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 「世界の中心で愛をさけぶ」-白血病の遺伝子変異

  • 2007.12.1

白血病は全骨髄性、骨髄性、リンパ急性など腫瘍化する細胞のレベルで分類される。他の腫瘍性疾患と比較して決して頻度は高くないが、依然として死亡率は高く、この病気は時に芸能人が罹患し、折に付け注目される疾患である。市川團十郎 は、白血病の中でも重症な急性前骨髄性白血病であったが勇敢に戦い、小康状態となるまで回復し(完解とまでは行かないようである)一度は舞台に復帰している。夏目雅子、本田美奈子は惜しいところまでこぎつけたが、力尽きた。「結婚は 夢の続きや ひな祭」。きっと幸せだったのだろう、夏目雅子は伊集院静との新婚生活の絶頂期に、舞台で倒れ、闘病の末逝った。対照的に吉井怜、渡辺 謙は完解し芸能活動を再開している。いずれも急性骨髄性白血病であった。ハリウッドの俳優、ラウラ・パウジーニは同じく急性骨髄性白血病で逝った。ライアン・オニールは、1970年、一世を風靡した「ある愛の詩」で急性骨髄性白血病で妻(アリー・マックグロー)を失う若き弁護士を演じたが、自分自身が現在慢性骨髄性白血病で闘病生活を送っているのはなんとも皮肉なことである。

 

遺伝子異常には、先天性(遺伝性)のものと、体性遺伝(後天性)のものがあるが、急性白血病は、種々の遺伝子異常が後天的に骨髄前駆細胞に生じ、腫瘍化したクローンがさまざまな段階で分化能を失い、幼若な芽球(白血病細胞)が自律的に増殖する血液の腫瘍である。平たく言うと腫瘍化した白血病細胞がどんどん異常増殖し、正常な白血球の活動を圧迫し、ついには数も、機能も消滅させる、これが白血病である。第8染色体の21番目への転座、第16番染色体の逆位(この部分の染色体がさかさまに結合する)、CBFβ遺伝子とMYH 11遺伝子の融合、染色体11q23異常など、何故こうした異常が骨髄のたった1個の細胞に起こり増殖していくのか、その原因、メカニズムに関しては不明なことばかりである。

 

こうしたジレンマとは対照的に治療法は急速に進歩している。年齢や病型分類によって異なるが、一般的には、初期に行う寛解導入療法として、抗がん剤をいくつか併用した治療を行う。一方、より悪性度の高いケースでは、年齢や全身状態が許せば造血幹細胞移植が必要になる。造血幹細胞移植は、今や抗がん剤の効かない難治例や再発例にも、ある程度治癒が期待できる治療法となっている。病気の原因となるさまざまな菌(細菌や真菌)、ウイルスなどの病原体と戦う白血球が減ると、肺炎や敗血症などの感染症を起こすことがあるが、こうした状態の患者のケアは飛躍的に進歩し社会復帰を果たしている白血病患者は枚挙に暇がない。また慢性骨髄性白血病もグリベッグの登場により、救命率が大幅に向上している。

 

東京で暮らす34歳の朔太郎(森山未來)は高校時代、好きでたまらなかった同級生のアキ(長澤まさみ)を白血病で失っている。映画「世界の中心で愛を叫ぶ」の話である。それから17年という歳月が経過した今も、朔太郎は過去を背負って生きていた。アキが入院していた病院に母を見舞いに来ていた少女、律子も成長し、朔太郎は律子(柴咲コウ)とわだかまった心を抱えながらも婚約に踏み切る。ところが結婚を目前にした10月26日、ちょうど17年前と同じく、台風29号が四国を直撃しそうなその日、律子が「心配しないで」と書き置きを残し、郷里高松に向かう。朔太郎はそのことを知り、すぐ後を追う。久々に戻った自宅の二階の自分の部屋は17年前のあの頃のままに保存されていた。朔太郎はそこでウォークマンと何十本かのカセットテープを見つける。そういえばあの頃、自分とアキはウォークマンを頼りに、カセットテープの交換ごっこをしていた。家にたどり着いた後の会えない時間の出来事、将来の夢、面と向かっては言えないお互いへの想い、そしてアキが白血病とわかり、送った闘病生活の中でのやり取りなどなど。しかし、何故か死を迎える直前、アキは自分と会うことを拒み続けた。その時点で朔太郎の時間は止まっていたのだ、ウォークマンを持ち、台風の嵐の中、思い出の場所を訪れる朔太郎にアキの声ばかりでなく、姿までもがみずみずしく甦るのであった。

 

この映画は、愛する人の死は、どうしてこうも悲しいのかということから話を始め、「病気もの」の映画の定番である白血病を取り上げ、通俗的な映画のように思われがちであるが、決してそうではない。4人の脚本家が、同名の片山恭一原作のベストセラー小説を元にそれぞれの人生観を織り込み、原作とは違う映画の世界を構築している点が素晴らしい。「死と言うものはそれ自体が終わりではなく、遺された人たちにとっての死でもある」とする片山恭一の小説のモチーフをうまく生かしながら、原作にはない17年という時の隔たりを設定し、その隔たりをウォークマンという1980年代世界を席巻した若者文化を登場させ、見るものの感情移入を容易にしている。あの頃のウオークマンは映画で登場するようにカセットテープを入れるふたも厚く、i-potやMDと比べてずっと大きく重かった。あーあの頃あんなもの抱えて電車に乗っていた、と中年期の人々もノスタルジアに浸ることができるようになっている。監督の行定勲は熊本放送局で1980年代ラジオでディスクジョッキーをしていたが、ウオークマンの設定はそうしたキャリアが編み出したアイデアであろう。朔太郎の祖父で写真館を経営しているシゲ爺(山崎勉)は、50年一人の女性を思い続けたが今はだいぶ「枯れて」時の番人のような生活をしている。久々に会った朔太郎にこう語りかける。「ひとが死ぬってことはえらいこった。思い出、面影、楽しかった時間がしみのように残る。天国ってのは生き残った人間が勝手に発明したもんだ。そこにあの人がいる、いつかまたきっと会える、そう思いてえんだ。生き残った人間ができるのは後片付けだけなんだよ。」

 

同じく脚本を担当した伊藤ちひろは、雑誌「キネマ旬報」にこう記している。「完成しないまま大人になってしまった私たちには、止まったままの時間がどこかに存在しているのだと思う。そしていつか、ふいにそこに戻されてしまうときがある。そうなってしまうと、もう、後片付けをしないと前には進めなくなる」。

 

朔太郎と律子はオーストラリアのアボリジニの聖地であるウルル(エアーズ・ロック)に向かう。そこは地球のへそ、大地のへそといわれており、アボリジニにとっては世界の中心である。そのウルルは、高校時代、親に内緒で朔太郎とアキがキャンプに出かけた夢島で見つけた壊れたカメラのフィルムに映っていた場所であった。ウルルでは死者には二度の葬式が待っている。一度目は肉体のため、二度目は骨のため。朔太郎はアキの骨をウルルの風の中にゆだねる。人間はこうでもして後始末をしなければ未来に向かって歩みだすことができない。「生きる力の再生」を描いた見事な映画である。

 

Do not stand at my grave and weep
I am not there, I do not sleep
I am in a thousand winds that blow
I am the softly falling snow
I am the gentle showers of rain
I am the fields of ripening grain

 

新井満はこの詩に魅せられて「千の風に乗って」を訳した。彼もまた止まったままの時間を持ち、喪失感にさいなまれ、生きてきたものの一人であったのであろうか。

Copyright© Department of Neurology, Graduate School of Medical Sciences, Kumamoto University.