最新の投稿

「パピヨン」-スティーブ・マックイーンと中皮腫

  • 2011.10.1

胸に蝶の入れ墨をした男は “パピヨン” (スティーブ・マックイーン)と呼ばれた。パリで金庫破りの罪で捕まるが、仲間の裏切りから、他の罪も着せられ、裁判で終身刑を言い渡される。映画「パピヨン」(フランクリン・J.シャフナー)の始まりである。パピヨンはまず、フランスから遠く離れた南米のフランス領ギアナの刑務所に収容される。無実ではないものの、不当な罪を着せられたパピヨンは、脱獄を決意するが、それには看守を巻き込む金と手助けをしてくれる人が必要であった。そこでまず囚人の一人ドガ(ダスティン・ホフマン)に目を付け、仲間にすることに成功する。彼は国債の偽造で逮捕された男であるが、偽札作りの腕前は右に出るものはいない。まず偽札を作り、看守を買収しようとするが、見事失敗。二人は今度はジャングルの奥の強制労働キャンプに送られ、さらに過酷な日々を送らなければならなくなる。どこかに優しい心を持ったパピヨンは、ある日看守に殴られるドガをかばおうとし、その期に乗じて再び逃走を図る。銃弾の嵐の中で必死に逃げようとするが、またも失敗、遂に逃亡不可能な島送りの身となり、そこで更に条件の悪い獄中生活を余儀なくされることになる。ひとかけらのパンとスープしかあたえられず、多くの囚人が、まったく陽のあたらない独房の中で、次々に死んでいく中、不当な刑に対するパピヨンの怒りは衰えず、独房の中で見つけたムカデやゴキブリまで食べて生きようとする。何とか餓死寸前のところで何とか二年の島の生活を終える。
新たな刑務所サン・ローランに収容されたパピヨンは、ドガや他の2人の囚人と再び脱獄を図り、今度はしばらくの間、自由の身として日常を送ることができるようになったが、結局再び囚われの身となる。そして更に五年の月日が流れる。サン・ジョセフ島での狐独な独房生活から解放されたパピヨンは白髪頭となっていた。彼は今度はドガと共に悪魔島へ送られる。この島の周囲は、断崖に囲まれ激流とサメが押し寄せ、脱出は到底不可能なこともあり、手錠も足枷もない上、日常生活の制約はなく、悠々自適ともいえる生活を送ることができる環境であった。かつて行動を共にしてきたドガは、年老いたこともあり、もはや祖国に帰る夢を捨て、孤独だが平和な日々に満足していた。だがパピヨンは、脱出のチャンスを窺い、結局今度もサメのいる大海原にボートを漕ぎ出す。
スティーブ・マックイーンの代表作といえば「大脱走」を挙げる人が多いが、私はこの「パピヨン」こそが彼が最も「自分」を出しながら映画俳優として輝いた映画であると思っている。スティーブ・マックイーンの出自は複雑である。父親は曲芸飛行士、母は家出娘で、元祖「できちゃった婚」の両親の元に生まれる。生後6ヶ月目で両親が離婚したことから、彼は全く父親を知らない。母親の再婚と共に各地を転々とし、その都度変化する環境に戸惑いながら、やがて非行に走るようになっていく。14歳の頃、遂にカリフォルニア州立少年院に入れられ2年の月日をそこで送ることになる。出所後、海兵隊へ入隊するが、長続きせずバーテンダーやタクシードライバー、やくざまがいの用心棒などで日銭を稼いでいたが、女友達の勧めもあり、全くいい加減な気持ちでハリウッドに赴き、端役で映画に出るようになる。しかし、ここからが圧巻である。スタントマンに頼らないアクションで次第に頭角を現し、ついにスターダムにのし上がり、世界中の映画ファンを熱狂させた。アクション映画での彼の活躍は枚挙に暇がない。数々のアクション映画に主演した後、映画「トム・ホーン」の撮影中、健康状態が優れず、検査したところ、肺の中皮腫を発症していることがわかった。翌年の1980年、不死身のスーパースターも52歳の若さで命を落とすことになる。あまりに早すぎる死である。無類の車好きで、車やバイクを私生活でも映画でも自由自在に操っていた。当時ブレーキや耐火服・耐熱フェイスマスクにアスベストが加工されていたことから、それを吸引したのが原因ではないかと推測されている。「大脱走」でのバイクの疾走シーン、「ブリット」や「栄光のル・マン」で車を走らせるシーンは、観るものの心をひきつけたが、それが命取りになったのかもしれない。苦しい環境から這い上がり、世界でも屈指のアクションスターにのし上がっていった彼は、そのアクションシーンの格好良さも手伝って、まさにアメリカンドリームの象徴のようなスターであった。
アスベスト禍が世界的に問題になって久しい。その詳細な機序は未だ不明であるが、一般的にアスベストの暴露から20~40年くらいで肺の中皮腫が発生することが知られている。スティーブ・マックイーン場合、前述のように、車のアスベストが原因だとすると発症はかなり早かったものと思われる。吸い込んだアスベストによって惹起されたインターロイキン6を中心とした炎症惹起物質が中皮の腫瘍化を促進すると考えられている。理由はよくわかっていないが、アスベスト暴露と喫煙のリスクを併せ持つ人の肺がんの罹患率が数倍~50倍になることが指摘されているが、中皮種自体と喫煙の関連はほとんどない。アスベストの暴露によって発がん遺伝子の活性化、がん抑制遺伝子の不活化が起こると考えられ、いくつかの候補遺伝子が注目されているが、研究の途上にある。最近、日本の研究グループが、マウスに誘起した悪性胸膜中皮腫を遺伝子治療を行い、その進展を抑えることに成功している。SOCS3遺伝子を直接腫瘍に導入しタンパク質を増やすと、がん抑制遺伝子p53遺伝子の働きを助け、ヒトの悪性胸膜中皮腫細胞の増殖を抑えることを確認している。中皮腫は、主に胸膜(場合によっては腹膜)にできるがんであるため、肺実質内にできる他の肺がんと比べ、体外から直接遺伝子治療薬を注入しやすいため、このような治療の試みが行われている。遺伝子治療は、試験管内の実験ではうまくいくが、いざ生体に投与する段になると、薬剤を目的臓器に有効に運ぶことが難しく、足踏み状態にあるプロジェクトも多いが、このような体表面に近い場所にできるがんの遺伝子治療は今後実用化が大いに期待できる。中皮腫を患うと胸膜や腹膜の表面に存在する糖たんぱく質の一種であるメソテリンの発現が上昇し、血清で測定できるため、絶対的な特異性はないが、これを測定するとある程度補助診断になることが明らかになっている。
アスベスト被曝は職業上のものが圧倒的であるため、中皮腫患者や家族が全国各地で保証を求めて訴訟を起こしている。数十年前、アスベストが中皮腫を起こすなどといった知識も概念もなかったため、訴訟を起こされる企業の側も少し気の毒な気がするが、この病気は、低濃度環境曝露の方が高濃度職業曝露よりも発癌性が高いと考えられており、アスベストを用いてものづくりをしてきた工場の周辺の住民にまで被害が及んでいるのは胸が痛む。戦後の高度成長経済のひずみのひとつなのかもしれない。
中皮腫は肺実質を蝕むがんではないため、初発症状に乏しいことが多い。進行してから初めて症状が発現することも多いため、その時点で診断がつくことが多い。スティーブ・マックイーンも進行した状態で発見された。パピヨンは、晩年、サン・ジョセフ島で、刑務所という環境ではあったが、大きな制約も受けず、衣食住を保障された環境に身をおくことになる。にもかかわらず、何かに取り付かれたかのように荒海に向かってボートを漕ぎ出す。その姿は現実に満足することなく、スターダムにのし上がっていったスティーブ・マックイーンの姿そのものである。「男というものは….」とため息をつきたくなる女性も少なくないのかもしれないが、なぜか見終わった後すがすがしさのようなものが残る映画である。

Copyright© Department of Neurology, Graduate School of Medical Sciences, Kumamoto University.