と、ニュージャージ州のテターボロ空港に向うかのシミュレーション実験をした映像が映し出される。驚くべきことにこの解析ではどちらの飛行場にも余裕をもってたどり着く結果になっている。絶体絶命。しかしサリーはひるまずこう述べる。「実に見事なフライトでした。ですが、見事過ぎました。われわれは、一度も練習せずに事故に見舞われたわけです。それにシミュレーションでは、何の躊躇もなく、空港に向かっています。事故による心の動揺や、機器の状態を点検する時間など、人的要因がこの映像には抜け落ちています」。 サリーには40年間の実際のフライトの中で培ってきた技術と経験があり、火急の時、どんな飛行士をもってしても、こうはスムーズに事が運ばないという確信があった。結局、サリーの主張は通り、エンジンが停止し、管制官と連絡を取り行動に移すまでのインターバルとして35秒が設定されることになる。実際の状況を考えると35秒でも短すぎると思われたが、結局これをもとに新たなシミュレーション実験映像が組み立てられる。するとどうだろう。ラガーティア空港に向かった飛行機は、滑走路侵入の手前で海に落ちてしまい、テターボロ空港に向かったほうは、街中のビルに突っ込んでしまうではないか。サリーの判断は間違っていなかったのだ。続けて、ボイスレコーダーの音声の再生がはじまる。そこからは緊迫感あふれる鳥の衝突の模様と、機長としての非の打ちどころのない対応が臨場感をもって伝わってくる。 そして決定的な事実が公表される。これまで動いていたと考えられていた左エンジンがハドソン川から引き揚げられ検証された結果、激しく壊れており作動できなかったことが判明する。サリーの判断はイチかバチかの賭けではなく、これまでの経験から迅速に演繹した判断をもとに行われたベストの選択であったことを疑う出席者は誰一人としていなかった。めでたし。 動物は危機に瀕すると逃げるか戦うかしか選択肢がない。ヒトはこれに考える力が加わる。その思考時間を短縮できるのは知力と経験と技術である。ヒューマニズムを追求してやまないイーストウッド監督の面目躍如たる映画である。

Copyright© Department of Neurology, Graduate School of Medical Sciences, Kumamoto University.